アートセンターサカモト 栃木文化社 BIOS編集室

「遥かなる戦争と遠ざかる昭和」No.11

特別編「宇都宮平和祈念館をつくる会」『宇都宮空襲展』第30回を迎えて

7月6日から13日にかけて、栃木県宇都宮市のオリオンACぷらざで「第30回宇都宮空襲展」が開催された。今年は、同展を主催する「平和祈念館をつくる会(藤田勝春代表)」の設立30年の節目でもある。

最終日に伺うと来場者でにぎわっていた。家族4人(夫婦と小学生の娘2人)で来場した30代の主婦は「なんとなく通りを歩いていて目に留まり家族で入りました。私たち、戦争を知らない世代の家族が、改めて戦争の悲惨さを知りました。小学生の子どもたちも絵や写真の展示品や、実物の当時の焼け焦げた物などを見て実感しているようです」と話す。戦争を体験した高齢者から子どもたちまで、展示中に1,600人以上の人たちが訪れ、それぞれの思いで見入っていたという。

30年前に「平和祈念館をつくる会」を立ち上げて、今日まで活動を続けてきた3人の方々にそれぞれの思いを伺った。

藤田勝春代表の話

今年は集団的自衛権の問題をマスコミが積極的にとりあげたので、多くの人たちが「戦争と平和」について関心を持つようになった。このような今日の社会情勢の中で、例えば高齢者の方が不安を抱いて「私の孫は戦争に行くんですか」と訊ねてきました。戦後69年ですから「おじいさんから話は聞いているけれど実際はどんなものか」と来場する方もいます。おじいさんとお孫さんが一緒にきて、戦争体験者であるおじいさんが説明している様子が見られましたね。また、「詳しい内容は分からなかったが、展示会にきて内容がよく分かった」と、空襲に関して曖昧な記憶を確認しにくる方もいます。

この絵(藤田さんの背景に描かれている)は山口勇さん(故人)という方が描きました。この方は宇都宮工業高校の学生の時に空襲を体験していて、宇都宮の空襲を全部知っているんですね。体験しているからこそ、こういう絵を描くのです。

絵に描かれていることはすべて実際にあった出来事です。この大イチョウは焼けたけれど生き残り、今も銀杏を落としている。カトリック松ヶ峰教会も外側だけは残ったが中は全部焼けてしまった。教会には当時の焼け焦げた壁が今も残ってます。

7月12日は雨が降っていて11時20分前頃、「今日は雨が降っているから空襲はないだろう」と、普段は外出着を着て寝るのですが、みんな寝巻に着替えて寝たのです。そうしたら、11時23分に空襲警報が鳴って外を見たら、絵に描かれているような火の海。みんな逃げ惑った。それから熱いので、みんな田川の近くに逃げたのですが、周りからの炎が熱く飛び込んで死にました。そのうえ、燃えているから酸素がなくなる。そうすると酸欠で死ぬんですよ。二荒山神社は鳥居は燃えたれど奥の社殿は奇跡的に残った。だからそのまま忠実に描いたリアルな絵です。

真ん中に赤く印があるでしょ(空襲にあった宇都宮市の模型を指して)。あれは中央小学校。灯火管制で明りが漏れないようにしていたので真っ暗だった。あの日、B29が133機の編隊でやってきた。一番初めの飛行機がレーダーで定めた小学校に大きな焼夷弾を落とした。明るくなった周囲を目指して飛行機の編隊がぐるぐる回りながら3時間近くにわたって約9万発の焼夷弾を落としていった。

展示してあるB29の模型は山口さんがダンボールと木材で作りました。山口さんは20回近く一緒に展示会をやりましたが、77歳で亡くなりましたね。

佐藤信明さんの話

この「場所」で展示会を行うことで、若い人たちもどんどん入ってきてくれる。より多くの人に、宇都宮に空襲があったことを知ってもらう場所として適していると思います。いくら立派な内容でやっても、皆さんが来てくれないと意味がありません。

