アートセンターサカモト 栃木文化社 BIOS編集室

「BIOS電子版」No.35

第33次南極地域観測隊・観測隊長兼越冬隊長、プランクトン研究者-福地 光男-南極越冬隊長と作家

広い分野から南極を見る

前北海道大学東京オフィス所長である福地光男さんは、1947年に生まれ、高校まで栃木県宇都宮市で過ごした。北海道大学水産学部を卒業し大学院水産学研究科を修了後、75年から日本南極地域観測事業の中核機関である「国立極地研究所」に勤務、以来南極および北極の海洋生態、特にプランクトンの研究を推進してきた。80年に米国アラス力大学海洋研究所で招聰研究員として過ごし、83年にはオーストラリア南極局で来訪研究員として滞在した。日本南極地域観測隊として5回、また、アルゼンチン南極観測隊への交換科学者として南極に渡っている。92年、第33次南極地域観測隊の隊長兼越冬隊長を務め、北極域も含め数多くの研究航海に参加し、アラス力大学の海洋研究船の調査航海リーダーを務めている。

「私がはじめて南極に行ったのは1976年です。その後8回ほど行きましたが、2007年の1月、南極観測50周年記念に栃木県宇都宮の中学・高校で同級生だった横松君を誘って南極に行ってもらいました。その当時、僕は国立極地研究所の副所長をしていましたので50周年記念事業をいろいろと考えていたんです」

「横松君」とは、2010年2月に他界した作家、立松和平のことである。高校卒業後、立松は早稲田大学に進み、作家としての道を歩む。

「第33次越冬隊長の任務を終えて帰ってくると、知床の彼の別荘に引っ張り出されてNHKの番組に一緒に出演しました。30分くらいの対談の番組でしたが、その中で『お前一度南極行ったほうがいいぞ』と言ってたんですね」

高校卒業以来、約20年ぶりに再度親交を深めることになった。その後の2007年は、1957年の昭和基地設立からちょうど50年の節目であった。

「記念事業として企画をした中の一つに、自然科学者だけの南極ではなくて、もっと広い分野の人に南極を見て欲しい、見たものを発信して欲しいということで、同級生の立松に南極行きを頼んだのです。現在、日本科学未来館館長で宇宙飛行士の毛利衛さん、女性の目ということで登山家の今井通子さん、この3人を送り込んだのです」

日本南極観測50周年を記念する事業を推進する一環として、作家立松和平氏らを空路で昭和基地へ派遣し、現地からテレビ同時中継を2日間にわたって行うことになった。

福地さん、第33次越冬隊隊長として南極へ

南極に行った男たちが世に残したもの

「日本から空路でケープタウンまで行って、ケープタウンから南極に行くだけの航空路があるんですね。各国の観測隊がお金を出し合って運行している飛行機があります。それでケープタウンから一番近いノルウェーの基地に飛んで、そこから小さな飛行機に乗り換えて昭和基地まで飛び石のように飛んで行きます」

他分野からの3人のVIPたちは約10日間の南極滞在となったが、この時福地さんは国立極地研究所の後輩の本吉洋一氏に3人を託して送り出す側で同行はしなかった。

「夏の間の1、2週間は昭和基地にいるので、越冬が終った連中とこれから越冬する連中が大体数十名位いるんです。いろんな仕事をしている。オーロラ観測、生物の観測、あるいは気象や雪氷の観測。夏だから忙しいんですが、立松はその合間を縫って設営を含む様々な分野の隊員にインタビューして歩いたんですね。観測隊員に『今ここで何やってるんですか』『何が分かるんですか』など、事細かに取材してそれをまとめました。氷の層が何メートルあるとか、あやふやじゃいけないというので、帰って来てから原稿を僕に送ってきて、数字の誤りがないか確かめてくれと言われました。南極観測が地球環境の最前線で何をしているか、自分なりに感じたことをルポルタージュっていうんですか、観測隊の生の声を短時間の取材の中でまとめてくれたなと思って感謝してます」

立松が詳細にルポして活字にしたのが『南極で考えたこと』(春秋社/2007年11月発刊)であった。もう一冊発刊されたのが『南極にいった男』(東京書籍/2008年5月発刊)で、明治のころに大隈重信の援助で初めて南極行った白瀬矗を書いている。

「白瀬さんはいろいろ寄付を仰いでいったんですが、結局帰って来てから借金を抱えて、それを何とかするのに『南極記』という分厚い本を出しているんですよ。これは最近イギリスで英訳にもなったのですが、『南極記』を昭和基地で彼は初めて目にしたのではないかと思います。白瀬さんのことは知っていたと思いますが、明治時代にこういう気骨のある人がどんな思いで南極にきたのかと改めて思いをめぐらしたことでしょう。立松は『南極記』を昭和基地から一冊貰ってきました」

福地さんが立松を南極へ誘ったことによって、二冊の著書『南極で考えたこと』『南極にいった男』が世に出されたのであった。

その頃福地さんはオーストラリア南極局との共同で、日本独特の魚拓という手法によリ、南極の魚類を一般的に紹介する『南極色彩魚拓図録』(06年発刊)を英文と和文で出版していた。

