アートセンターサカモト 栃木文化社 BIOS編集室

「電子版パリ通信」No.76

松本かずこ シャンソン歌手

長年の夢であったパリの「オランピア劇場」でのリサイタルがついに実現

パリの私(筆者トモコ)の友人から松本かずこを紹介されて、カフェでお会いしたのが昨年の春だった。取材はコロナ禍で延期になり、今年の9月にやっと実現した。小柄だが妖艶な微笑みの中に険しい山をいくつも越えてきたようなエネルギッシュな女性で「ひたすら前進のみ」という印象だった。

マドレーヌ寺院やオペラ座が近いオランピア劇場には、私は日本人として初めてコンサ-トを開催した石井好子のシャンソンを聴きにいったことがあった。中央前席にイヴ・モンタンとシモ-ヌ・シニョレや、フランスの政財界の人たちが並んでいたのを覚えている。その後も、オランピア劇場にジュリエット・グレコを聴きにいったが、いつもの黒衣装で囁くような声で素晴らしいコンサ-トだった。

10月7日、オランピア劇場にシャンソン歌手・松本かずこが立つ。

松本のコンサ-トがパリのオランピア劇場で開催される日。20時30分開演だが、30分前から会場に入れるというので私はメトロ・オペラから6、7分歩き劇場に着いたのが19時30分。既に沢山の人が入口で待っていた。その後ワクチン証明書提示、厳重な空港でのチェックと同様の機械検査とボディ―チエックがあり、やっと広いサロンに入ることができた。

2000人の観客席がほぼ満席で90パ-セントがフランス人らしい。前半はピアフ、ブレル、ダリダ、バルバラなどのフランスシャンソン界の大御所の歌をフランス語と日本語で歌った。また招待歌手のダニエル・ヴィダルがリズミカルな声と身体で得意曲を披露した。後半は舞台で野立てが披露され、ピアノの演奏などで楽しませながら、松本はグレコ、ピアフ、フランソワなどの曲を歌った。

ステージ衣装は4回ほど変わったが、素晴らしいデザインと色彩で、それぞれの曲に合わせた美しいドレスであった。このパリで十分通用するデザインであったので、私たちの耳だけではなく目の保養にもなり、コロナ渦で落ち込んでいたパリジェンヌ、パリジャンにも楽しいショーを披露してくれた松本のお客さんへの並々ならぬサ-ビス精神とエネルギーに感激した。

松本かずこ

松本さんと筆者トモコ(右)

オランピア劇場で私も歌いたい

「大阪に生まれです。幼い時から歌うことが大好きでした。1974年に平尾昌晃(1937-2017. 作曲家・作詞家・歌手)歌謡教室に第1期生としてレッスンを受けました。その後しばらくレッスンはお休みしましたが、どうしても歌うことの喜びを忘れることができなかったのです。1989年に大阪毎日ホ-ルに平尾昌晃先生をお迎えして再デビュ-・コンサ-トを開催しました。それから91年より毎年末にディナ―・ショーを開催しましたが、2018年から東京で27回、パリでは2008年から2年ごとにリサイタルを重ねてきました。特に2018年にパリのスタジオ・ラファエルで200名を超える皆さまと6回ものコンサートを開催することができました。

何故オランピア劇場にこだわるのかといいますと、私の好きなパリ、そして尊敬するエディット・ピアフが立ったオランピア劇場で、私も歌いたいという強い願いがあったからです。約20年前から考え続けていました。人生の半周を終わった時の区切りで、皆さまから支えられ、歌で人生を助けてもらったお返しのための集大成です。私の歌を通して、少しでも『愛、希望、夢、喜び、勇気』をお届けすることができたら本当に嬉しいです」

オランピア劇場のポスター

コンサートのポスターの前で

オランピア劇場に松本かずこの名が(撮影:kunie)

夢は実現するもの

「16歳で結婚し出産、3人の子どもに恵まれましたが28歳で離婚しました。子どもを育てながらどのように生きていくか、自分と子供をいかに生きていけるようにするか、並大抵のことでは生きてはいけませんでした。とにかく子どもと生きていくために、スナック『ラビアンロ-ズ(バラ色の人生)』を必死で経営して現在までどうにか維持してきました。

シャンソンを歌い続けて思うことは、歳を増すごとに味が出るし、人生そのもの、生き様を表現できるのは素晴らしいことでした。ピアフを尊敬し思いを込めてきたからこそ続けられたのです。ピアフの歌は自分を最大限に表現できりと思っています。ピアフの歌で私の人生は助けられたのです。ピアフに対する熱烈な思いは、劇場でのコンサートだけではありません。施設や復興支援会場などでも同じ思いで歌います。でもね、やはり私はパリが好き。自己責任で自分の思いで自由にできるし、しがらみのある日本から抜け出したときほっとするのです。もちろん大変ですが夢は見るものではなく実現するものと思っています。今は、喜びと感謝で一杯です」

*パリで録音・撮影した記念CDアルバム「愛の賛歌」を発表。プログラムの選曲はお客さまに喜んでもらうことが第一、ピアフのメロディを日本語で歌い、また、目先を変えて中国人ミュージシャンと沖縄の歌を歌う。オリジナル曲の「ラビアンローズ」も好評。

パリの友人宅の庭で六つ葉のクローバーを手に

パリ在住の友人と松本さん(左)

TOMOKO KAZAMA OBER(トモコ カザマ オベール)

TOMOKO KAZAMA OBER(トモコ カザマ オベール)

1975年に渡仏しパリに在住。76年、Henri・OBER氏と結婚、フランス国籍を取得。以降、フランスを中心にヨーロッパで創作活動を展開する。その間、78年~82年の5年間、夫の仕事の関係でナイジェリアに在住、大自然とアフリカ民族の文化のなかで独自の創作活動を行う。82年以降のパリ在住後もヨーロッパ、アメリカ、日本の各都市で作品を発表。

主な受賞

93年、第14回Salon des Amis de Grez【現代絵画賞】受賞。94年、Les Amis de J.F .Millet au Carrousel du Louvre【フォンテンヌブロー市長賞】受賞。2000年、フランス・ジュンヌビリエ市2000年特別芸術展<現代芸術賞>受賞。日仏ミレー友好協会日本支部展(日本)招待作家として大阪市立美術館・富山市立美術館・名古屋市立美術館における展示会にて<最優秀審査賞>受賞。09年、モルドヴァ共和国ヴィエンナーレ・インターナショナル・オブ・モルドヴァにて<グランプリ(大賞)>受賞、共和国から受賞式典・晩餐会に招待される。作品は国立美術館に収蔵された。15年、NAC(在仏日本人会アーティストクラブ)主催展示会にて<パリ日本文化会館・館長賞>受賞。他。