アートセンターサカモト 栃木文化社 BIOS編集室

「地域レポート」No.24

ピースバス3年ぶり運行 ~宇都宮市内の戦跡巡る~

3年ぶりの運行

2022年5月28日、宇都宮市内の戦争遺跡(戦跡)や旧軍関係施設跡を巡る「ピースバス」が運行された。市民団体「ピースうつのみや」の主催で、今回が36回目。新型コロナウイルス蔓延のため、2020、2021年と中止されており、3年ぶりの運行となった。31人が参加し、宇都宮市中心部や大谷地区など市域西側の戦跡を見学。参加者からは「長く宇都宮に住んでいて聞いたことはあったが、初めて見た所もあり、勉強になった」との声が上がった。

3年ぶりに再開されたピースバス戦跡巡り

戦争末期の突貫工事で造られた八幡山の地下司令部壕

大型バスは宇都宮市役所を出発し、栃木県庁前通りを経由して八幡山公園へ向かう。ピースうつのみやの田中一紀代表、佐藤信明事務局長、運営委員の武石久男さんがガイドとなり、佐藤さんを中心に車内や現地で戦跡の解説にあたった。

八幡山公園は栃木県庁にも近く、宇都宮市内有数の桜の名所で、市民の憩いの場でもあるが、その麓となると、駐車場などがあるだけで普段は全く注目されない場所である。

この公園の吊り橋アドベンチャーブリッジ真下のひょうたん池近くに鉄扉で閉ざされたトンネルがある。旧陸軍地下司令部用壕の入り口の一つだ。八幡山に掘られた横穴は戦後、防空壕跡とみられていたが、1998年(平成10年)からの調査などで、太平洋戦争末期の1945(昭和20)年6月以降、本土での徹底抗戦を念頭に軍が急ピッチで掘削したトンネルと判明した。ここに陸軍の現地司令部を移す予定だったのだ。しかも完成直前に敗戦を迎えたが、米軍が進駐した際に出来かけでは体裁が悪いと、陸軍がメンツにこだわって敗戦後に完成させたといういわくつきの戦跡である。

南北375メートルの本道と本道につながる9本のトンネルで構成。落盤の危険があり、中には入れない。鉄扉ごしでの見学だが、1908(明治41)年に陸軍第14師団司令部の移転以来の軍都・宇都宮の歴史を物語る戦跡で、目をこらして真っ暗な内部をのぞこうとする参加者の姿も目立った。

バスはこの後、日光街道(国道119号)沿いの宇都宮市中戸祭、若草に点在する旧軍関係施設を巡った。現在は公共施設や住宅地に姿を変えているが、ところどころに軍施設の痕跡が残る。

旧陸軍14師団司令部跡の栃木医療福祉センターには、師団開設時に植えたシダレザクラが残り、門扉が閉じられた東側に赤レンガ門柱跡がある。1本はモルタルで囲われ、そのモルタルが剝がれた箇所から赤レンガがのぞき、1本の門柱は倒れたまま放置されている状態で、説明がなければ、これがどういった歴史を持っているのか全く分からない。

旧陸軍歩兵第59、66連隊跡のとちぎ福祉プラザ障害者スポーツセンター(わかくさアリーナ)に連隊記念碑が残る。栃木県警察学校敷地内の弾薬庫跡はバス車内からの見学、現在も宇都宮中央高校で多目的ホールとして使われている歩兵第66連隊赤レンガ庖厨跡は工事中で、敷地外からの見学となった。

八幡山の旧陸軍地下司令部

赤レンガ門柱跡

モルタルからのぞく戦中の赤レンガ

連隊記念碑

軍都宇都宮の痕跡、軍道沿いに14師団施設

栃木県立美術館横の桜美公園は偕行社跡で、ここに残るのは、桜の古木とその植樹由来碑だけで当時の建物の遺構はない。偕行社は陸軍将校、士官の親睦団体であり、その組織が運営する社交クラブである。全国の師団司令部所在地に設立されていた。

ピースバス参加者はこの桜美公園から中央公園までを歩いて周辺を見学。桜美公園が面する桜通りは旧軍道であり、軍道沿いに旧軍関係施設が並んでいた。桜2丁目交差点にある地方合同庁舎には師団長官舎があり、そこから裁判所へ向かう大通りには塀だけが残る憲兵隊本部、その対面に海軍人事部(現関東財務局)があり、交差点南側や大谷へ向かう西側の私立学校が集中する地域も野砲第20連隊、兵器支廠、輜重兵第14大隊、騎兵第18連隊などさまざまな軍関係施設のあった場所だ。戦後、これらの広い土地が公共施設、私立学校に利用された。遺構はわずかだが、街並みそのものが軍都の痕跡であり、軍施設を結んだ直線道路がそのまま現在の宇都宮の街並みを形成している。

午後は中央公園から出発し、バスは大谷地区へと向かう。

大谷地区は戦争末期、大谷石採石場跡の地下空間が次々と軍需工場に利用された。軍需工場は米軍の攻撃目標として空襲を受け、戦闘機を製造していた中島飛行機も大谷地区の地下空間を利用した。

