アートセンターサカモト 栃木文化社 BIOS編集室

「BIOS電子版」No.3

舞台女優-坂井 あき-

「ニューヨークをめざそう」。19歳で故郷を離れた時から、そう心に決めていた。東京の劇団『ザ・スーパーカムパニー』で演劇の基礎を身につけ、武者修行の路上で芸を磨いた。舞台は「観客に満足してもらえるショータイム」と言い切る。舞台女優「坂井あき」の信念である。

女子高生時代

演劇の道を志したのは「小学校の学芸会で味わった拍手が忘れられなくて」と、多くの俳優たちがそうであったように、こども時代の体験が夢へとつながった。

坂井は1970年代後半の高校生時代、宇都宮市内にあった『仮面館』というライブハウスに出入りしていた。ステージは、中島みゆき、南正人、なぎらけんいち、森田童子らプロミュージシャンが、狭い客席にぎっしりと座った観客を前に熱く歌っていた。地元のアマチュアバンドや、宇都宮大学、獨協、自治医科大学の学生バンドも定期出演。一人芝居、パントマイム、舞踏、シンポジウム、映画会、落語等、連日多彩な企画が上演され、「文化発信の拠点」と、地元メディアをにぎわせていた。地元出身の作家「立松和平」も、ときどき顔をだしては支援してくれた。

当時の女子高生にとっては、この大人の世界は刺激的で魅力的な場であった。若いからこそ観るもの聴くもの何もかもが吸収され、自然に感性は磨かれていった。「大人たちが、よくめんどうをみてくれました。広くて深い大人の世界へ踏み出す入り口でした」

ニューヨークへ

坂井には劇団所属時代に大切な出会いがあった。ひとつは、「公演を観にきてくれた三宅裕司さんから『うちの劇団にきてほしい』と言われて」と。演劇人のトップから声をかけられたことから勇気付けられ、その後の活動への自信となった。だから、そのときの出会いの言葉を大切にしている。

そしてもうひとつは、劇団で志を共有する生涯の友との出会いである。やはり同じくニューヨーク公演をめざしていた「島袋ぢぇみ」と、のちに加わる「りま」である。

85年、ぢぇみと2人で劇団を結成してニューヨークへ飛んだ。当時、世界中のアーティストがニューヨークに集まって路上でもしのぎを削っていた。「ニューヨークでの路上パフォーマンスの第1回め、あまりの緊張に気を失いかけました」。ブロードウェイのオフオフオフにも出演できた。着物をまとった日本的な舞台「オカメ・ヒョットコストーリー」はニューヨーカーにうけて、拍手喝采が鳴り響いた。めざしていた夢がかなえられつつあったが、「まだまだ」と思った。

「Show和がーるずん」誕生

2人だけの劇団はぢぇみの結婚で中断。やがて坂井も結婚し、家事と子育てのかたわら司会やモデル業を続ける。しかし坂井のいう「一発勝負の舞台」の魅力は忘れることができない。そして25年の時を経て、3人の劇団「Show和がーるずん」が誕生した。文字通り昭和の時代から見た平成のこっけいさを演劇で笑い飛ばす。ミュージカル、コメディー、パントマイムを組み合わせた創作である。昨年、東京での第1回公演は「思わぬ大喝采に驚き、感動した」。笑いの中にエスプリのきいた「円熟した舞台」は好評であった。

3月6日〈日/17:30開演〉に坂井の故郷宇都宮で第2回めの公演を打つ。生まれてから18歳まで生きてきた懐かしく思い出深い故郷で再び舞台に立つ。「生き別れになった父へのオマージュ……」と。魂を込めた舞台となる。夢は「Show和がーるずん中毒者を増やすこと」と大きく笑った。舞台女優「坂井あき」の真剣勝負の新たな幕開けである。

【写真提供:とちぎ朝日】