アートセンターサカモト 栃木文化社 BIOS編集室

「地域レポート」No.9

「継続しないようなら意味がない」-「ピースうつのみや」代表 田中一紀さん-

日本の太平洋戦争敗戦後70年の今年、4月から「ピースうつのみや」代表として平和を基にさまざまな企画に取り組む田中一紀さん。毎年「平和祈念館をつくる会」として開催していた宇都宮空襲展だが、今回から「ピースうつのみや」の名称で主催した。「第31回宇都宮空襲展 やっぱり、戦争ダメだよね!」(オリオンACぷらざ/2015年7月19日~26日)の会場で話を伺うことができた。

―今回、なぜ団体名称を変更したのか、その意図は?

実は団体名を変えたのは三回目です。1985年に『宇都宮平和祈念館建設準備会』の名称ではじまり、それから『宇都宮平和祈念館をつくる会』に変更、そして今回『ピースうつのみや』に変えました。名称変更の理由のひとつに、平和を求める他団体の人たちとのコンタクトをとりながら、広く平和の問題について考えて行こうという思いがあります。通算で30年、今年で31年目になります。

こういう時代になってきているので、個別の「たこつぼ」状態であっては広がらない、平和を追求する諸団体との連携というかコミュニケーションを図る、そしてそれぞれの良さが生かされるような、もっともっと多くの人が手を繋げられるような、そういう行き方をしてみようというのが、大きな変化になったのです。

そのためには自分たちの持っている良さはいくらでも活用してもらいたい。30年の歴史の中で持っている資料や財産は、それぞれ必要な所で利用していただいて繋がっていきたいと思っています。

これまでそういう点では「宇都宮空襲の体験、戦争体験」などに目がいきがちで、主張もそういうところになりがちでした。そうすると戦争体験空襲体験をしていなければ参加できないみたいになりがちですから、それでは不十分です。これまでの歴史は若い人も年配の方もそれぞれの時代を共有しながら生きてきているわけですから、そういう中で今問われていることについて、若い人も年配の人も、どう感じているのか、共通項を広げていかないと、次の世代の人たちの意見も聞かないままに終わってしまう。若い方も自分の主張していることを正確に知ってもらいたいということも当然あるわけですから。

その時代の背景に見合うような名称とか、活動内容を変化させていかなければならないと思うのです。

―幼児期の満州からの引き揚げの記憶など、人生に影響を及ぼした出来事は?

満州から引き揚げたのは6歳の頃ですが、強烈に印象のあるものは覚えているものですね。私の親が中国東北地方の満鉄にいたものですから、そういう関係の技術者が住んでいたアパートに家族といました。そのころでは最新の鉄筋コンクリート四階建てのアパートで満州は冬は寒いですから、部屋の暖房は最新鋭のペチカが設置されて快適な生活ができる。ところが、トイレは冬になるとコチンコチンに凍って使用がなかなかできない。そういう生活上のことはよく覚えてます。夏の暑い時にサトウキビ畑でサトウキビを食べながら寝ちゃったとかね。

引き揚げの時はやはり大変でした。引き揚げてきたのが47年ですから敗戦後2年間、満州にいて軍隊はゼロに近い状態で、いつ引揚げ船に乗れるのかもわからない。鞍山から大連までの列車から、また葫蘆島へ行くまでの列車に乗るわけですが、全部貨物列車で、いつ動くかもわからないし、雨風の心配もあるし、現地の中国人から襲われるんじゃないかと戦々恐々とした状態でした。もちろん財産はほとんど持って行けない。手で持ってこられる範囲のものしか持ち帰れない。そんな状態で、まっすぐに帰ってこられるのではなくて、途中で何回も列車が止まり、今では考えられないような生活を余儀なくされて、やっと日本を目指す港についた。両親と妹が一人いて弟が生まれたけれど亡くなりましたね。引き揚げ先は貨物船で、今考えるとアメリカが手配した貨物船やなんかで日本を目指すのですが、日本の島影が見えてきたら飛び込んで自殺する人がいたり、船の中でもそういう事態を見たりしていましたから、今思えば、子どもなりにそういう異常な、インパクトがある体験をたくさんしましたね。

そして、物心ついて、大学(宇都宮大学農学部農業経済学科)に入って一番生意気盛りの時に、親世代の方とよく議論したのがその後の人生に大きく影響したかな?戦争について、なんで親の世代は反対できなかったのか、その議論は親ともやりましたし、親戚一同がお正月に集まると必ずその議論なんです。私たち若いほうは「止められなかった理由を教えろ」って粘って……。こんなことが毎年正月のたびに数年は続きました。そういう中で「やっぱり戦争しちゃだめ」っていうことだけは、私自身の中にはっきりとつくられてきましたね。

―戦後70年の今年の「ピースうつのみや」は?

