アートセンターサカモト 栃木文化社 BIOS編集室

「BIOS電子版」No.20

マンガ家・文星芸術大学マンガ専攻教授-ちばてつや-

マンガとの出会い

「子どものころはマンガを知らなかった。マンガは本ではなくておもちゃだからマンガなんて読まないでちゃんとした本を読みなさい、という両親でした。とくに父親は本が好きだったから我が家は押入れ以外、壁という壁は全部本棚でしたね」

取材の冒頭で日本のマンガ界の重鎮であるちばてつや氏から意外なことばが発せられた。さぞかし物心つく頃からマンガに親しみマンガに明け暮れていたマンガ少年を想像していたからである。

「子どものために一番下の棚には、絵本をはじめ世界名作全集とか童話全集とか、子どものための本がたくさんあった。児童図書だけでなく文学全集なども大好きでよく読んでいましたが、マンガの本は一冊もなくて小学校三年生くらいまで世の中にマンガがあることを知らなかった」

戦時中、満州で知り合いの家の屋根裏にかくまってもらっていた時に、弟たちにせがまれて母親が読んでくれた『イソップ物語』などのイラストを描いていたというエピソードがある。

「紙芝居みたいなものです。紙はその当時貴重だったけれど、父親が印刷会社で働いていて捨ててしまう半端な紙を、満州から引き揚げる途中も大切に持ち歩いていた。紙に絵を描いて弟たちを退屈させないようにしていたんです。絵を描くのは好きだったけど、マンガは知らなかった」

中国から引き揚げてきて帰ってきたら、あちこちにマンガがあった。友だちはみんなマンガを読んでいた。帰国してはじめてマンガに出会った。

「一番最初のマンガは、豆本っていうグリコのキャラメルなどについてくる付録で、開けてみたらアラビアンナイトのマンガだった。インパクトがあっておもしろかった。それでもう、マンガに魅せられていったんです」

ちばてつや氏

引揚者が戦後マンガ家として活躍

「私もいろんな作品を描いてきましたがその前からすばらしい表現をする先輩たちがたくさんいました。そういう人たちの影響をたくさん受けています。『のらくろ』(田河水泡)、『あんみつ姫』(倉金章介)、『ロボット三等兵』(前谷惟光)、その当時日本のマンガの黎明期、今もまだ黎明期だと思いますけど、先輩たちが沢山いいものを残してくれた。子どもたちはマンガが大好きです。本が届くと一番先に見るのがマンガですね。新聞でもそうですね。一面の世の中の大切な記事も読みますけど、それよりも『ブロンディ』(チック・ヤング)、『サザエさん』(長谷川町子)や、『フクちゃん』(横山隆一)を見たり、『まっぴら君』(加藤芳郎)とかね。マンガはふっと目が行きやすいんです」

取材に同席していた文星短期大学学長上野孝子さんは「今の文化をつくってるのがマンガ。今、日本の文化はマンガを通して外国で理解されています。イギリスに行ったとき、ちば先生のマンガについてイギリス人が話していたことを孫(イギリス在住)が通訳してくれました。マンガはみんなが楽しめるんです。心を楽しくさせるのが一番大切なことですから。中国などからの引き揚げてきた人たちが何人もマンガ家になりましたね」と、海外での経験を含めて語ってくれた。

「それくらいたくさん引揚者がいたってことなんでしょう」と、ちば氏。「私と一緒に引き揚げてきた仲間の中からマンガ家がたくさん出てるんですよ。あれは不思議ですね。森田拳次さん、北見けんいちさん、もう亡くなったけど赤塚不二夫さんなど、戦後のマンガ界で大活躍した人たちの多くが引揚者です」

大陸の文化に触れた感性と誰も経験したことがないような苦労を重ねて生き延びてきた引揚者たち。幼いこどもたちも戦争の残酷さを身に受けている。

「満州の泥沼の中を一年間も逃げて歩いた苦労とかね、私の母は4人の子どもをおぶって抱いて手を引いて。しかし、そういう子どもと一緒の家族は襲わないんですね。子どもたちが一人も欠けることなく帰れた。みんな栄養失調になりましたけど、よく帰れたなと思います。帰ってきてから家族みんなが具合が悪くなり、特に両親が相次いで大きな病気をしましたね」

