アートセンターサカモト 栃木文化社 BIOS編集室

「BIOS電子版」No.53

文星芸術大学 田中久美子 学長

コロナ禍のなか、芸術の力を思う


2022年春、ちばてつや氏の後任として文星芸術大学の学長に就任した。コロナ禍の中での新たな歩みに、改めて芸術の力について思いを巡らす。専門は西洋美術史。高校時代、中世ヨーロッパの美しく、神秘に満ちた装飾写本に出会ったことをきっかけに美術の道を歩むことに。学長就任後も教壇に立ち、執筆活動を続ける。

文星芸術大学 田中久美子学長

『栃木県で、芸術を学ぶ。』

『栃木県で、芸術を学ぶ。』文星芸術大学のホームページを開くと、真っ先に目に飛び込んでくる印象的なキャッチコピーだ。地域との連携は、同大が大切にするテーマである。

「文星の特徴、魅力をもっとアピールして、地域の方々に愛される大学として地域に溶け込んでいけるよう、大学の顔としての役割を果たしていきたい」と語る。

日本画、洋画、立体、地域文化創生の分野で構成する総合造形専攻の学生たちが足利市の古民家を和紙でくるんで再生させた。また日本画を学ぶ学生たちが栃木県日光市の日光二荒山神社中宮祠・神楽殿の天井画を10年がかりで完成させ、昨年秋、中宮祠に奉納した。マンガ専攻の学生による観光施設のPR用ポスターの制作やデザイン専攻学生の企業商品パッケージデザインなど、地域と連携した芸術活動は600件を超える。

それぞれの分野で地域と結びついている。文星らしさが実を結んできていることを実感する。

文星を含む宇都宮市内の私立4大学は、大学間の連携を進めるためのプラットホームを設立。お互いに足りない部分を補いながら新しいコンテンツを生み出し、学生たちと地域を結びつける取り組みを進めている。

 「それぞれの大学が孤立することなく知恵を出し合い連携する。その中で文星は芸術の分野で貢献していきたい」

美しく、神秘的な装飾写本に魅せられて

山口県に生まれ、中学2年生のときに家族で東京に移る。東京都立芸術高校時代、中世ローロッパの写本挿絵に出会ったことが、美術史家としての原点だ。

東京藝術大学の教員が担当する美術史の授業で目にした写本『ベリー公のいとも豪華なる時祷書(じとうしょ)』の挿絵に、すっかり魅せられてしまった。

中世フランスの作品で、絵も文字もすべて羊皮紙に手描きされている。当時、写本を手にすることができたのは王侯貴族など限られた人だけという貴重なもので、写本はステータスシンボルのような存在だった。

「絵自体も本当に美しいのですが、その時代の最先端の文化すべてがひとまとめに詰まっている。極めて貴重な美術作品を高校生が見ることができるというのは、とても珍しいことでしたので、びっくりしてしまった」と、当時の鮮烈な経験を生き生きと語る。

この経験はまた、実技制作ではなく美術史という理論研究に進むきっかけとなった。「それまで油絵を描いていたのですが、この時の授業が印象深く、すごく面白く感じ、実技よりも美術作品を研究するほうが自分には向いていると思った」

東京藝術大学に進み、その後オレゴン州立大学大学院、東京藝術大学大学院で美術史を学ぶ。2011年に文星芸術大学の教員となる。

西洋美術を紹介する著書も多数あり、高校時代、強烈な印象を受けた『ベリー公のいとも豪華なる時祷書』の挿絵も『世界でもっとも美しい装飾写本』(2019年刊)に収められている。

「美術の面白さ知ってほしい」との思いが執筆活動の原動力だ。

著書『フォンテーヌブローの響宴』(2017年刊)ではフォンテーヌブロー宮殿の壁画にはどのようなプログラムが隠されているかを解き明かす。

『♯名画で学ぶ主婦業』は、様々な名画に対する主婦のツイートをまとめたもので、名画の歴史的背景や美術史における重要性を解説している。

「美術作品に対しどうアプローチしていくか、執筆も表現活動の一つ。絵を描くことはまさにダイレクトに自分を表現することですが、それに対し執筆は客観性を担保しながら自らの個性をいかに表現するか、そのバランスが難しい」

これまでに執筆された多くの著書

美術が持つ感性、こころに訴える力を感じて

学長に就任して1年余り。初めて体験することが多く、「世界の見え方がこんなにも変わるのか」ということを実感する。戸惑いながらも、その責任の重さをかみしめる。また、コロナ禍の中にあって「美術の力」にも思いを巡らせる。

「こころがすさんだり、孤独になったりしていく中で、芸術が本来持っている人と人をつなぐという力に目を向けられていることを感じる」

音楽家がベランダで演奏を始めると、家に閉じこもりがちだった人々が、その音色に導かれるように外に出て耳を傾ける。そんな光景に、人々のこころを一つにする音楽、芸術の力を感じる。

「じゃあ、美術は何ができるのか。どうしたら人々を癒やせるのか、人と人とをつなげていけるのか。その解答はまだ出ていない。でも、美術が持っている感性、こころに訴える力というものを改めて感じている」。

多忙の中、「カリグラフィー」(美しく文字を魅せる技法)を習い始めた。月に1回ほど、山の中を馬に乗って歩く「外乗」を楽しむ。「最初は乗るだけでも大変でしたが、最近ようやく早足ができるようになりました。とても気持ちいいです」

そして今年1月、「百人一首を広める会」(宇都宮市)の顧問に就いた。「地域社会と連携し、芸術文化によって地域の活性化を目指す」と語った学長就任のメーセージに通じるものであった。

百人一首の会 川島亮子会長(写真右)と