アートセンターサカモト 栃木文化社 BIOS編集室

「地域レポート」No.16

2017年12月開催・第45回ホノルルマラソン大会初挑戦レポート -福地光男-

どうしてマラソンなど?

小学校の頃の運動会の競争ではクラスに早い奴がいて、いつも2番目だったように思います。小中学では長距離など走ることはほとんど無かったのですが、高校では冬の寒い中を約15㎞ほどのマラソンが年中行事でした。これがとても嫌でしたが、ゴールした時にもらえる林檎は格別な美味しさでした。さて、その後は全くジョギングなど走ることとは縁遠い生活でした。

大学を出て国立極地研究所に37年間勤め、2012年3月に退職しましたが、退職の3-4年前から仲間に誘われ週に一回程度研究所の回りを走り始めました。最初は1-2㎞走るのがやっとでしたが、そのうち少しづつ距離を延ばし、近くの昭和記念公園を回り、遂に新年の立川駅伝(一人約3.3㎞を5人でリレー)に参加出来るようになりました。駅伝ですから制限時間以内に襷を繋ぐことが大事になります。立川駅伝では第4走者から最終走者へのバトンタッチに制限時間があり、第4走者までに一人約18分以内のペースで走らないと、最終ランナーは襷無しで繰り上げスタートとなります。私は2番目か3番目に走り、前後の走者が制限以内で走ってくれるので、極地研チームはこれまで繰り上げスタートをしたことはありません。私はいつも18分前後で借金だらけのランナーでした。

極地研のランニング仲間は12月のホノルルマラソン参加を恒例としており、私も参加したかったのですが、遂に現役時代はその機会がありませんでした。極地研退職後も自宅の周りの運動公園を走ったり、特任勤務の北大東京オフィス終業後に皇居の回りを走ったりしました。また、ハーフマラソンに参加し、制限時間ぎりぎりで何とか完走したことがありました。

古希祝いが好事魔多し、か?

さて、2017年11月の古希を記念し、ホノルルマラソンへの挑戦を決意しました。私の知る限り、完走への制限時間を設けていないマラソン大会はホノルルだけだと思います。ランナーがゴールへ向かう気持ちがある間は、その最終ランナーがゴールに到着するまでゴールを開けています。とは言うものの、一応自分なりに6時間以内でゴール出来ることを目標に練習に励みました。

一週間に3-4回のランニングを続け、1月から8月にかけて順調にひと月当たり6-70㎞を走り、5月には100㎞以上を走ることもありました。1㎞当たり7分前後のペースで走れるようになり、これで何とか目標の6時間で完走出来るかな、と思いました。しかし、「好事魔多し」でしょうか、8月末に蕎麦屋の縁台で変な姿勢で蕎麦をすすったところ、その晩に腰が痛みだし、そのうち右腿に激痛となり眠れないまま、翌日整形外科に診てもらいました。その結果、脊柱管狭窄症との診断で、すぐに石膏で腰の型をとり、マイコルセットを作る羽目となり、マラソンなどとんでもないことになってしまいました。しかし、マラソン大会参加費はすでに支払い済みで、今更払い戻しは出来ません。

練習再開!

9月は全く走ることなく整形外科医からの投薬治療で、右腿の痛みが次第に収まり、徐々に右腿に力が入るようになってきました。10月になり医者には内緒で少しづつ走りを再開し、3㎞から10㎞まで走れるようになり、10月中には60㎞となりました。しかし、1㎞当たりのペースは元のようには戻らず、せいぜい8-9分程度でした。11月には更にペースを落としてしまい、ハーフの21.5㎞をトライするもペースは11分台でやっとのことでした。とても6時間完走など夢の夢の最悪の状態でした。

さて、ホノルルへ

マラソン大会参加費を無駄にしたくない思いで、もはや6時間完走など夢の話であり、とにかく歩いてゴールを目指すつもりで成田を後にホノルルへ向かったのは2017年12月8日でした。ホノルルマラソンのスタート地点はアラモアナ公園なので、ホテルはその直ぐ近くのアラモアナホテルとしました。アラモアナショッピングセンターにはホテルから直行出来、また、大会の登録会場もすぐ近くでとても便利でした。登録会場では毎日様々なイベントがあり、マラソン講習やマラソングッズ販売とか、一日居ても飽きないほどでした。テーピング講習コーナーを覗いていたら、高橋Qちゃんのトークショーが始まり、ゆっくり話を聞きました。10日のマラソン大会日までは観光そっちのけで様々なマラソン講習会を楽しみました。走りながらのエネルギー補充には餡子の饅頭が一番良いと聞き、市内でなんとか買い出しに成功しました。

いよいよマラソン大会!

12月10日午前5時まだ暗い中、打ち上げ花火の合図で、アラモアナ公園とアラモアナショッピングセンターの間の通りからスタート!約3万人のランナーが一斉にスタート、とは行かず、花火が上がってからスタートラインを横切るまでは皆ノロノロと歩きです。今回は第45回を記念し、招待ランナーとしてフィギュアスケートの浅田真央さんが参加していますが、多分先頭集団のスタートでしょうから、とても顔をみることは出来ません。スタートからはダイヤモンドヘッドと反対の方向、西へアロハタワー方面に向かい、そこでUターンし再びアラモアナショッピングセンターに戻り、ワイキキ通りをダイヤモンドヘッドの東方向へ向かいます。その頃には夜が明け、ダイヤモンドヘッドの向こう側から朝日が昇ってきます。しかし、早いランナーは夜明け前にすでに折り返し地点を過ぎていることでしょう。

