アートセンターサカモト 栃木文化社 BIOS編集室

「電子版パリ通信」No.66

ル・マレで生きる92歳の画家のエネルギー-Mainou ROFASTE【メイヌ・ロファスト】-画家

私は約1年前に、専門の医師の診察で、右目が高眼圧で放っておくと失明するという診断を受けた。驚いて精密検査を受けて、その後に手術をした。医師に「手術をすると大丈夫なのか、続けて絵を描けるのか」とくどいほど聞いたのだった。

目に違和感を感じたのは、私が車の運転中に何故か右手を見ると何とも変な感じであった。痛いとか見えないとかぼやけるなどではなくて、表現のできない違和感だった。画家にとってもちろん他の人にとっても、目はとても大事なので、私は恐怖に襲われた。見えなくなったら私は制作できなくなり、画家としての人生も終わりかと思い、こんなにひどく絶望感を感じたことはなかった。

しかし私は手術前の何か月間か、毎晩寝付くときに見えなくても描く方法を考え、やっとどん底から這い上がったのだった。手術後、何か月か後検査を受けた。医師はフランス人らしい言い回しで「ああ、美しい目になりました」と深く満足そうに言った。何の問題もないことが分かって心からホッとした。少しの違和感は残るが年齢的なものもあり「これで行くしかない」と思っている。

ところで私の古い友人の一人である画家のメイヌは、高齢になり視力が衰え、隣人がボーッとわかる程度で、声を聴いて誰かいるか判断するくらいの視力になってしまった。その後、彼女から見えなくなっても描けるいくつかのヒントを得たのだ。

筆者トモコとアトリエで

ル・マレのぬし

久し振りに会った画家メイヌ・ロファストは、いつもの様にとっておきの笑顔で私を迎えてくれた。「以前はパリの5区に住んでいたけど、このマレ地区(*1)に住んで、いつの間にか35年間よ。お互いにやることがあるからなかなか会えないけど、トモコの声はすぐわかる、まだまだ若いわね。私は今92歳でもうすぐ93歳よ。4~5年前からほぼ盲目に近くなっているし、足腰も悪くなって思うように動けないわ」と、現在の彼女の状況を話してくれた。

彼女は作品を制作しながらこのマレ地区を見守っている所謂「ぬし」、メイヌからそのエネルギーを感じて彼女を愛し慕う人たちが何人もいて、何かと手助けしている。ここまで一人で自分のやるべきことをやってきたフランス人の自立した年配者であるが、なぜか少年のような雰囲気をも感じさせるメイヌである。

「この作品がもうすぐ始まる展示会の作品よ。このやり方を誰にもまだ言わないでね」と、近作を私に見せてくれた。これで私は目が見えなくても描けるもっと簡単な方法を知ったのだ。

メイヌはマレ地区に関して「ここは私の気に入っているカルチエで、もちろん少しは変わったけど、貴族の館もたくさんあり、ピカソ美術館もすぐそばにできたし、素晴らしい環境だと思っているわ。ユダヤ人街もあるとても変化のある街。でも今は観光客が一杯で、ちょっと雰囲気を壊してしまうような気もするの」。しかしそれはどうでも良い些細なことで、変化に対して肯定も否定もしない。自分の生き方に集中している人という印象である。

マレ地区

マレのチョコレート屋さん

マレ地区の貴族の館

マレのギャラリー

観光客で賑わっているユダヤ人街

ゲイ街

ゲイ街の道路やポール、傘などは、LGBTのレインボー・フラッグを表している。

パリで生活するために最先端を走る

「私は子どもの頃から絵を描くことが好きで、思う存分描きたかったけど描くのが怖かった。それは南東フランスの田舎セルメ(Sermèt/ボルドーとトゥールーズの間)に住んでいたのですが、その当時『女性が絵を描くなんて』という偏見がありました。完全に自分の中でブロックしてしまい、やっと50年前から、つまり38~40歳で絵具や筆、紙を自分の分身のようにして、堂々と描き始めたのです。そしてグラン・ド・シュミエール(*2)に通いました。長い間、油彩で板や厚紙に世界中の砂を集めて抽象的な作品を制作していました。しまし、今はアクリルで描いています」

彼女は20歳で田舎を飛び出し、パリに来て生活のために様々な仕事をしたと話す。「郵便局、保険事務所、赤十字の事務所、雑貨の製造などです。そうそう大統領のお抱えドライバーになぜか注射をしに行ったりしました」と懐かしんで笑う。

当時ベスパ(*3)に乗って移動していたという。女性が車やバイクで活動し始めた頃で、その最先端を走っていたようである。パリで生きるため田舎の娘が必死で生きてきたと話す。

「作品のアイデアはやはりオリジナルなもので、色彩はコントラストの強いものが好きです。これらは私自身の発見で創作したのです」と、胸を張って語るメイヌ。

「今は少し難しくなりましたが、私の楽しみは旅行です。インド、スリランカ、ウズベキスタン、イエメン、シリアなどオリエンタル諸国を訪ね、当時は創作のための砂を持ち帰り、作品をたくさん作りましたよ。ヴァカンスはいつもナントの近くの島に行くのが楽しみです」

2年に1回定期的に作品発表を続けている。取材の一週間後、私はメイヌの個展に出かけて彼女のファン達にも久しぶりに再会した。マレの主メイヌのエネルギーに寄せられるように集まる仲間たちと、豊かで貴重な時間を楽しく過ごしたのだった。

個展会場

個展会場にたくさんの人が訪れる

個展会場で筆者と

メイヌと友人たち

作品

1)グラン・ド・シュミエ-ル  モンパルナスの近くにあるパリの美術学校。

2)ル・マレ地区  3区から4区にかけて広がっており、パリの歴史的地域で昔の貴族の館が集中している。現在それらは博物館になっている。ユダヤ人社会の中心地、現代アート・ギャラリー地域、LGBTカルチャー集中区。

3)ベスパ(イタリア語でスズメバチの意) スクーター。映画「ローマの休日」で有名。

TOMOKO K. OBER(パリ在住/画家)

TOMOKO KAZAMA OBER(トモコ カザマ オベール)

TOMOKO KAZAMA OBER(トモコ カザマ オベール)

1975年に渡仏しパリに在住。76年、Henri・OBER氏と結婚、フランス国籍を取得。以降、フランスを中心にヨーロッパで創作活動を展開する。その間、78年~82年の5年間、夫の仕事の関係でナイジェリアに在住、大自然とアフリカ民族の文化のなかで独自の創作活動を行う。82年以降のパリ在住後もヨーロッパ、アメリカ、日本の各都市で作品を発表。

主な受賞

93年、第14回Salon des Amis de Grez【現代絵画賞】受賞。94年、Les Amis de J.F .Millet au Carrousel du Louvre【フォンテンヌブロー市長賞】受賞。2000年、フランス・ジュンヌビリエ市2000年特別芸術展<現代芸術賞>受賞。日仏ミレー友好協会日本支部展(日本)招待作家として大阪市立美術館・富山市立美術館・名古屋市立美術館における展示会にて<最優秀審査賞>受賞。09年、モルドヴァ共和国ヴィエンナーレ・インターナショナル・オブ・モルドヴァにて<グランプリ(大賞)>受賞、共和国から受賞式典・晩餐会に招待される。作品は国立美術館に収蔵された。15年、NAC(在仏日本人会アーティストクラブ)主催展示会にて<パリ日本文化会館・館長賞>受賞。他。