アートセンターサカモト 栃木文化社 BIOS編集室

「BIOS電子版」No.50

ピースうつのみや、37年間の活動の集大成を刊行

2022年7月3日~6日、宇都宮市中心部のオリオン通りにあるオリオンACぷらざで「宇都宮空襲展」が開かれた。宇都宮空襲展は市民団体「ピースうつのみや」が1985年~2019年の35年間、毎年欠かさずに開催してきたが、新型コロナウイルス蔓延の影響で2020年、2021年は中止となり、36回目の今回は3年ぶりの開催。会場では、刊行したばかりのピースうつのみやの活動の記録『クロニクル ピースうつのみや 市民平和運動の軌跡 1985-2022』(アートセンターサカモト)も並び、参観者の注目を集めた。

佐藤信明事務局長(左)と田中一紀代表(右)

3年ぶりの「宇都宮空襲展」

1945年(昭和20年)7月12日深夜、米軍B-29爆撃機の攻撃で宇都宮市の市街地の大半を焼失し、620人以上が犠牲となった「宇都宮大空襲」。宇都宮空襲展は、空襲の実態を後世に語り継ぎ、戦争と平和の問題を市民に問いかけるため、戦後40年の節目の1985年から開かれ、年を追うごとに展示資料を増やし、空襲の実態を視覚的に伝えるために斬新な展示物を制作して継続されてきた。

今回の展示では、宇都宮空襲の状況を描いた縦1.4メートル、横10メートルの「宇都宮空襲大パノラマ絵」、空襲直後の市街地の状況を立体模型で再現したジオラマがまず目につく。さらに投下された焼夷弾の部品や熱で変形した羽釜、溶けて岩のように一つになった無数の釘の塊などの貴重な実物、コックピットの操縦士まで丁寧に作られている米軍P-51艦載戦闘機(グラマン戦闘機)の10分の1サイズの模型やE46集束焼夷弾の実物大模型、空襲後の宇都宮市街地の様子が分かる数々の写真が展示された。また、空襲に関するデータ、ピースうつのみやの活動の記録などのパネル展示もある。

初日の7月3日は昼過ぎから雷雨となり、会場が一瞬停電するハプニングもあったが、次々と参観者が訪れた。

コロナ禍の中、2年連続で中止したこともあり、今年も直前まで開催の見通しは立っていなかった。春先まではイベント開催が可能かどうかも分からない状態で、準備も進められなかった。だが、ロシアのウクライナ侵攻で、多くの人が戦争と平和について考えている今こそ必要だという思いもあり、短期間の準備で開催にこぎつけた。

ピースうつのみや代表・田中一紀さんは「ロシアのウクライナ侵攻は、私は第3次世界大戦の始まりという見方をしている。地球上の人々が見ている状態で進んでいる戦争。宇都宮空襲から77年経つが、先の戦争もなぜ止められなかったのか明確にならないまま今日につながっている。そういう状況の中で宇都宮空襲展を開いた意義は大きい」と話す。

ピースうつのみや事務局長・佐藤信明さんは「あのような形で露骨な侵略戦争が起きるとは思ってもいなかった。いままで我々が取り組んできたのは何だったのかという絶望感もあった。同時に何とかしなきゃいけない、改めて戦争と平和を捉え直す必要があると思い、開催を決めた」と強調する。

若い世代からのメッセージも

空襲展会場には、メッセージを書いたカードを貼り付けるコーナーがあり、初日からロシアのウクライナ侵攻に関わるメッセージが多く寄せられていた。参観した児童生徒が書いたメッセージもあった。

また、立体的な展示の工夫が若い世代にも分かりやすく戦争の実態を伝えている。E46集束焼夷弾は弾頭に筒状の爆弾を積んでおり、それが空中で弾けてバラバラと地上に降ってくる仕掛け。会員手作りの実物大模型がその仕組みを伝えている。焼夷弾頭頂部の35キロの重し、焼夷弾内部に仕掛けられた筒状の小型爆弾など実物に触れることもでき、戦争の怖さを実感できる。

初めて空襲展を参観した宇都宮共和大2年の藤田虎流(たける)さんは「実物や模型を見ながら説明を聞いて、空襲で620人以上が亡くなった衝撃を改めて感じた。(展示物に触れることで)こんな重い物がいきなり落ちてきて、焼夷弾がバラバラになって火災を起こし、逃げようもなかったことも分かるし、米軍が現実に殺傷効果を狙って爆弾を開発したことも分った」と話す。

