日光で有名な漬物「たまり漬」。その創始者が「上澤梅太郎商店」であることをご存じでしょうか。江戸初期、日光神領の年貢米を預かる蔵業として創業したと伝えられ、 約400年の歴史を持つ同店。現在は味噌・醤油・漬物の製造販売を行っています。また、直営の朝ごはん専門店(汁飯香の店)「隠居うわさわ」は各種メディアで取り上げられ、大きな注目を集めています。今回は、取締役の上澤佑基さんにお話を伺いました。
上澤梅太郎商店の外観
上澤佑基さん
時代の波に合わせて柔軟に変化する
—御社の歴史は江戸初期の米倉管理から始まっていますが、今日まで続いてきた背景にはどのような企業理念があるのでしょうか?
上澤さん(以下敬称略) 時代に合わせて、業種・業態を柔軟に変化させてきたというところが核かと思っています。始まりは米蔵業で、そこから味噌醤油の製造卸、そして漬物の製造小売と商売が変わって来ました。 戦中戦後10年ぐらいまではBtoB(Business to Business:企業間の取引)が中心でしたが、高度成長の時代に店舗周辺の道が整備され交通量が増えたことでBtoC(Business to Consumer:一般消費者向けの取引)へ大きくシフトしました。
そこで開発されたのが「たまり漬」です。当時も、漬物は食品のなかでそれほど重きを置かれていませんでした。お米や味噌・醤油は生活必需品でインフラである一方、漬物は添え物的存在でした。それをあえて、一般のお客様に向けた「地域名産品」として売り出していくというアイデアが戦後のヒットにつながり、生き残ることができました。
もしBtoBの味噌・醤油だけにこだわり続けていたら、今はかなり厳しい経営になっていたと思います。ですので、「ひとつの価値観に留まり続けるのは非常に怖い」という意識は、常に持っています。
大正年間 (1920年頃)当時の味噌樽(写真提供:上澤梅太郎商店)
昭和34年頃 (1959年頃)神田の青果市場と日光・鬼怒川を往復していたトラック(写真提供:上澤梅太郎商店)
まかないから生まれた日光名物
―日光の名産品のたまり漬けですが、誕生したきっかけを教えてください。
上澤 諸説ありますが、曾祖父のおばさんがとても料理上手で、蔵で働く人たちのまかないを作っていたそうです。 味噌や醤油を造る際、桶の底に残る少しの余りを集めて漬け床にし、自家製の福神漬のようなものを漬けていました。それがまかないになったり、大口のお客様へのノベルティになったりしたのがルーツです。
戦後の混乱期、コメや大豆が手に入らない、手に入ったとしても売れない、というような時代がきました。 その際、先々代の上澤梅太郎は「それでも必ず日光や鬼怒川温泉は世界的な観光地として復興する。その時のために地域の名産品と呼ばれるような品物をつくろう」と決意し、 まかないの漬物をブラッシュアップして「日光のたまり漬」として商品化しました。
―「日光のたまり漬」の発明は、当時の人々や観光客にどのように受け入れられていったのでしょうか。
上澤 梅太郎が同業者や組合で「今度、お土産物で漬物をやるんだ」と話した際、周囲の反応はあまりいいものではなかったそうです。それでも、「ちくしょう、今に見てろ」と思ったと聞いています。
今でこそ「たまり漬といえば日光の名産品」としてお店がたくさんありますが、うちが作った漬物ですから、当時は「たまり漬」と言っても誰も知らない。 そこで、大量サンプルを鬼怒川の旅館に持っていって、「皿洗いでも何でも手伝うから、料理に一つまみ乗せてほしい」と必死に営業しました。 すると宴会で食べたお客様が「これ美味しいね」と話題にしてくださり、少しずつ評判が広まっていったのです。
日光味噌(写真提供:上澤梅太郎商店)
たまり漬(写真提供:上澤梅太郎商店)
―上澤さんが「ここだけは他社に絶対に負けない」という一番のこだわりを教えてください。
上澤 当店の独自性をお伝えするためには、まず、一般的な漬物の製法についてご説明する必要があります。
一般に漬物は保存食と考えられていますが、それには多分に誤解が含まれています。
まず、JAS法において、漬物は、古漬けと浅漬けに分類されます。古漬けは野菜を塩蔵によって長期熟成させたのちに食べる漬物。 浅漬けは生野菜を調味液に浸し、ほぼ生のまま食べる漬物です。日本でいまいちばん売れている漬物はキムチです。キムチは浅漬けに属し、常温での保存性はほぼありません。
当店のたまり漬は、すべて「古漬け」に分類されます。古漬けは、野菜を塩蔵して熟成させた漬物です。塩蔵の工程で、10%から20%の高い塩分と、きつい重石をかけることによって脱水を促し、保存性を高めます。 実は、「漬物は保存食である」とは、この状態を指します。適切な塩度と圧力の管理によって塩蔵されている漬物は、常温で数年間の保存が可能です。