30年の間で心がけたことは、資料などをそのまま展示したのではなかなか理解しにくいので、実物大の爆弾の模型とか、焼けて曲がったお釜など、ビジュアルに訴えることでした。写真とか絵とかそういうものを見てイメージが湧くようにと、展示方法を工夫しました。「こんな大きいのが落ちてきたんだ」とか、「焼けたものがこんな形になってるんだ」とか、焼け跡の模型を見て、「私の家は焼けた」とか、「焼けてない」とか、一目でわかり実感できます。

また、燈籠流し(宇都宮空襲犠牲者追悼)を13年間続けていますが、今ある場所を使って、今につながる見える活動ということです。だから、単なる四角い燈籠じゃなくて、ここ宇都宮市でしかできない「黄ぶな」と「ふくべ」で作った灯籠を流して、少なくとも620人の亡くなった方々への追悼の意を表しています。

戦争の跡を自分の目で確かめて歩けば、自分の町が新しい視点で見えてきます。学校の先生が来場して、先生ご自身が体験していないので、現物を見て身近に感じて理解してくれています。子どもたちに教え伝えるために、教材の一部に活用したいということで、これまでに申し込みも数多くがありました。

他の戦争に関する展示会との違いがこのようなところにあるということで、たくさんの方々が毎回来場してくださるのではないでしょうか。

体験者の語りなどをいろいろなところで行っていますが、それがどのように次の世代にきちんと繋がって行くのかというところは、なかなか難しいですね。30年という節目に今までやって来た「つくる会」の年表を作ろうと思っています。

田中一紀さんの話

毎年8割の方が初めての来場者です。毎回来てくださる方もいますが、初めての方のその新鮮な印象や展示の感想などを伺うことができます。来場者がいろいろ注文を出します。こういうのはないか、こうしたらいいんじゃないか、アイデアや提案が会話の中から出てくるんです。それらがヒントになって、次の企画を立てるときにそれらを生かすためにどうしたらいいかと、私たちも勉強になりますし次の企画につながります。毎回、同じことをやっているようですが「+α」が、その都度盛り込まれていきます。それが継続していく大きな意義でもあります。ある意味、民間だから自由にやれるのかもしれないですね。

新聞の掲載も新たな記者が来て、新鮮な視点で記事を書く。そうするとそれを見た読者がまた誘発されて見に来てくれる。地道にやってきた結果が返ってきています。

30年もやってきて、本当はもう終わりにしなきゃいけないと思いましたが、また新しい戦前が始まっちゃう。「後」と「始め」が追っかけっこしているような社会情勢に複雑な思いです。

だから、若い人が責任ある番になってきた。今までは「知らないから」で済んでいたけれど、もうそんな段階じゃない。へたすると「あなた方自身が鉄砲を持つかもしれない、持たされるかもしれない」と……。次世代にどうつなげるかが問題です。

そういう点では象徴的なことですが、B29の模型を作った山口さんの息子さんが、同級生と3人がかりで修復をしてくれました。何らかの形で次の世代に関わってもらいたいと思います。

当然、続けていけば展示の形も時代とともに新しくなります。もっと恒常的にやらなくてはいけないと思っています。祈念館的なものがあって、いつでも見ることができるという場がないから、たった一週間足らずで知ってもらおうというのは虫がいい話なんですね。そういう意味では限界があり、思いを広げる事が出来ない。バーチャルミュージアムというような形で、今の時代に見合うような手段だけは、何とかしようと準備しています。

(取材・文:栃木文化社ビオス編集室)

会場

宇都宮市の模型で説明する「つくる会」メンバー

山口氏の絵を背に話す藤田代表

B29の模型(上)と投下された爆弾の実物模型

佐藤信明さん

灯籠流し

田中一紀さん

当時の写真等の展示

爆弾の実物や模型等が展示された

活動の内容を写真で展示

戦争体験の著書や絵本

佐藤さん(右)と田中さん

藤田 勝春(ふじた かつはる)

藤田 勝春(ふじた かつはる)

1942年(昭和17年)満州国生まれ。1946年(昭和21年)3月満州から引き揚げ。1973年(昭和48年)弁護士開業。1987年(昭和62年)栃木県弁護士会会長。

宇都宮90ロータリー2011年(平成23年)度会長

社会福祉法人「こぶしの会」理事長

「宇都宮平和祈念館をつくる会」代表

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