戦後70年というのは大きい。去年の暮れ辺りからマスコミがいろいろ特集を入れていましたね。ということで5月に主催した宇都宮市内の戦跡を巡る「ピースバス」に、各社のマスコミが来られて、それもスタートから終りまで付き合ってくれました。今までは大体途中ちょっと写真撮ったりインタビューしたりしていたのが実態だったのですが、今年は熱の入れ方が違う。このくらいマスコミも熱心にやってくれていればかなり違いますが。

そういうこともあって「ピースバス」に応募してこられた方が大勢いらっしゃって、断らなくてはならないくらいの事態が生じたのは、嬉しい悲鳴ですが、逆にこれが一過性で終わってしまうことの恐ろしさを凄く感じてはいます。夏の行事として終ってしまう側面は避けられないけれど、一度来てもらえば残るものがあるかも知れないと、期待をしながらやっています。何年か経たないと本当の結果は出ないと思いますが。そこまで続けていく気力、体力、財力など、そういうものが伴っていないと継続するのは難しいわけです。

この会を30年続けてきた最大の理由は、会の最初の代表をしていただいた徳田浩淳さんがおっしゃっていた「継続をしなければだめ」という言葉にあります。約40年前頃から、7月、8月の時期になると徳田浩淳さんの所へ「宇都宮空襲はどうだったのか」と必ず取材がきたそうです。そういった関係で徳田浩淳さんはイベントへ駆り出されて体験談を語っていましたが、彼は一過性で終わることに非常に難色を示していました。この会がスタートするときに「継続しないようなら意味がない」と、頑なに代表になることを拒まれた時期がありました。

徳田さんが亡くなってすでに24年くらいになりますが、私は徳田さんの意志を聞かされて育ってきました。だから中途半端に終わるわけにはいかない。「継続をしなければだめ」というのが一番のキーワードになっています。

―「ピースうつのみや」のこれからは?

今年の空襲展に若い方が結構来られています。話をしていて捨てたもんじゃないんじゃないかと、すごく感じるようになりました。

先日、石橋高校の3年生の方がいろいろ聞きたいということで話をする機会がありました。3月に沖縄にグループで行って、辺野古など全部見てきたらしいのですが、胸に響くものを汲み取って帰って来て、もっと知りたいということで訪ねてくれました。それで「今の安倍内閣がやってる安全保障どう思いますか」なんて質問してくる。そういう青年などが育ってきています。

宇都宮大学国際学部の学生さんは5月に私たちの主催の「ピースバス」に参加して、「宇都宮空襲犠牲者追悼-燈籠流し」の時には後輩を誘ってきてくれて燈籠流しを手伝っていただきました。捨てたもんじゃない。それ以上です。

私たちがやる仕事は終わってるなと思っています。問題はそういうこれまで積み重ねてきた財産をどう活用して、次に向けてどうやって情報を出していくのか、どういう訴えをするのか。若い人の力でやって欲しい、もう私たちはいいよと、これだけの財産を好きに使ってもらいたいと思っています。そういう若い世代に渡したい。

この貴重な資料をどう保存するかということを考えた時に、行政が協力する義務があるのではないか、貴重な財産を生かして守っていく点では、行政は「知りません」ではだめではないかと思います。若い人たちが頑張っていけば我々の年代では動かなくとも、次の年代で行政を動かせるかもしれない。そういうことに繋げればいいと思っています。

そのためにも、ひとつにはイベント的な形で受け止められがちな段階をどう乗り超えて、専門家から研究課題に値するという評価が生まれるくらい会の存在が価値あるものとなっていかないことには、多分難しい面があると思います。そこは大学の専門家などからアドバイスや注文を出していただける関係がなければ発展はしない。井の中の蛙的な世間知らずの局面がたくさんあると思いますので、それは越えなくてはならない。自分たちの能力の限界、例えば資料の整理の仕方、保存の仕方などの専門の先生方の継続的な指導なども受けられる関係の中で、自分たちも成長していく、実践的にやってみるということです。お互いに努力して相互交換ができるような関係が結べれば最高だと思います。

若い方たちは自分個人ではなかなか越えられない。仲間というかグループなどで共有した共通の場みたいなものが必要です。次に繋がる、未来に繋がる場が必要ではないかなと思っています。

(取材:2015年7月23日)

田中一紀さん

被災直後の宇都宮の模型

戦時中および戦後(昭和38年)のマンガ雑誌

会場に吊るされたB29爆撃機の10分の1模型

展示された資料

資料を読む来場者

「ピースうつのみや」のメンバー。左から大塚房子さん、代表の田中一紀さん、大野幹夫さん、高島秀子さん、事務局長の佐藤信明さん、武石久男さん

ピースうつのみや

連絡先:〒320-0043 宇都宮市桜4-8-11 佐藤信明方

TEL・FAX:028-621-8778