アートセンターサカモト 栃木文化社 BIOS編集室

「精神科医のニア・ミス」No.101

匠の仕事 神戸のジュエリー・デザイナー江藤久子『手のひらの宇宙』
角館の写真家 千葉克介『韓国凱旋写真展』
―8月16日~18日 秋田市アトリオン2階展示室―

貴金属から、紙粘土(エコ素材)によるオブジェやアクセサリー制作へと変遷してきた久子氏。半世紀に及ぶ『水』がテーマの活動、その幽玄な世界が1月の韓国展で大きな反響を呼んだ千葉氏。両氏によるコラボ展を開催します。

ポスター

江藤久子(75歳 神戸市在住)

今回のサブタイトルは『弔いの形』 エコ素材である紙粘土細工の中に亡き人の遺灰を収め、秘めやかに山河へ放つ。やがて水に溶け、土に還る…。菜の花、蓮華草、撫子の種などを混ぜておくと、いつか花を咲かせてくれるだろう。散骨は必ずしも歓迎されていない。しかし、自然の懐の中で眠りたいという故人の遺志、家族の想いを、さわやかな形で表現できないだろうか。

夫は2010年に亡くなった。遺灰を作品『雲』(ニアミス№100に掲載)に託し、3年後、夫が愛した地に投じた。手を合わせて帰宅したらわが家の上空に大きな虹がかかっている。ありがとうと夫が笑ってくれているような気がして、しばらく天を仰いでいた。地上と天空を結ぶ雲の形・タイトルの『手のひらの宇宙』はそのとき着想したのである。(伊丹工芸クラフト会員 コンテンポラリージュエリー クラフト作品制作 世界クラフト展ジュエリー部門多数回入選 関西や米ボストン、独フレンスブルクで作品展)

オブジェ(紙粘土 江藤久子)

千葉克介(72歳 秋田県角館在住)

「画家は自分が関心ある対象を描いていれば済む。だが写真家は、山でも植物でも写ってしまった全てに説明責任がある。知らないとは云えない」―かつて私がこう語ったと佐々木(院長)はいうが、記憶は定かでない。昭和の終わりに角館の病院へひょっこり現れた彼との付き合いは長い。その間に私は黎明舎を起こし、バブルがはじけ、彼の紹介で大学書房(栃木)の金田英雄社長や建築家の江藤暢英氏と知り合い、自治医科大学にも常設展示の場を得ることができた。私が中心となって開発した印刷用紙フレスコジグレーも、江藤ご夫妻が神戸で企画した個展の際、山口県の徳山工業を紹介して頂いたことが契機である。こうした縁の深い方々と韓国帰国展を開催できる運びとなったことは喜びに堪えない。(全国観光ポスター展銀賞受賞他、ポスター・カレンダー・書籍・雑誌等に写真提供、著書多数 日本写真家協会会員を経て現在、世界環境写真家協会会員)

朝日差す渓谷(千葉克介)

コーディネーターからの蛇足  佐々木康雄(ハートインクリニック)

千葉さんは25歳から北東北を中心に撮影活動を開始し、北は北海道、南は沖縄まで旅した写真家である。と同時に、民俗学者でもあり、この8月、マタギ研究の新著『消えた山人 ~昭和の伝統マタギ~』(農文協出版)が発行となった。

1987年、私が角館の病院に赴任したその夜、「飲みに来い」と千葉さんから電話があった。それ以来のお付き合いである。私はある日角館町長に呼ばれ、「センセ、酒癖の悪い克介とあまり飲むな」と忠告された。それくらい、彼の言葉ではアルチュウ・ハイマー同士だったが、しばしば田口秋魚、富木、太田、北方文化聯盟、民俗学の柳田國男、角館倶楽部の扁額に寄せ書きがあったアララギ派の歌人らの話を聞かされた。無類のジャズ好きで、黎明舎に併設した喫茶店「じぱんぐ」で度々ライブを企画する一方、国内外の個展や全国精神科教授の会での講演等を精力的にこなしていた。が、不覚にも2007年に脳梗塞、数年後に奥さまを亡くしてからは車いすと介護による生活である。しかし、珍味に造詣の深い民俗学者らしく、訪問ヘルパーさんらに多彩なメニューを伝授して喜ばれるなど、やはりただの呑み助ではない。