しかし、これを実際に食べようとすると、重石を外さなければならなくなりますので新鮮な空気が供給され、腐敗やカビの原因となります。 また、あまりに塩度が高いため、そのままでは食べられず、かならず「塩抜き」の工程が必要になります。塩抜き後の漬物は、塩分が低くなりますので、これまた腐敗やカビのリスクにさらされることになります。
一般に流通している漬物というのは、「保存食」というイメージを壊さないために、瓶詰めとお湯で三十分ぐらい煮る加熱殺菌をして、中の内部を無菌状態にするので、常温でも流通ができます。 非常に画期的な技術でコスト削減のための企業努力の一環でした。これにより常温で1年間の賞味期限設定が可能になります。
また、現在では、加熱殺菌を前提として、熟成期間を相当ていどに短く設定し、袋のなかに野菜素材と調味液を封入して袋の中で(流通期間中に)味をしみこませる「一発漬け」と呼ばれる手法が主流となってきています。
当店は、上記のような加熱殺菌や「一発漬け」のような技術開発の波に乗り遅れたとも言えますが、基本的には上澤梅太郎が考案した当初の製造工程を保っています。 周回遅れで、これらが、当店の味の特異性を作っているということに改めて気づいた、というところです。
何度も漬け床を替えつつ非常に長い熟成期間をとるため、香りや食感が豊かであること、加熱殺菌をしないため、 それらの風味や香りが損なわれないままお客様にお届けができます。ブランド名や漬物の色・かたちは似せられたとしても、このあたりは真似がしづらい部分ではないかと思います。
実際、この熟成期間が非常に長いのがうちの特色とはいえ、あまりにも効率が悪すぎると、短期間で同じような味を出せないか、ここ数年試してみましたがどれもうまく出来ませんでした。 うちの場合、三十年、四十年とずっとリピートしてくださるお客様がたくさんいらっしゃって、味が変わったことにもすぐ気付きます。
―材料となる野菜にこだわりや変化はあるのでしょうか。
上澤 近年の猛暑や暖冬など気候変動の影響で、野菜の質が大きく変化しています。また、種を扱うメーカーが漬物に適した種の販売を縮小しており、良質な野菜の確保は年々難しくなっています。
買い付けは直接行うこともあれば、仲買人を通すこともありますが、現在は日光市内で野菜を作ってくださる若手農家さんを募集しています。 適正価格で買い上げることで農家さんの営農を支え、美味しい野菜で良い品を作り、地域に還元する。そうした循環を作りたいと考えています。
かつては当たり前だった「適正な循環」を守ることが、今ではとても難しくなっています。だからこそ、この「当たり前のこと」を守るために微力を尽くしたいのです。
日光や鬼怒川というこの街のおかげで、生き残ってこられたとコロナの時に実感しました。 ダイレクトに人が動かなくなり、日光のお客さんが来なくなると、売り上げが大きく下がってしまいます。この地域を大切にすることは、事業としても大事な取り組みの一つですね。
―醸造や発酵に関する知識はどのように深めてこられたのですか。
上澤 料理雑誌や家庭雑誌は意識して読むようにしています。また、発酵の技術については現場で品物自体から学ぶほか、各種の専門書を読み、他の蔵元さんや専門家との交流のなかで情報交換をさせていただいています。
私の場合、大学は農大や醸造業に関わる醸造系、バイオ系を専攻していたわけではありませんでしたので、独学で勉強してきました。幼少期から興味があったため読書や試作を繰り返してきました。 40代にもなると、同年代の醸造家の人たちとのつながりが増えてきました。そこで、考えていたことや習ってきたものが通じるので、自分のやってきたことは間違っていなかったんだと。
―現場での観察と、専門的な視点の両方を行き来されているのですね。その発酵技術を活かした新しい挑戦があれば、ぜひ伺いたいです。
上澤 私はどちらかというと、今ある既存のものをより良くしたいという思いの方が強いです。 科学や素材も、どんどん進歩してきているので、そういうものを使って、うちの商品をもっと良くしていく。今はそういった方向性に興味があります。
材料となるらっきょう(写真提供:上澤梅太郎商店)
笑顔で語る上澤さん
畳の上で土鍋のご飯を食べる「日本人の日常の食卓」の体験を
―ご自身が「一汁三菜の食卓」を特別だと意識し、それを「隠居うわさわ」というお店のカタチにして発信しようと思われた明確な原体験や、きっかけとなるエピソードはありますか?