第33次越冬隊員たち

仲間でつくったお芝居を楽しむ

氷山の上での極上の流しそうめん。早く食べないと凍ってしまう

露天風呂、最高の憩のひと時。創意工夫の極み

福地さん、大物のライギョダマシを釣る

「南極観測船しらせ」のヘリコプター甲板でテニスを楽しむ

南極山水

「立松とは中学校と高校が一緒だった。記憶はないんですが、記録を見るとその前の幼稚園がどうも一緒だったらしいことが最近判明しました。中学の担任が理科の先生だったからかな?理科展というのに応募して金賞を取ったんですよ。賞状が残っていました。それがたまたまNHKの『同級生を訪ねて』という番組で紹介されたんです。僕がてっきり班長さんで、彼が手下だと思っていたんですが、賞状を見たら『横松和夫他2名』となっていてがっくりきました。僕は魚釣りが好きで北海道大学の水産に行ったんですが、ずっと理系にいたので、きっと僕が班長だったろうと思っていたら、彼が班長で、小説家になって……、どこで心変わりしたかなと思った。高校に入るときは理系と文系に分かれるから、その時点で彼は文系に決めていたんですね。さっきのNHKの取材のとき、実は鬼怒川の淵で当時を振り返るそんな風景があったんですけど、『魚釣りは俺が教えた』というと、立松は『イヤ違う、俺が教えたんだ』と、『いや俺が教えたんだよ』って、ちょっと言い合いになりましたよ」

理科展に応募した中学の時以来あとは同クラスになったことはない。幼稚園と中学高校の同級生でも親しく交流したのは一年ぐらい、釣りを一緒にしたことくらいの付き合いだったという。高校から約20年もの空白のときがあった。

「それがある日突然、彼が『ニュースステーション』に出て栃木弁を全国区にした。売れてよかったなと心底思いましたね。彼は私が南極越冬隊長をしていることをどこからか聞いたのだと思います。実に20何年ぶりに電話が来たんですよ。『NHKの番組に出てくれないか、知床まで遊びに来れるか』と。知床での対談で一緒に出演しました。人の出会いというか付き合いは大事なものだとつくづく思いました」

2010年2月に立松和平は逝去。福地さんは12年4月に国立極地研究所を退職後、極地研と東京海洋大学の特任教授、13年から北海道大学東京オフィス所長を務める。14年、福地さんはこれまでの成果をまとめた『南極海に生きる動物プランクトンー地球環境の変動を探る一』(共著/成山堂書店発刊)を出版した。

「さっき立松の著書をめくってみたのですが、やっぱり彼を南極に送ってよかったなとつくづく思いましたね。彼は氷山が浮かんでいる無味乾燥な真っ白い風景を見て『南極山水』という言葉を作ったんですね。枯山水に通じるんでしょうけど、私たちは氷山があるとしか見てないが、真っ白い中にポツッとある氷山見て山水を思い浮かべたというのは、やはり単なる小説家じゃないなと思いました。彼の中にどこか仏教の心を感じました」

2016年、北海道大学東京オフィス所長を退任後、この8月20日に故郷宇都宮で開催された『「立松和平」夏休み!シンポジウム南極にいった男』(主催:立松和平記念館設立準備会)の講演者として迎えられた。立松和平の長男で作家の横松心平さん、長女で画家の山中桃子さん、宇都宮大学名誉教授の高際澄雄さん、元参議院議員谷博之さんらと故立松和平氏の活動を後世に伝えるための記念館設立の協力を呼びかけ、故郷の聴衆を前に、興味深い南極の話と今は亡き友「立松和平」を語った。

立松和平、南極にて(横松美千絵さん提供)

『南極で考えたこと』『南極にいった男』立松和平著

シンポジウムで講演する福地光男さん

南極観光クルーズにて(2014年)

立松和平記念館設立準備会で話をする福地さん

シンポジウムの会場

南極について講演する福地さん

立松和平と南極に行った本吉さん(左)を紹介する

立松和平シンポジウム。左から谷博之さん、横松心平さん、福地さん、高際澄雄さん

山中桃子さんのライブペイント

山中桃子さん(前列右から3番目)の絵の前で。「立松和平記念館」設立準備会の理事、スタッフと福地さん(前列左から2番目)

*『南極海に生きる動物プランクトン-地球環境の変動を探る-』
福地光男,谷村 篤,髙橋邦夫 共著/極地研ライブラリー/発行所:㈱成山堂書店/定価2500円+税

*『南極色彩魚拓図録』
長瀬望秋 色彩魚拓制作/福地光男,ハービー・ジェイ・マーチャント 編著/発行所:テラパブ/定価8500円+税(左:日本語版/右:英語版)

(取材2016年8月20日)

福地光男(ふくち みつお)

1947(昭和22)年、栃木県生まれ

水産学博士、北海道大学大学院水産学研究科博士課程修了

現職:国立極地研究所名誉教授、総合研究大学院大学名誉教授

   国立極地研究所特任教授、北海道大学特任教授

   オーストラリア・タスマニア大学客員教授

専門:極域海洋生態学

著書:『南極の科学』7.生物(分担執筆、国立極地研究所、東京プレス)

  『南極色彩魚拓図録』(共同編集、テラパブ社)ほか

「立松和平記念館」設立準備会事務局

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