私がダイヤモンドヘッドを登る頃には、すでにゴールを目指して降りてくる大勢のランナーとすれ違います。そんな中、前方から降りてくる車の上にテレビカメラが見えました。ひょっとして浅田真央さんの撮影クルーかと思い、携帯カメラを構えましたが、一瞬のうちにその車とランナーは駆け下りて行きました。何枚か夢中で写真を撮りました。その時は分かりませんでしたが、あとで見たらなんと浅田さんが写っていました。浅田さんは初マラソン挑戦でしたが、さすがアスリートの真央ちゃんは私が往路のダイヤモンドヘッドを登るあたりで、すでに復路の下りを駆け下りていました。

ダイヤモンドヘッドを下り、まっすぐな高速道路をひた走りではなく、ひた歩き。この真っすぐな高速道路が長い。その途中で全体の半分21.1㎞地点ですが、高橋Qちゃんが応援に駆けつけていました。ハイタッチでエネルギーのもらい、更に先へ。

私は走らず焦らず、ただただ「もしもし亀よ、亀さんんよ」を口ずさみながら、たまに折角だからエルビス・プレスリーの“Blue Hawaii”を唄いながら、ただひたすらにゴールを目指し、たまには沿道の陽気な応援部隊と記念写真!

沿道のあちこちには地元の方々が思い思いに応援してくれます。オレンジの差し入れ、小さな子供がキャンデイを配ったり、本当に沿道の声援は大きな励ましになります。

小さな塩結びが一つ

マラソンコースに沿って大会事務局による給水ポイントや休憩ポイントがしっかりと整備されていますが、そのほかにあちこちで沿道の地元の方々の差し入れが大きな力になりました。大会前の講習会で教えてもらった饅頭はすでに食べてしまい、ゴールまでは水くらいしかなくなった復路35㎞を過ぎたあたり、ダイヤモンドヘッドの登り坂を目指して高級住宅街を歩いていたら、沿道に「おにぎりとオレンジ」というプラカードが目に入りました。近づくと大きなトレーの上の小さな塩結びがひとつポツンと残っていました。「戴いて宜しいですか?」と伺うと、椅子に座った品の良いご婦人が「どうぞ」と勧めてくれました。左手で握りをもらい、右手でオレンジを2-3切れ握りしめ、通り過ぎました。左右の手を交互に口へ運び、むさぼりました。その塩むすびの塩梅が実に素晴らしく、大きな元気をもらいました。

ダイヤモンドヘッドの登り坂を進むと、足を引きずるように歩くランナーの群れ群れでした。塩お握りパワーのお陰で私の足はいたって快調で、小走りにその群れを追い越し、坂を一気に(?)駆け下り、ゴールに走り込むことが出来ました。

遂にゴールイン

ゴールすると直ぐに完走メダルと貝殻の首飾りをかけてもらい、喜びは一塩でした。完走ならぬ完歩タイムは8時間を超えましたが、実に大満足の初マラソン達成でした。ハワイの自然を楽しみながら、素晴らしい大会ボランティアや地元の支援を体中に浴びて、この上ない喜びを味わいました。大会翌日には完走賞と完走者リスト冊子を受け取りました。

私の結果は、完走者総数20,351人の中で18,757番目、8時間44分42秒でした。年齢70-74歳の男子ランナー総数は341人で、その中の300番目でした。ちなみに最終ランナーは、この年齢層で16時間10分20秒でした。朝5時にスタートし、午後9時にゴールしたようです。浅田さんは全体の2,863番目で、4時間34分13秒でゴールしました。フルマラソン初挑戦で素晴らしい記録です。アイススケートを引退して間もないにも拘わらず、さすがトップアスリートです。

ランナーのリアルタイム追跡記録

ランナーが胸につけるゼッケンにはコース上の複数関門を通過すると、リアルタイムで記録が送信されます。大会サイトのLive Run Trackingから、ゼッケン番号を入力すると、そのランナーがどこを走っているか(歩いているか)をリアルタイム追跡できます。今回は成田を出るときに、WiFiルーターを二つレンタルし、カミさんと一つづつ持って行きました。カミさんはホテルで私がどのあたりにいるかを追跡し、また、私もコース上の休憩ポイントから連絡し合い、コースに沿った写真を送信したり、とお互いにマラソンを楽しむことができました。ITの進歩に脱帽です。

塩お握りの結び

帰国後、極地研のランニング仲間に私の初マラソン挑戦を報告したところ、数年前にホノルルマラソンを走った仲間から「自分もその塩お握りを戴いた」と返事がありました。きっと差し入れの沿道の住人は同じ方で、もう何年も何十個、何百個のお握りを提供してくれたように思います。機会があったら、その住人に私たちの感謝のメッセージを届けたいと思います。多分42.195㎞の沿道ではこの他にも様々な素晴らしいエピソードが毎年生まれていることと思います。また、次回は完歩ではなく、完走を挑戦したい思いです。

福地光男(ふくち みつお)

福地光男(ふくち みつお)

1947(昭和22)年、栃木県生まれ

水産学博士、北海道大学大学院水産学研究科博士課程修了

現職:国立極地研究所名誉教授、総合研究大学院大学名誉教授

   国立極地研究所特任教授、北海道大学特任教授

   オーストラリア・タスマニア大学客員教授

専門:極域海洋生態学

著書

『南極の科学』7.生物(分担執筆、国立極地研究所、東京プレス)、『南極海に生きる動物プランクトン-地球環境の変動を探る-』福地光男,谷村 篤,髙橋邦夫 共著/極地研ライブラリー/発行所:㈱成山堂書店、『南極色彩魚拓図録』長瀬望秋 色彩魚拓制作/福地光男,ハービー・ジェイ・マーチャント 編著/発行所:テラパブ、他。