藤田さんは学生ボランティアサークル“町おこしTiger”でさまざまな関係者と協力し、宇都宮空襲のあった7月12日に空襲犠牲者を追悼する「宵まち宮灯ろう」を企画。その開催に向けても「ここで見て聞いたことを心に留め、しっかりと空襲の恐ろしさを伝えていきたい。(「宵まち宮灯ろう」では空襲体験者による講話も企画し、)空襲体験者は戦前、戦時中、戦後を知っている存在だと改めて気付かされた」との決意も新たにした。

貴重な資料、保存活用が課題

空襲展会場には刊行されたばかりの『クロニクル ピースうつのみや 市民平和運動の軌跡 1985-2022』も並んだ。ピースうつのみやの37年間の活動を網羅し、記録として残した集大成である。

「クロニクル」とは「年代記」であり、会に残る記録を整理し、網羅した一冊だ。

宇都宮空襲展、ピースバス、犠牲者追悼灯籠流し、語り継ぎ活動といった会の主要活動を柱について記載し、収集資料、制作展示物、刊行した書籍、活動に関わった人々の記録などを掲載している。また、歴代事務局長3人の座談会でこれまでの活動を総括している。

ピースうつのみやの前身・宇都宮平和祈念館建設準備会の立ち上げに奔走した田中さんは「今回、出版した本に活動してきた成果は込められている。活動は宇都宮空襲を体験していない我々(引き揚げや移住で戦後、宇都宮に移ってきて)が始めたが、運動の広がりによって空襲体験者が声を上げ、平和を求めるメッセージを発信するようになり、それを我々が支えるような活動になったことは大きな成果だ」と言葉に力を込めた。

佐藤さんも発足時からのメンバー。「いろいろな人材が集まり、整然とした活動ではなかったが、その分アイデア、若さで勝負した。全国的にもユニークな活動として注目された。やりがいはあった」と振り返る。

7月1日には栃木県庁で田中さんと佐藤さんが記者会見し、今回の出版を報告した。

佐藤さんは「コロナ禍で活動できなかった2年間を利用して、これまでの活動内容をまとめてきた。また、会員が高齢化していることもあり、できるうちに作りたいという思いもあった。記録をまとめることで、記憶が甦ることもある。当時の社会情勢もみて、時の流れも感じるし、当時の活動を振り返ることもできた」と経緯を説明した。

また、今回の出版では、活動を見直すことで課題も明確になってきた。

田中さんは「全国的に同じような市民団体にも言えるが、第一世代が高齢化すれば活動も跡絶える。これは時代の流れでは済まされない問題だと思う。永続的な活動をどう担保するかという点が欠けていた。それが我々の弱点だった。今風にいえば、経営感覚が欠けていた。ボランティア精神は優れているが、それ以上のものではない」と指摘する。特に空襲に関わる資料、戦時中や戦後の生活に関わる資料は貴重なもので、市民から寄贈された物も多い。今後の保存と活用、継承が大きな課題だ。

記者会見では、会員の高齢化が進む中、活動をどのように次世代に継承していくのかという質問も出た。田中さんは「同じように引き継いでほしいとは思っていない。我々の活動の財産である資料や記録を自由に使って、次の世代の人たちがそれぞれの活動をしてもらえばよいのではないか」と話す。

そのためには、ピースうつのみやが所有する資料などを可視化し、利用できる態勢を整えたいとも考えている。活動記録の集大成はその第一歩でもある。

書籍発行の記者会見にて

会場では書籍と連動した座談会の動画も放映された

『クロニクル ピースうつのみや 市民平和運動の軌跡 1985-2022』


書籍情報

・書籍名:クロニクル ピースうつのみや 市民平和運動の軌跡 1985-2022

・編集:ピースうつのみや

・発行所:有限会社アートセンターサカモト

・〒320-0012 栃木県宇都宮市山本1-7-17

・TEL:028-621-7006 FAX:028-621-7083

・ISBN 978-4-901165-30-3

・価格:1,980円(税込。本体1,800円)



ピースうつのみや

ピースうつのみや

「ピースうつのみや」は1985年(昭和60年)発足の「宇都宮平和祈念館建設準備会」を前身とする市民団体。1996年(平成8年)に「宇都宮平和祈念館をつくる会」と改称し、2015年(平成27年)に「ピースうつのみや」に再度改称した。

宇都宮で平和運動を展開し、「宇都宮空襲展」「ピースバス」「空襲犠牲者追悼灯籠流し」「語り継ぎ活動」などの活動を継続してきた。宇都宮空襲や戦時中の市民生活に関して資料収集、戦跡調査、書籍の発行と幅広く戦争と平和の問題に関わってきた。