上澤 店頭でお客様から「この漬物はどうやって食べればいいですか」と聞かれることが増え、かつては食卓にあって当然だった漬物が、特別なものになりつつあると感じました。 「どうやって食べればいいんだろう」「これ、本当に人にあげて喜んでもらえるかな」「お土産にした時にどうかな」と考える方が増えてきたようです。
30〜40年でお米の消費量は半減し、味噌や醤油、漬物の消費も大きく落ち込んでいます。 そこで、古民家の畳の上で土鍋で炊いたご飯を食べてもらい、「ご飯・味噌汁・漬物」の美味しさを体験してほしいと考えました。
また、WEBサイトのリニューアルを検討していた2013年ごろ、デザインの監修に入ってもらった方に、「社長のごはん日記(※1)のなかで、いちばん『朝ごはん』が輝いている。 これを事業のひとつの柱にすべき」と助言をいただいたことも後押しとなりました。
あとは、この地域で民泊で長期滞在したいという海外の方がたくさんいらっしゃいます。そういう方に、畳の上で土鍋のご飯を食べるという「日本人の日常の食卓」を体験してもらえる場にしたいという思いもあります。 日本の食べ物というと、皆さんどうしても、お寿司とか天ぷらとかすき焼きなどをイメージされます。ただ、そういうものは東京でも体験できる。 むしろ、われわれの日常の食卓を長く支えてきたのは「ごはん・味噌汁・漬物」ですよね。 日光に遊びにいらっしゃる海外の方には「ところで普通の日本人は家でどんなものを食べているのだろう?」「リアルな日本風の暮らしって、どんなものなんだろう?」 というようなことに関心を持っていただければ嬉しいなと思います。
※1 社長の上澤卓哉さんが2000年~現在まで続けている日記ブログ。(https://www.tamarizuke.co.jp/seikan/)
―「隠居うわさわ」で朝食を味わったお客さまから言われて、一番嬉しかった言葉や、印象に残っているエピソードがあれば教えてください。
上澤 「おいしかった」等のご感想よりも「ひさしぶりにゆったりとした時間を過ごせました」という言葉をいただくことが多いように感じています。 非常に嬉しいことです。特別な価値を提供できていると実感します。
「隠居うわさわ」の入り口。らっきょうの絵が特徴的だ
庭の風景(写真提供:上澤梅太郎商店)
食事処(写真提供:上澤梅太郎商店)
食事は、土鍋炊きごはん(1合)、季節のお味噌汁、漬物盛り合わせ、季節の手作り和菓子、ほうじ茶が提供される(写真提供:上澤梅太郎商店)
ミニマムな食文化に宿る「豊かな時間」
―パンやシリアルで済ませる家庭が多い現代(タイムパフォーマンス重視の時代)において、「一汁三菜の朝食を食べる時間を作る」というのは、現代人にとってどんな価値があるとお考えですか
上澤 パンやシリアルの方が簡単で手軽。ただ、一週間に一回、二回は、ゆとりを持って朝の時間を迎えて、そこにはぜひ、ご飯と味噌汁と漬物が一緒にあってほしい。
日本の食卓の歴史を辿ると、最後にエッセンスとして残るのが「ご飯・味噌汁・漬物」という一汁一菜・一汁三菜のスタイルです。そのスタイルを確立していったのは千利休だと言われているんですよ。 利休の茶会のメニュー、記録に残っているものを調べると、九割ぐらいが一汁二菜、一汁三菜なんです。
質素な方がかっこいい。ミニマムな方がかっこいい、というような美意識が民間の中にずっと受け継がれていて、 今も、ご飯・味噌汁・漬物で構成する一番ミニマムな食事の形になっている。突き詰めれば千利休の文化に触れているのと同じことなんです。
米屋さんともよく話すのですが、今の日本人は、本質的にお米が嫌いになっているわけではないはずなんです。ただ今や、その準備にかける時間そのものが贅沢品となってしまいました。
ですので、一汁三菜型の食事は、ゆとりがある優雅なものになっていくと思いますね。そして、そこで味わえる「静かな時間」こそが、価値の源泉になってくるのではないかと思います。
―最後に上澤さんにとって、「良い漬物、良い食事」とは何でしょうか
上澤 何も気にせず食べてほしいです。気取らない、飾らない、「普通の食」こそが、一番良いものだと思っています。
(写真提供:上澤梅太郎商店)
(写真提供:上澤梅太郎商店)
日光みそのたまり漬・上澤梅太郎商店
〒321-1261 栃木県日光市今市487
プロフィール
上澤佑基(うわさわ ゆうき)
1985年、今市市(現・日光市)生まれ。今市市立今市小学校卒。中学校から私立自由学園に進学、寮生活をおくる。自由学園最高学部(大学相当)卒。 卒業論文のテーマは「森鷗外『妄想』における明治日本人の自我形成ついて」。
大学当時、もっとも衝撃を受けた本は中尾佐助『栽培植物と農耕の起源』(岩波新書)。モグリで東京大学のゼミに通わせていただきつつ浪人。 その後国際基督教大学大学院 比較文化研究科 博士課程入学。
修士論文のテーマは「歴史小説への道程ー森鴎外の外的矛盾と内的一貫について」。
前期課程修了後、栃木県内の大手漬物メーカーに就職。原料係に配属後、海外事業部に異動し中国工場に駐在。
2013年より上澤梅太郎商店勤務。

