アートセンターサカモト 栃木文化社 BIOS編集室

「精神科医のニア・ミス」No.119

役者が一枚上 ~急げ、映画『独裁者Ⅱ』~

小股の切れ上がったいい女がいる。身ごなし軽く背筋はピン、とても83歳には見えない。若い時分に踊りの真似事をちょいとねという独居。お金はある。ワクチンではファイザーかモデルナかと神経質だったが時事に通じ、先日は「プーチンの魂胆ねえ」とウクライナ侵略事件で気炎を吐いた。

ウクライナが先に手を出したからロシアは反撃している、学校や病院や原発への攻撃はウクライナの自作自演だと言い張り、「人道回廊」の避難民を爆撃してウクライナは自国民を人間の盾に利用している、停戦協議を拒否しているのはウクライナ、非軍事化と非ナチス化が条件とかぬけぬけと…そう、今朝、傷ついたウクライナの子供の写真にテレビの女子アナが声を詰まらせていたわ。現地の生々しい映像に世界中の目が釘付けになっているというのに、ドーピングと同じでプーチンもラブロフもウソ八百並べて恥じない…。

日本でも戦国時代はウソ調略が花盛りで、武田信玄は敵が四柱推命から戦わないと決めた日を狙って攻めたというけど、どうすりゃいいのかねえ。「プーチン暗殺」と彼女は囁く。あいつを呪い殺そうと護摩を焚いて祈祷している寺があるみたい。でも効果は今ひとつ。戦闘機を送る案は核兵器をちらつかされ欧米は腰が引け、撤退企業の国有化は「戦時法」で当然の権利といい、国内には「特別軍事作戦」で戦争ではないとウソをつく。制裁に加わった日本も非友好国リストに挙げられてビビる、世界経済から遮断されルーブルは下落、ソ連崩壊時に戻るというけど、ほんとにプーチンは歴史に名を残すわ…。


『紳士の品格3』



中国の小話を題材にした笹川陽平著『紳士の品格3』に『世界各国の選挙事情』というのがある。

米国「我々は午前に投票して夕方には誰が大統領に当選するかが分かる」。中国「我々は投票の1年前に誰が国家主席になるか知っていた」。北朝鮮「我々は投票しなくても小さい時から誰が首領になるか知っていた」。日本「年に何度も投票しているが、誰が首相になるかなかなか分からない」。ロシア「我々の国では大統領が疲れたら首相になる。首相に飽きたら大統領に戻る」。キューバ「国の指導者は交代できるものだろうか」


チャップリン『独裁者』



ウクライナのゼレンスキー大統領は元コメディアンだ。チャップリンがヒトラーを演じた『独裁者』のプーチン版を彼が演じて映画化し、急ぎ世界中に配給したらどうか。コメディアン最大の武器は権力者を笑い者にすること。プーチンより役者が一枚上の彼は口角泡を飛ばして演説する。

…兵士たちよ、獣たちに身を託してはいけない…奴らは君たちを仕込み、君たちを家畜として、単なる駒として扱うのだ…奴らはウソをつく。約束を果たさない…兵士たちよ、奴隷を作るために闘うな…理性のある世界のために闘おう…

『独裁者Ⅱ』はヒット間違いなし。収益はウクライナ復興に役立つ。ゼレンスキー大統領閣下、あなたの出番は今すぐ、銀幕です! (2022/3/16)

レター66


レター67

尾根白弾峰

尾根白弾峰(佐々木 康雄)

旧・大内町出身 本荘高校卒

1980年 自治医大卒

秋田大学付属病院第一内科(消化器内科)

湖東総合病院、秋田大学精神科、阿仁町立病院内科、公立角館病院精神科、市立大曲病院精神科、杉山病院(旧・昭和町)精神科、藤原記念病院内科 勤務

平成12年4月 ハートインクリニック開業(精神科・内科)

平成16年~20年度 大久保小学校、羽城中学校PTA会長

プロフィール

1972年、第1期生として自治医科大学に入学。長い低空飛行の進級も同期生が卒業した78年、ついに落第。と同時に大学に無断で4月のパリへ。だが程なく国際血液学会に渡仏された当時の学長と学部長にモンパルナスのレストランで説教され取り乱し、パスポートと帰国チケットの盗難にあい、なぜか米国経由で帰国したのは8月だった。

ところが今の随想舎のO氏やビオス社のS氏らの誘いで79年、宇都宮でライブハウス仮面館の経営を始めた。20名を越える学生運動くずれの集団がいわば「株主」で、何事を決めるにも現政権のように面倒臭かった。愉快な日々に卒業はまた延びる。

80年8月1日、卒業証書1枚持たされ大学所払い。退学にならなかったのは1期生のために諸規則が未整備だったことと、母校の校歌作詞者であったためかもしれない。

81年帰郷、秋田大学付属病院で内科研修を経てへき地へ。間隙を縫って座員40名から成る劇団「手形界隈」を創設、華々しく公演。これが県の逆鱗に触れ最奥地の病院へ飛ばされ劇団は崩壊、座長一人でドサ回り…。

93年に自治医大の義務年限12年を修了(在学期間の1倍半。普通9年)。2000年4月、母校地下にあった「アートインホスピタル」に由来した名称の心療内科「ハートインクリニック」開業。廃業後のカフェ転用に備え待合室をギャラリー化した。

地元の路上ミュージカルで数年脚本演出、PTA会長、町内会や神社の役員など本業退避的な諸活動を続けて今日に至る。

主な著作は、何もない。秋田魁新報社のフリーペーパー・マリマリに2008年から月1回のエッセイ「輝きの処方箋」連載や種々雑文、平成8年から地元医師会の会報編集長などで妖しい事柄を書き散らしている。

医者の不養生対策に週1、2回秋田山王テニス倶楽部で汗を流し、冬はたまにスキー。このまま一生を終わるのかと忸怩たる思いに浸っていたらビオス社から妙な依頼あり、拒絶能力は元来低く…これも自業自得か。