アートセンターサカモト 栃木文化社 BIOS編集室

「電子版パリ通信」No.58

ファッションモデル、 ウォーキングコーチ-北 幸子【KITA Sachiko】-

パリ市内の友人宅で初めて北幸子さんに会った。「なんて背の高い人だろう!」と洗練された肢体に圧倒された。179cmという「伸びやかな背丈」と「愉快で良く笑う人」ということで印象深く、ファッション界をリードする華の都パリでモデルとして活躍してきた個人史も興味深く、インタビューを申し込む。

生粋の江戸っ子。もちろんご両親も日本人。日本人女性としては恵まれた身長のうえ、モデルらしい歩き方はパリでも思いっきり人目を引く。パリ、ミラノ、ニューヨーク、そして東京などで世界のファッション界を相手に仕事をしてきた北さん、ショーの他にもテレビ、ラジオ、映画などに出演し活躍して現在に至るが、その自信にあふれたエネルギーはインタビュー中にも大いに感じとることができた。

ファッションモデル、 ウォーキングコーチ 北 幸子

筆者トモコと

夢はいろいろな人に変身すること

北さんは1992年からパリに在住し現在「インターナショナルな人間に」「50代から更に美しく」と心身共に健康と美を追求している。ユニセフ・フランスなどで社会貢献の活動を行なっているが、小原流華道、裏千家茶道の教授資格を併せもちパリでの活動に役立てている。

ファッションモデルとして三宅一生、山本寛斎、コムデギャルソン、ヨウジヤマモト、森英恵、コシノヒロコ、島田順子、鳥居ユキ、他。バレンティーノ、ジバンシー、ウンガロ、モンタナ、ニナリッチ、ランバン、アルマーニ、ヴェルサーチ、フェレ、クリッツア、フェラガモなど、世界一流のショーで活躍してきた実績から、講演、テレビ、ラジオ、映画、雑誌などに取り上げられ、その活動の幅は大変広い。現在モデル養成講座などで後進の指導にあたるなど、ファッション界には欠かせない指導者の一人である。

「小学生の時は歌手に、中学生の時は女優に、高校生の時はファッションモデルになりたかったのです。中学3年の時、高校のバレー部から引き抜きがあり高校に入学し、バレー部に所属していましたが、将来の仕事は、芸能界しか考えらませんでした。年齢がすすむと夢も変化しますが、共通点は別な人間になれたら面白いなということです」

16歳の時、雑誌「女学生の友」のモデル募集コンテストを皮切りに、さまざまなコンテストを受けていった。1975年、18歳の時にはミス・インターナショナル東京代表として沖縄海洋博での日本代表選出コンテストに出ることができた。

「その後、ミス・ユニバースで大阪での全国大会に行きました。その時に審査委員であったあるカメラマンの推薦でモデルとしての道が開けました。以前からの夢でしたので、普段の自分ではない別な事が、できたのが嬉しかったです」

モデルの仕事で全身を綺麗に保つために、食事などにもいろいろと気をつけているのかと思って問うと、北さんからの応えは違った。

「私は何にも気をつけることなどないんです。食事は極自然に普通にしていますが、毎日のストレッチだけは欠かせません。モデルになりたての若い頃はこの身長で58kgでしたが、それでも太っているほうでした。子育てで母親をやっていた時は80kg以上になりましたよ。今は67kgくらいかな?」

見る限りどこにも贅肉がついていないスラリとした羨ましい限りのスタイルである。しかし、日本では少女の頃から背が高いという理由で「女の可愛らしさ」では勝負ができないと自覚したとか、パートナーはやはりヨーロッパで出会っている。

「1990年の1月と7月のパリとローマでのオートクチュールのショーでヨーロッパを訪れた際、現在の夫と出会い、出会って10日で結婚を決めて1年後に式を挙げたのです」と電撃結婚。現在、22歳の息子の母でもある。

1980年代の北 幸子さん。右端の青いドレスは Jean-Louis Scherrer のパリコレクション(1985年)

世界の日本人モデルの草分け「山口小夜子」との出会い

多くのデザイナーとの出会いでモデルの仕事では数々のエピソードがある。北さんはその一つを披露、山本寛斎のショーのときだった。

「山本寛斎さんのショーの打ち合わせの時、彼は私に、『あれっ、君、頼んだっけ?』『はい、頼まれました』と。メイキャップをして指定の洋服を着てスタンバイしていたら、彼は『アァ、やっぱり頼んだ人だ』ということがありました。嬉しかったです、それほど変われたんですもの」

そして決定的に影響を受けたのは日本人初の世界的スーパーモデルと謳われた山口小夜子との出会いである。

「世界有名デザイナー5名が集まり、当時東京表参道にあった森英恵ビルで行われた『ベストファイブ』」1981年の森英恵をはじめ世界5カ国のデザイナーのファッションショーでは世界中からモデルも集まりキャスティングが行われました。私は、ウンガロ(パリ)、クリッツア(ミラノ)、ビルブラス(NY)の3人のデザイナーに受かりました。1つのショーに25人ほどのモデルを使っていましたが、日本人は2、3人でしたね。確かウンガロのショーだったと思うのですが、ショー本番がはじまり同じシーンの出番が一緒であった山口小夜子さんが、私ともう一人の新人モデルにシーンの確認のため声をかけてきました」

