アートセンターサカモト 栃木文化社 BIOS編集室

「精神科医のニア・ミス」No.46

『短い祭りの終焉~ライブハウス仮面館』 ~宇都宮と水俣から~

20代後半の数年間、私は宇都宮のライブハウス「仮面館」に入り浸り、ついには「仮面館通信」の編集を手伝った時期もあった。秋田に帰り初期研修医を終えた頃、仮面館時代の友人を熊本県水俣の「相思社」に訪ねたことがある。相思社は水俣病裁判闘争の拠点として、患者支援を中心に多彩な活動をしていた。

相思社からやや遠くの小高い丘に不知火海(水俣湾)や天草諸島がよく見える「乙女塚」がある。演劇家の砂田明らが水俣病の犠牲となった全ての生類を慰霊するため1981年に創設した。石牟礼道子の『苦海浄土』を脚本化した「海よ、母よ、子供らよ」を砂田は80年6月に仮面館で演じている。乙女塚のための「勧進興行」で、蝋燭の灯りの中、能面をつけた熱演に圧倒された。

水俣を訪れた翌日は相思社の祭りだった。運ばれてきた山盛りの刺身はあっという間に消え、続々と幾らでも出てくる。米焼酎を飲んでいたら、裁判闘争の指導的人物で患者でもある川本輝夫が私のコップの中身を捨て、米じゃ水俣は分からんと芋を注いでくれた。砂田の科白に、「かかよい(妻よ)、飯炊け、おる(俺)が刺身とる」とあるが、同じ刺身を食べた水俣市内の住民が何ともなかったのに、この周辺の猫や住民に発症が集中したのは食う量が桁違いだからではないかと思ったものだ。

この10月4日、宇都宮で『短い祭りの終焉~』(アートセンターサカモト)の出版記念会があった。74年に仮面館を開店、98年に58才で亡くなった野添嘉久の妻すみが著した。子育てより70年安保闘争の若者らの世話で忙しい店のママだった。膨大な資料から丁寧に歴史を綴っている。仮面館は音楽を中心とするお祭り騒ぎライブの他に、水俣病や足尾銅山鉱毒問題など公害に関する勉強会を開き、無農薬栽培による水俣の産品販売もするなど何事もライブ調であった。数十年ぶりの彼らは社長やNPO代表、議員など結構な肩書で、みな若々しい。

医師国家試験を落第し続けた2年目の春、仮面館に行くと、「帰れ、佐々木、帰れ、勉強!」と安保反対みたいなシュプレヒコールで門前払いされた。当時はクソと思ったが、仮面館が82年5月に閉鎖する前年に受かって帰郷できたのは彼らのお陰である。落第の原因も…。

野添すみさんと筆者

昔の若者たちと筆者(右から2番目)

昔の若者たち

仮面館通信

『短い祭りの終焉-ライブハウス仮面館-』(1500円+税)

著 者:
野添すみ
発行所:
有限会社アートセンターサカモト 栃木文化社ビオス編集室
〒320-0012 栃木県宇都宮市山本1-7-17
TEL:028-0621-7006 FAX:028-621-7083
E-mail:artcenter.sakamoto@rapid.ocn.ne.jp
:office@bios-iapan.jp
URL:http://www.bios-japan.jp
尾根白弾峰

尾根白弾峰(佐々木 康雄)

旧・大内町出身 本荘高校卒

1980年 自治医大卒

秋田大学付属病院第一内科(消化器内科)

湖東総合病院、秋田大学精神科、阿仁町立病院内科、公立角館病院精神科、市立大曲病院精神科、杉山病院(旧・昭和町)精神科、藤原記念病院内科 勤務

平成12年4月 ハートインクリニック開業(精神科・内科)

平成16年~20年度 大久保小学校、羽城中学校PTA会長

プロフィール

1972年、第1期生として自治医科大学に入学。長い低空飛行の進級も同期生が卒業した78年、ついに落第。と同時に大学に無断で4月のパリへ。だが程なく国際血液学会に渡仏された当時の学長と学部長にモンパルナスのレストランで説教され取り乱し、パスポートと帰国チケットの盗難にあい、なぜか米国経由で帰国したのは8月だった。

ところが今の随想舎のO氏やビオス社のS氏らの誘いで79年、宇都宮でライブハウス仮面館の経営を始めた。20名を越える学生運動くずれの集団がいわば「株主」で、何事を決めるにも現政権のように面倒臭かった。愉快な日々に卒業はまた延びる。

80年8月1日、卒業証書1枚持たされ大学所払い。退学にならなかったのは1期生のために諸規則が未整備だったことと、母校の校歌作詞者であったためかもしれない。

81年帰郷、秋田大学付属病院で内科研修を経てへき地へ。間隙を縫って座員40名から成る劇団「手形界隈」を創設、華々しく公演。これが県の逆鱗に触れ最奥地の病院へ飛ばされ劇団は崩壊、座長一人でドサ回り…。

93年に自治医大の義務年限12年を修了(在学期間の1倍半。普通9年)。2000年4月、母校地下にあった「アートインホスピタル」に由来した名称の心療内科「ハートインクリニック」開業。廃業後のカフェ転用に備え待合室をギャラリー化した。

地元の路上ミュージカルで数年脚本演出、PTA会長、町内会や神社の役員など本業退避的な諸活動を続けて今日に至る。

主な著作は、何もない。秋田魁新報社のフリーペーパー・マリマリに2008年から月1回のエッセイ「輝きの処方箋」連載や種々雑文、平成8年から地元医師会の会報編集長などで妖しい事柄を書き散らしている。

医者の不養生対策に週1、2回秋田山王テニス倶楽部で汗を流し、冬はたまにスキー。このまま一生を終わるのかと忸怩たる思いに浸っていたらビオス社から妙な依頼あり、拒絶能力は元来低く…これも自業自得か。