上野孝子学長と語る

学生がすごくいい

「先日、園遊会に招かれまして天皇陛下、皇后陛下とお話する機会を得ました。陛下から『日本のマンガが今、海外ではとても注目されていますね』とお言葉をいただいて、とても嬉しかったですね。皇太子殿下は私のマンガの作品のタイトルをいくつか挙げてくださいました。えっ! 皇太子殿下もマンガを読むんですかってお聞きしたら、皇室でも楽しんでいる人がたくさんいらっしゃいますよって言われました。皇室にはマンガなんて一冊もないと思っていたので驚きましたね」

現在、ちば氏は文星芸術大学マンガ専攻教授として、マンガ家を志す学生たちを教育指導している。

「マンガを描くっていうのは、とても夢があって楽しいことなんだけど、迷いやすいし、すぐに壁にぶつかるし、自信もなくなる。デザインや油絵などの絵画もそうだと思いますが、これでいいのかなって、いつも迷いながらやる仕事なんですね。だからできるだけ私はいいところを見つけて、キャラクターがいいね、表情がいいね、セリフがいいね、テーマがいいねと励まします。いいところが必ずあるから、いいところをできるだけ伸ばしてあげようと、他の先生とも話をしています」。有名雑誌を出す出版社は、プロの世界だからとても厳しい。ダメ出しがたくさん出る世界だからという。

「巣立つ前の大学では、できるだけ自信をつけてあげたい。ただ、ちょっと自信を持ちすぎている子には、こうすればもっと良くなるよと教えます。ほめるばかりじゃないが、できるだけ自信を持たせてあげたい。そうするといいところがぐぐっと伸びることがあるんです」

少年マンガ、少女マンガ、青年向けやレディスコミック、時にはファンタジーなどのそれぞれのジャンルの教員が、マンガ家への夢を抱く学生を、丁寧に指導している様子が目に浮かぶようである。大学で手取り足取り指導する教授陣を信頼して、頑張っている生き生きとした学生の姿を見ることができる。

「学生がすごくいい、素材がいい、みんなとってもいい才能を持っている」

「文星芸大COMICステラ」(非売品)

文星芸術大学

表現の自由を守っていく

今、世界各国で見られているマンガやアニメーションの約60%が日本の作品といわれている。「たぶん海外では日本の作品だと知らない子どもも多いんです。自国の人が作ったものだと思っているんですね」

日本のマンガが翻訳されて海外の書店で多数販売されていることや、日本のアニメーションの上映が好評であることなどは、特にこの数年、国内外でも知られるようになった。

「こういうマンガやアニメの文化が育ったのも日本には昔から『鳥獣人物戯画』や絵巻、浮世絵などを楽しむ文化があったからです。のびのびとした表現です。何でもバネにしちゃう。日本に生まれたことも感謝ですし、先輩たちの血を受けて継いだ約60%のマンガやアニメーションが文化になりつつあるということも感謝ですね。それを後輩たちにできるだけ伝えたいと思っています。文化も下手するとすぐ壊れたり消えたりする。おおらかな表現の自由を守っていくと、まだまだ可能性があります。今まで紙の本だけで表現していたのが、今はインターネットや電子書籍など、いろいろな形で表現できますし、それらによって世界中に発信できます。新しい表現の仕方で若い人たちの新しい才能が、これからもたくさん出てきます」

若き後輩たちへの眼差しが実に温かく、心から嬉しそうに語る。ちばてつや氏のマンガ家としての、また芸術大学教授としての使命は、まだまだこれから長く続いていくようである。

上野孝子学長とちばてつや氏

ちばてつや

社団法人日本漫画家協会理事長

第3回講談社児童まんが賞「1・2・3と4・5・ロク」

第7回講談社出版文化賞「おれは鉄兵」

第6回日本漫画家協会特別賞「のたり松太郎」

第23回小学館まんが賞「のたり松太郎」

2001年 文部科学大臣賞受賞

2002年 紫綬褒章受章

2012年 旭日小綬賞受賞

主な作品:「ちかいの魔球」「1・2・3と4・5・ロク」「ユキの太陽」「紫電改のタカ」「ハリスの旋風」「みそっかす」「あしたのジョー」「おれは鉄兵」「あした天気になあれ」「のたり松太郎」など

現在、マンガ家、文星芸術大学教授

文星芸術大学HP:www.bunsei.ac.jp/