この日、参加者は御止山(おとめやま)の地下空間にあった中島飛行機工場跡の入口を対岸の大谷景観公園から見学。その後、戸室山の地下工場跡を見学した。戸室山へは城山地区市民センターから徒歩で移動。姿川沿いの未舗装の道を行き、旧海軍が発動機部品製造の工場として利用した地下空間を入口から見学した。

奥へと空洞が続いているが、立ち入れない内部の様子までは分からない。岩肌には海軍の錨マークや「隧道」の文字などの彫り込みが残っているが、戦後77年を経て風雨にさらされ、摩耗し、今ではほとんど読めない。ここも一見して戦跡と判別することのできない場所で、戦跡保存の難しさを感じさせる。

大谷からの帰路には駒生運動公園に隣接する旧陸軍射撃場跡を見学。カトリック松が峰教会では、焼け跡の残る壁も見ることができた。旧枝病院(現藤田医院)では宇都宮空襲の際、焼け残った大理石の玄関門柱跡とピースうつのみや(当時・宇都宮平和祈念館をつくる会)が2000年(平成12年)に設置した銘板の前で参加者が空襲犠牲者への黙禱を捧げた。

御止山

戸室山

旧陸軍射撃場跡

カトリック松が峰教会

幅広い年代の参加者が戦争と平和について考える

この日のピースバスには小学生から空襲体験者まで幅広い年代が参加。4歳で宇都宮空襲(1945年7月12日)を体験した男性は「雨が降っていて八幡山から水道山まで田んぼ道を逃げた記憶がある。その間、いたる所に銀テープ(米軍機、偵察機がばらまいた電波妨害用のアルミ箔か)が落ちていた。戦争はあってはならないことで、いつの時代でも子ども、女性も犠牲になる」と当時を振り返った。また、「ピースバスは勉強になった。ウクライナのことを思うと、戦争は早くやめてもらいたい」と現在の状況を重ねて話していた。

小学生の娘と参加した母親も「(宇都宮空襲で黒焦げとなりながら翌年春に新芽を出した)大イチョウの話は学校でも教えてもらうし、大谷は家族で出かけることもある場所。娘にとっては難しい内容かもしれないけれど、何か感じるものがあったと思う」と話した。また、宇都宮市外からの参加者もおり、栃木県小山市から参加した女性は「楽しく勉強させてもらった。知らないことばかりで、参加してよかった」と笑顔を見せた。

3年ぶりのピースバス運行にスタッフも気持ちも新たに臨んだ。武石さんは「2年間動けなかったもやもやがあった。(この日、久しぶりに戦跡を巡り)短い期間での変化も感じられた」と閲覧用の資料などを用意し、参加者に説明をしながら現場を歩いた。中心になって現場解説を担当した佐藤さんは「街の歴史は自分たちの目で確かめる必要がある。目で見て足で歩くことは大切です」とピースバスの意義を強調した。

ピースうつのみやは、1985年に宇都宮平和祈念館建設準備会として発足して以来、宇都宮空襲展を毎年開催し、ピースバスも1987年から続けてきた。空襲展で参加者を募って少人数で戦跡を巡る関連行事としてスタートし、その後は空襲展の日程とは切り離して参加者を募集し、市提供の大型バスで運行。近年は清原地区など宇都宮市東部と、中心部や大谷地区などの宇都宮市西部を隔年でコースを替えて継続してきたが、2020、2021年はコロナ禍で中止せざるを得なくなっていた。

ピースうつのみや設置の銘板の前で黙祷を捧げた


ピースうつのみやでは、7月3日(日)~6日(水)、市中心部オリオン通りの「オリオンACぷらざ」で宇都宮空襲展を予定しており、これも3年ぶりの開催となる。

また、宇都宮平和祈念館建設準備会以来、宇都宮平和祈念館をつくる会、ピースうつのみやと改称して活動を続けてきた37年間の軌跡「クロニクル・ピースうつのみや 市民平和運動の軌跡1985-2022」(アートセンターサカモト)が7月出版予定だ。この書籍出版に関連してピースうつのみやの活動の軌跡について歴代事務局長3人が語った座談会の動画がユーチューブで公開されている。

『クロニクル ピースうつのみや 市民平和運動の軌跡 1985-2022』 
出版:アートセンターサカモト/編集:ピースうつのみや
税込1,980円 / ISBN:978-4-901165-30-3


ピースうつのみや

ピースうつのみや

1985(昭和60)年「宇都宮平和記念館建設準備会」として発足。民間市民平和活動を開始。1945(昭和20)年7月12日の宇都宮大空襲を市民にとって「忘れてはならない日」として「宇都宮空襲展」を中心に活動。また市内に残存する戦争遺跡を巡る「ピースバス」も1987年より運行。

1996年(平成8)年、宇都宮市が「平和都市宣言」をしたのを機に「宇都宮平和記念館をつくる会」と改称し、より運動の拡大、充実化を図る。2002(平成14)年からは市内を流れる田川を会場に「空襲犠牲者追悼ふくべ灯籠流し」を毎年7月12日頃に開催し、「夏の風物詩」として市民に受け入れられる。

2015(平成27)年、「ピースうつのみや」と改称。より広い活動ネットワークを目指して今日まで活動。活動は「宇都宮空襲展」「ピースバス」「灯籠流し」、さらに後世に伝えるべき「語り継ぎ活動」の4本柱としつつ、関係資料の収集および小中学校や各団体への資料提供活動にも協力している。