驚いた。普通ならプライドがあって新人モデルなどには聞けないだろうと思ったからである。

「この時、日本で初めてのファッションショーの仕事で、そんな私に『どの様な順に歩くのでしたかしら?』って聞かれたんです。普通はそんなことは聞かないし、隠しておくのに不思議に素直な方でした。そんな小夜子さんだったから、私の前で出番を待っている彼女に、私は質問しました。あがり症の私は『小夜子さんはステージに立つときに上がってしまうということはありますか?』と。『上がることはございませんが、いつも緊張をしています』と。この一言がとても勉強になったのです。小夜子さんのまわりの空気は、いつも温かく柔らかい感じでした。街で偶然に見かけたときは、思わず小夜子さーん!と駆け寄ってしまったほど、人を惹きつけてくれる魅力的な人でした。そんな優しさの反面、自分に厳しくプロ意識の強い人であったことは、目に焼き付くほど心に深く残っています」

現在の北 幸子さん Master Modeles(Paris), Oasis Styling(Tokyo)所属

ウォーキングレッスンの様子

中身も美しい女性に

「生け花をやっていて気づいた事ですが、モデルのポージングと共通点を見つけました。ヨーロッパ人の足は真っ直ぐで2本の棒のようでただ普通に立っていても絵になりますが、私は日本人の足ですから、ただ立っているのではダメで、足は2本で一組と思い、どこから写真を撮られてもきれいに見えるかのポーズができるよう研究しました。つまり足元、花でしたら茎や付け根に注意する、と言うことです」

私(筆者トモコ)も昔、パリの語学学校のフランス人の先生に「日本人は魚を食べるので足が曲がっているの?」と聞かれてびっくり、「そんなの関係ないです、民族的な違いでしょう」と答えたことがあった。何年も後になって思い返すと語学校の先生はもしかしたら「水俣公害」が頭にあったのではないかと思ったものである。

日本人は、畳の部屋で、正座をしていた習慣が長く、家の中ではスリッパを履いて歩く。こんな歴史から、足の格好も歪み、ペタペタと歩く人が多いのではないかと感じる。

現在、北さんにはパリの「日本人クラブ」でウォーキングの指導もしていただいている。「良い姿勢ときれいな歩き方で健康と美を」ということである。

「歩くという動作は満1歳前後からキャリアを積んでいますので、直すことは容易ではありません。私は『意識革命から』 という事を提案しながら指導しています。また、さらに美しく見せたい高年齢の方たちの指導もしていますが、普通の人でも指導者について磨けば美しく変化していきます。姿勢の美しさは、年齢を問わない美だと思っています」

ファッションモデル当時は、海外のエージェントとのコンタクト、飛行機のチケットの手配などは、全て自分でやらなければならなかったという。それが現在の幅広く活躍するためにも大変役だっていると話す。

フランスでは70、80歳の美しいモデルも活躍している。高齢になっても魅力をさらに増すのには「どの様に生きてきたか」にもかかってくると話す。

「50歳代から美しくと……、そして今60歳、人生を考える年齢になってきたので、外見だけではなくて中身も美しい女性になりたいです」

取材後、セーヌ河をバックに

パリ市内で

TOMOKO K. OBER(パリ在住/画家)

TOMOKO KAZAMA OBER(トモコ カザマ オベール)

TOMOKO KAZAMA OBER(トモコ カザマ オベール)

1975年に渡仏しパリに在住。76年、Henri・OBER氏と結婚、フランス国籍を取得。以降、フランスを中心にヨーロッパで創作活動を展開する。その間、78年~82年の5年間、夫の仕事の関係でナイジェリアに在住、大自然とアフリカ民族の文化のなかで独自の創作活動を行う。82年以降のパリ在住後もヨーロッパ、アメリカ、日本の各都市で作品を発表。

主な受賞

93年、第14回Salon des Amis de Grez【現代絵画賞】受賞。94年、Les Amis de J.F .Millet au Carrousel du Louvre【フォンテンヌブロー市長賞】受賞。2000年、フランス・ジュンヌビリエ市2000年特別芸術展<現代芸術賞>受賞。日仏ミレー友好協会日本支部展(日本)招待作家として大阪市立美術館・富山市立美術館・名古屋市立美術館における展示会にて<最優秀審査賞>受賞。09年、モルドヴァ共和国ヴィエンナーレ・インターナショナル・オブ・モルドヴァにて<グランプリ(大賞)>受賞、共和国から受賞式典・晩餐会に招待される。作品は国立美術館に収蔵された。15年、NAC(在仏日本人会アーティストクラブ)主催展示会にて<パリ日本文化会館・館長賞>受賞。他。