アートセンターサカモト 栃木文化社 BIOS編集室

「BIOS電子版」No.17

武者絵作家-大畑 耕雲-

赤穂浪士討入装束の口碑伝承

栃木県市貝町に「武者絵の里」がある。里に着くと数メートルの「のぼり」が入り口の両側に居並ぶ。周囲の山や田の風景のなかでのぼりを見上げると21世紀の現代がどこかに飛んでしまう。耳を澄ますと遠い昔の武者たちの猛々しい物音が聞こえてくるようである。

武者絵作家「大畑耕雲」。明治22年の初代から三代目である。大畑家の当主としては十六代目までの先祖を系図でたどることができる。

大畑家は遠祖を上野国(群馬県)小幡の城主とする旧家で、この土地に土着後、紺屋業を営んだという。

「元禄8年(1695年)に大火にあって、現在資料館になってるところに移り住みました。江戸本所林町で染物の修行に入って元禄15年(1702年)に帰ってきて紺屋を開業したんです。そういうことから、赤穂浪士の討入(通説/元禄15年12月14日-旧暦)装束は、江戸でつくると目立つからと、密かにこの山里大畑家でつくったものという口碑伝承があります。映画や芝居に出てくる派手な装束ではなかったらしい。夜中に討ち入りに行くのだから、地味な火消しの装束をまとっていったという。火消しの集団だったら、見られても疑われないですから」

リアルに歴史の裏舞台を垣間見るような口碑伝承である。山里深いこの地から、何者かが密かに持ち運んだかもしれない「討入装束」に思いを馳せる。

大畑耕雲(三代目)

昭和天皇皇后両陛下の御前にて実演を披露

大畑家は「江戸紺屋」という屋号がある。今も浴衣や江戸小紋の型紙などがたくさん残されていた。江戸の名力士「雷電」の浴衣も染めたという話も伝えられている。

「本業の傍ら、絵心があって武者絵の好きな人がいたんですね。副業で武者絵のぼりもつくっていましたが、それが明治20年頃から武者絵のぼりのほうが本業になったんです」  武者絵のぼりは、歴史上名をはせた武将を勇壮に描いたもの。江戸時代の中期頃につくられたが、一般庶民ではなくて武家社会の中で生まれたものであった。

「端午の節句になると鎧や兜などを飾りましたが、それと併せて、庭先に武者絵を飾ったんです。当時は武家の立身出世を願ったんでしょう。それが後に、時代とともに庶民に伝わって、男の子のたくましく健やかな成長を願ってのぼりを立てるようになったのです」

大畑氏は三代目「耕雲」として父「力三」(無形文化財技術保持者、下野手仕事会初代会長、二代目「耕雲」)に師事し、美人画も得意としたが、勇猛果敢な武者の絵にさらに磨きをかけていった。

「実は、男4人兄弟の一番下なんです。小さい頃から父が描くのを見ていました。門前の小僧です。見てるだけでも勉強になりました」

1976年、29歳のとき、栃木県立美術館にて、昭和天皇皇后両陛下の御前にて武者絵の実演を披露するに至る。三代目として独自の絵を確立していった。

インタビュー中の大畑氏

武者絵の制作中の大畑氏

日本の「武者絵」を海外へ紹介

1986年、武者絵は栃木県伝統工芸品に指定され、同時に市貝町無形文化財に認定された。同年アメリカ、ロサンゼルス「ジャパンエキスポ86」の会場で武者絵の実演をして脚光を浴び、以降、栃木県の伝統文化として武者絵を実演し、海外へ広く知らしめている。 「武者絵を通してお互いに異文化の相互理解と友好親善を深めることができました」

大畑氏が描いているその姿は、まさに「真剣勝負に挑むサムライのよう」と、フランス・パリでの実演(フランスにおける日本年「芸術祭」/97)のとき、フランス人アーティストたちの絶賛する声があがった。「やはり、描くときは集中しますから。他でも殺気立っていて恐いと言われたことがあります」と、おだやかな笑顔で話す。

今年5月、仕事で来日していたトモコ・K.-オベール(J.F.ミレー友好協会パリ本部事務局長TOMOKO・KAZAMA-OBER/パリ在住の画家。フランス国籍)が大畑氏を訪ねたが、「描かれた武者絵をみると力がでる。勇気が湧いてきます」と感動。しばらくの間アーティストとしてのさまざまな質問への応答が続いた。

「もちろん、同じ絵ばかり描いているのではありません。注文されれば、新しい図も描きます。描くことで大切なのはデッサン力ですね。線も勢いがなければ生きた武者絵を描くことができません」。男の子のための「武者絵のぼり」であったのだが、「初めて女の子が産まれたという家で、羽衣の画を描いたのぼりを注文されました」と大畑氏。時代的社会的変化により、のぼりの注文も多様化されてきた。 

全国でも数軒しかない武者絵の制作所。栃木県は「武者絵の里大畑」の1軒のみである。取材で訪ねていったとき、大畑家の家屋と庭のあちこちに、3.11東日本大震災の爪痕が残っていた。

「石灯篭などはまだ崩れたままですが、屋根や外壁などはほぼ修復しました。この地で約350年続いている大畑家とともに、武者絵の伝統技術を守っていく努力と工夫を精一杯考えています」

2013年4月に父が初代を築いた「下野手仕事会」の六代目会長を務め上げ相談役に就任。これからさらに、栃木県の「手仕事」の伝統文化の保持と継承に奔走する。

大畑武者絵資料館で石に描いた武者絵を説明する大畑氏

アメリカ・ロサンゼルスで実演する

パリから訪ねてきたトモコ・カー・オベール(左)と。武者絵の里ののぼりの前で

フランス・パリ日仏文化会館にて実演する

「大畑耕雲」作の武者絵

大畑 耕雲

1947年
栃木県芳賀郡市貝町に生まれる
幼少より父、力三(無形文化財技術保持者、2代目耕雲)に師事し今日に至る
1976年
栃木県立美術館にて昭和天皇皇后両陛下御前にて武者絵の実演を披露
1986年
栃木県伝統工芸品指定
市貝町無形文化財認定
アメリカ、ロサンゼルスにて実演(ジャパンエキスポ86)
1991年
フランス・アヴィニヨンにて実演(アヴィニヨンフェア)
1992年
栃木県選定保存技術者に認定(栃木県第1号)
1995年
アメリカ、ロサンゼルスにて実演(ジャパンエキスポ95)
1997年
フランス・パリにて実演(フランスにおける日本年「芸術祭」)
1999年
アメリカ、インディアナ州にて実演(文化工芸団として武者絵を披露)
2004年
栃木県伝統工芸士に認定
2009年
フランス・アヴィニヨンにて実演(サド公爵邸にて)

(有)武者絵の里 大畑

栃木県伝統工芸品指定

〒321-3412 栃木県芳賀郡市貝町田野辺723

TEL:0285-68-0108 FAX:0285-68-2958