アートセンターサカモト 栃木文化社 BIOS編集室

「おもしろ日本美術3」No.7

渡辺崋山の草体画(3)―背景に天下泰平、江戸後期の洒落本・軟文学流行の世情―

崋山は、残された書簡・記録類からは、生来のまじめ人間と知れるが、少々突っぱってまじめに「不まじめ」を行うという一面があった。もちろん、文人仲間のサロンや北関東、東海地方の数寄者との遊興の集いの中で、自然と身に備わったものであるが、気の置けない後輩や弟子たちに対しては、人生の先輩カゼを吹かせての偽悪的なポーズを見せることもあった。

『校書図』は、ひいきの芸妓お竹をモデルに少々スノビッシュに描いたもので、「飲啄、牝牡之欲ノ無キ者ハ人二非ラズ也・・・因リテ予ノ愛妓ヲ写シ、顕斎二寄ス。顕斎與予ハ同好也否」と気負った戯文を画中に添えて門人平井顕斎に与えている。

そもそも崋山は、師匠の桃隣が春本を書いていたこともあってか、若い頃から生活のため春画を描くことがあったようである。『寓画堂日記』に「模春画」「画春画」「描春画」の文字が散見し、後の手控えにも「合歓図」の模写などが認められる。

関東大震災で本画が焼失した「品川清遊図」(文晁、抱一、崋山の三人連れが品川の妓楼に遊んだ時の情景)なども、今となっては真贋を論じるすべもないが、文晁、抱一の逸話の数々と照らしても十分考え得る設定ではあり、残された写真カットに見る筆力も凡庸ではない。

当時、遊里は公認の歓楽街であり、宿場に飯盛女はつきものであり、そこで遊ぶことに対しては、男振りを上げはすれども決して後ろめたい行為ではなく、何人も大仰に構えずに気楽に現世を謳歌していたのである。

崋山は、売春行為に対しては、「何分御領分風俗悪敷相成、大ニ御政事御繁多ニて御行届無之・・とその弊害を認めつつ、「大国ニハナケレバナラヌ者と奉存候。又他の金銀ヲ引よせ候一術に候」と必要悪と考えていた。「織女ハ抱女故ニ夜私ニかせき候事ハ大目ニ見」、「織屋さへ多く出来候得ばウチ置ても如此相成とのよし」との便法も崋山ならではであろう(田原藩士宛書簡『崋山書簡集』36)。

なお、重要美術品の指定を受けながらも、先学菅沼貞三氏の否定論を受け所在不明となった幻の名品、『目黒詣』については再評価の時が来ていると信じたい。同作品は、文政十二年十月十四日、渡辺崋山が田原藩の同僚、鈴木修賢、鷹見定美、上田正平と、連れ添って目黒へ物見遊山に出かけた折の挿図入り戯文画巻である。落款は、漢字で“渡辺登”とある。

初冬のある日、崋山ら四人は、藩主から、たまにはゆっくり遊山でもして来いとばかり、一日の特別休暇を許された。忙しい藩務から久々に解放ざれ、「いのちありて小春に遊ぶ牡の蝶」の崋山の句のとおり、まさに命の洗濯といったものであった。酒肴を担いで目黒方面を散策し、酒亭「ひちりき」で酒宴を張り、最後は藩主へのおみやげを担いで千鳥足で家路へ向かうといった次第、挿入の狂歌は「みなひとの酔へば臥すともひちりきやねの高きにも驚かれぬる」「枝笛によい婦もあってひちりきや人目多うて笙琴もなし」と、管楽器の「ひちりき」に懸けて、料亭「ひちりき」が値の高さと、お互いの目があってはめを外せないさまを皮肉る。帰りの道すがら、貰った柿の実を、喉が乾いたから食べてしまおうかと軽口も出る。藩公へ土産として買ったものゆえまかりならぬと押し留めると、さらに一人が、しゃあ、しぶき、すなわちおしっこでも飲もうかと、おどける。こんな楽しい戯文の画巻である。が、忠孝の士と名高い崋山にあって、主君に関することで決してこんな下品な表現はあり得ないといった批判も当然出てくるが、俳聖芭蕉にも、「蚤虱 馬の尿する枕もと」の有名な句がある。

挿画は七図で、軽妙な草筆の飄々とした味わい深い戯画である。担ぎ棒の先に弁当、後ろに酒を満たしたふくべを吊して軽快に歩む上田の図。茅屋図。薄の茂る野で足を止め、遠慮無く呑めるぞとばかりふくべの酒をがぶ呑みする上田、独り呑ませてなるかとこれを制する鈴木、弁当に箸をつける崋山、酒なぞ呑み飽きたとばかり超然としている鷹見と四人四様の光景。酔いが回って小川の前で立ち往生する上田の図。迷い出たところの草庵の娘に道を尋ねる図。目黒の酒亭「ひちりき」での宴席の光景。藩主へのみやげを上田と鷹見で軽口を言い合いながら担ぎ、鈴木の持つ提燈が燃え出して崋山がこれを急ぎ消し止めようといった帰り道での酩酊状態の四人の図。

以上の展開であるが、天保三年の『客坐掌記』に見る勧進能の場の弁当売りや茶売りの速筆写生との共通点も十分に認められ、またその書も、草書はもちろん、巻末近くの七絶の漢詩の行書風の書はまさに崋山その人の執筆と頷かせるものである。

私としては、崋山真筆の可能性が高いものとみて、さらに地道な検討を続けることに努めたい。

(文星芸術大学 上野 憲示)

品川清遊図

校書図

目黒詣

上野 憲示(うえの けんじ)

上野 憲示(うえの けんじ)

1948年、大阪生まれ。

東京大学文学部美術史学科卒業。栃木県立美術館学芸員。東京大学、清泉女子大学などの非常勤講師(美術史学・博物館学担当)を経て、現在、文星芸術大学学長ならびに芸術理論専攻教授。美術史家、美術評論家として活躍。

著書

『鳥獣人物戯画(日本絵巻大成六)』(中央公論社)、『渡辺崋山の写生帖』(グラフィック社)、『ハイビジョン鳥獣人物戯画』(ハイビジョンミュージアム推進協議会)、おもしろ日本美術1(文星芸術大学出版)、KAKIEMON おもしろ日本美術2(文星芸術大学出版)、他。