アートセンターサカモト 栃木文化社 BIOS編集室

「BIOS電子版」No.11

ミュージカルカンパニー 新生ふるきゃら代表・演出家-石塚克彦-

おもしろい芝居を自分たちで作る

「学校にはキャンバスを持って行っていた。授業にはほとんど出なかったね。写生して帰ると、先生が『石塚、今日はどこへ行ってたんだ』って声をかける。お昼ごろに学校へ行ったり、結構自由だった。数学の先生が卒業間近に家まで来て、授業で試験の答案を書いたことがないのに、最後の学期だけ『及第点つけといたぞ』って。昔の学校は話が分かった。美術の先生のあだ名はドブネズミ。ドブさんにはずいぶんサボらせてもらったよ」

演出家、石塚克彦氏のバンカラで少し大人びた高校時代の逸話は、まるで小説か映画の青春ストーリーのようであった。栃木県の烏山高校から武蔵野美術学校洋画科へ進学した氏は、その後、ある劇団の主宰者に引っぱられ演劇の世界に入る。

「画家になろうと思っていた。芝居の世界には背景画で入った。つまらない芝居で背景を描いていてもつまらない。だから、おもしろい芝居を自分たちで作ろうと思った」

ミュージカル劇団「ふるさときゃらばん」を率いて約30年、リーマンショックの直撃を受けた劇団は「企業スポンサーも10分の1に激変」し、自己破産に追い込まれる。しかし、すぐに「劇団員を食わせるためにも」株式会社チーム石塚を設立し再起。2010年、「新生ふるきゃら」として劇団の再スタートを切った。

「『新生ふるきゃら』は、ささやかな力しかないとは言え、無縁社会などと呼ばれる人間関係の分断傾向に逆らって、少しでも人と人との繋がりを求めてゆきたい、そのための活動を、ミュージカル劇団らしく陽気にすすめたいと願っている(雑誌『新生ふるきゃら』2010号より)」

演出家・石塚克彦氏

烏山の同級生たちと、ふるさとでの公演終了後

地域で役に立つミュージカル

昨年11月、石塚氏は生まれ故郷の那須烏山市の「那須烏山文化未来塾」(代表・福田弘平氏)主催の講演会のパネラーとして語った。

「今、どんなミュージカルが必要なのか、100カ所くらいの自治体の首長を訪ね歩いた。首長の話しよりも、役所に行くまでの商店街のシャッター通りの寂しさのほうが、遥かに気になった。しかし、シャッター数は同じくらいなのに元気な街がある。4、5人くらい街のために動いている人がいて、友だち感覚で集まって好きなことやっている。1つの街に気の合った仲間が数人いたら、かなりのことができる。集まって好きなように妥協なくやる。そのようなパワーが出てくるチームをつくることが、私はとても大事だと思う」

この思いは今年の7月に故郷の栃木県で上演されたミュージカル「トランクロードのかぐや姫(作・演出/石塚克彦)」に集約されていた。

「今の日本の地域でミュージカルが役に立つことって何だろう」。「地方の商店街はその地域のシンボル」であって、「街の元気の素を描けたら、役に立てるかもしれない」と作ったミュージカルであった。

観客たちは「久しぶりに生演奏の音楽に合わせて歌い踊る元気なミュージカルに感動し」、「シャッター通りを活性させるヒントをもらい」、「諦めずに頑張ろう」、と思った。

「那須烏山文化未来塾」で語る

「トランクロードのかぐや姫」

被災地の人々と歩む

「復旧とはもと通りに戻すことであり、復興とは再び盛んに栄えさせることである。劇団のスタッフは、復興の姿を見て新しいミュージカルをつくろうと、陸中海岸に出かけたが、復興どころか復旧さえも先が見えないことを思い知らされた」

劇団は「虎舞い」の伝統を継承する岩手県山田町と親しい交流がある。東日本大震災後、山田町に向かって東北地方を車で走った劇団員たちは「町が無い」光景に言葉を失ったという。

今年8月、三越劇場の上演からスタートした「新生ふるきゃらバラエティ『稲ムラの火』(構成・演出/石塚克彦)」は、1854年、安政の南海地震で大津波に襲われた際に、浜口梧陵(ヤマサ醤油の祖先)が積み藁(稲ムラ)に火をつけ、それに沿って村人を導き、多くの人々が助かったというストーリーである。

「津波の後、浜口は私財を投じて防潮堤を作った。地元の人は田んぼも何もかも失ったから食えない。小さな子も年寄りも、労力に応じて日当がもらえる堤防の作業をした。最近まで世界一の堤防だった。1946年に発生した南海地震津波から住民を守り、今も残っている」と、復興に挑んだ村人たちの実話に基づくミュージカルを上演している。

東日本大震災の残した爪痕は深く、その復旧の遅さにふるさとでのくらしをあきらめ、新しい地での生活を始めてしまう人も少なくない。

「……だがそれでもふるさとでのくらしを夢みて踏ん張っている人たちもいる。私たちはいま、被災地の中から復興をめざし、行動を始めた人々の姿を題材にミュージカルをつくることが、私たちが被災地の人々と共に歩む、私たちのやり方ではないかと……(雑誌『新生ふるきゃら』2012春号より)」

石塚克彦氏率いる『新生ふるきゃら』のひたむきな長旅がまた始まっていた。

♪おまえがいて 俺がいて 遠くの町に友だちがいる

生きているのさ この町

私たちの町 俺たちの町♪

(劇中歌「生きてゆくさこの町」より作詞・石塚克彦/作曲・寺本建雄)

「稲ムラの火」

「稲ムラの火」ポスター

石塚 克彦

1937年、栃木県烏山町(現・那須烏山市)生まれ。武蔵野美術学校洋画科。古美術研究で奈良に遊学。平城京発掘に参加。シナリオライター山形雄策氏に師事。ミュージカル体験塾・演出。日本劇作家協会会員。85年、「ふるさときゃらばん」脚本・演出・美術プランナーとして「ふるさときゃらばん」第1作、ミュージカル『親父と嫁さん』を上演、文化庁芸術祭賞を授賞。87年、第3回日本舞台芸術家組合賞を受賞。91年、日米合作ミュージカルのメインライターとして「LABOR OF LAVE」を上演、日米両国ツアー、バルセロナオリンピック芸術祭に招聘される。99年、「棚田学会」を設立。棚田学会副会長。棚田連絡協議会理事。2000年、東京芸術劇場ミュージカル月間にて最優秀賞を受賞。03年、映画「走れ!ケッタマシン~ウェディング狂想曲~」で初監督。現在、「MUSICAL COMPANY株式会社チーム石塚・新生ふるきゃら」代表。

MUSICAL COMPANY株式会社チーム石塚・新生ふるきゃら

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