久子氏の亡夫君は、淡路島のホテルアナガ、大阪心斎橋のホテル日航などの設計で知られる建築家の江藤暢英氏。氏は京都市美大卒後、渡米してイサム・ノグチに師事した。大学同期であった無二の親友、益子(栃木)の陶芸家・瀬戸浩氏(徳島出身)が1994年に亡くなり、益子に駆け付けた。学生時代、瀬戸工房に入り浸っていた私は葬儀で氏と出会い、最晩年までのお付合いとなる。瀬戸氏の人柄と作品を深く愛した大学書房の金田英雄社長が、氏に設計を依頼した芸術と食(レストラン)のコラボ空間『アートインホスピタル』が翌年自治医科大学附属病院内に完成し、陶芸の瀬戸作品に対峙する形で千葉作品が常設展示となった。

2000年、待合室を千葉ギャラリーとするハートインクリニックの設計を氏に依頼、江藤家と私たちの交流が始まる。2010年に氏が他界され、久子氏のモダンで優美な作品を初めて神戸で拝見した。久子氏は「縁の薄い秋田でどんな反応があるのか。面識のない方から率直な意見が頂けるのか。一風変わった作品と作者自身を見つめ直す大切な機会になります」と語っている。

皆さまのお出でをお待ち申し上げております。

瀬戸浩氏

メビウスの輪(瀬戸浩)

千葉克介ブルーホール個展(2013年 左が千葉氏、右が久子氏)

霧氷と富士山(千葉克介)

マリマリ(秋田魁新報社フリーペーパー)

尾根白弾峰

尾根白弾峰(佐々木 康雄)

旧・大内町出身 本荘高校卒

1980年 自治医大卒

秋田大学付属病院第一内科(消化器内科)

湖東総合病院、秋田大学精神科、阿仁町立病院内科、公立角館病院精神科、市立大曲病院精神科、杉山病院(旧・昭和町)精神科、藤原記念病院内科 勤務

平成12年4月 ハートインクリニック開業(精神科・内科)

平成16年~20年度 大久保小学校、羽城中学校PTA会長

プロフィール

1972年、第1期生として自治医科大学に入学。長い低空飛行の進級も同期生が卒業した78年、ついに落第。と同時に大学に無断で4月のパリへ。だが程なく国際血液学会に渡仏された当時の学長と学部長にモンパルナスのレストランで説教され取り乱し、パスポートと帰国チケットの盗難にあい、なぜか米国経由で帰国したのは8月だった。

ところが今の随想舎のO氏やビオス社のS氏らの誘いで79年、宇都宮でライブハウス仮面館の経営を始めた。20名を越える学生運動くずれの集団がいわば「株主」で、何事を決めるにも現政権のように面倒臭かった。愉快な日々に卒業はまた延びる。

80年8月1日、卒業証書1枚持たされ大学所払い。退学にならなかったのは1期生のために諸規則が未整備だったことと、母校の校歌作詞者であったためかもしれない。

81年帰郷、秋田大学付属病院で内科研修を経てへき地へ。間隙を縫って座員40名から成る劇団「手形界隈」を創設、華々しく公演。これが県の逆鱗に触れ最奥地の病院へ飛ばされ劇団は崩壊、座長一人でドサ回り…。

93年に自治医大の義務年限12年を修了(在学期間の1倍半。普通9年)。2000年4月、母校地下にあった「アートインホスピタル」に由来した名称の心療内科「ハートインクリニック」開業。廃業後のカフェ転用に備え待合室をギャラリー化した。

地元の路上ミュージカルで数年脚本演出、PTA会長、町内会や神社の役員など本業退避的な諸活動を続けて今日に至る。

主な著作は、何もない。秋田魁新報社のフリーペーパー・マリマリに2008年から月1回のエッセイ「輝きの処方箋」連載や種々雑文、平成8年から地元医師会の会報編集長などで妖しい事柄を書き散らしている。

医者の不養生対策に週1、2回秋田山王テニス倶楽部で汗を流し、冬はたまにスキー。このまま一生を終わるのかと忸怩たる思いに浸っていたらビオス社から妙な依頼あり、拒絶能力は元来低く…これも自業自得か。