アートセンターサカモト 栃木文化社 BIOS編集室

「精神科医のニア・ミス」No.111

黒船から一杯飲屋へ

黒船来航の1853年から67年維新までの15年間で日本は天地がひっくり返った。1639年の3代将軍家光以来の鎖国が開国となるや英仏米蘭に有利な関税貿易が盛んとなり、居留異人が増え、軍隊駐留まで認めざるを得なくなる。異人が増えると事件も増え、幕府が関与できない領事裁判など、次第にわが国にとって不平等な状態となってしまう。

すると異人はけしからんと武士による異人殺傷事件が頻発する。ところが「取り締まりの責任は全て幕府にある」として保障は幕府が負わされ、それなのに攘夷だ、尊王だと志士らは騒ぎ、薩英戦争と下関戦争が相次ぎ薩長にはいい勉強になったが、幕府は自信をなくす。救いは、気の毒なアヘン戦争に敗れた中国はじめ東アジア諸国と違い、戦をしなかった幕府が結んだ条約類は、敗戦的ではなく一応、主権的だったことといわれる。しかもアヘン輸入も租界も免れながら幕府はちゃっかり貿易で金は稼いでいた。「世の中は何だか色々あるけれど生きてるだけで花丸とする」(千葉市・米元加奈子)

そこで、新型コロナと菅義偉政権である。対応が甘い、緊急事態宣言も遅い、談話が不明瞭だと散々だ。しかし現在、地球のどこの国、どんな指導者がコロナにうまく対処できているか。台湾、NZや統計不明朗な共産中国だって、散る桜、残る桜も散る桜。日本医師会長は医療崩壊を訴えたが、コロナ患者を入院させる病院より断る病院が圧倒的に多く、死者数も諸外国より随分少ない。Go To非難も、生誕地が超豪雪に悩む田舎者首相の揚げ足取りではあるまいか。「はみ出して生きる寅さん愛されたあのころ人は寛容だった」(高崎市・野口啓子)

パチンコ店が危ないと都知事らは騒ぐ。やらない人がいうことで、愛煙家の巣窟だったパチンコ店の換気装置は優秀で、しかもだいぶ前から禁煙、横一列に並んで無駄口を叩く暇人はいない。また、買い物客で混む商店でもクラスター発生はない。大きい居酒屋やカラオケは怪しいが、なじみ客中心の小さな飲屋はまず大丈夫、長話だけが問題である。

かくて今宵も私は散歩に出る。道すがら親父と女将のちっぽけな店で2、3杯ひっかけ、カウンターから「立ち上がる魔法の呪文どっこいしょ」(秋田・小玉せち子)と帰ってこの一文を書く。この程度なら口うるさい家人にも治外法権だ。現代の黒船コロナと大寒波襲来に、スペインの画家ゴヤの作品「理性の眠りは怪物を生む」を連想する。

2021/1/11

冬の日本海(男鹿半島の寒風山から)

タカうどんとお節プリン(下野市橋本)

理性の眠りは怪物を生む (フランシスコ・デ・ゴヤ )

21-01-08 レター55

尾根白弾峰

尾根白弾峰(佐々木 康雄)

旧・大内町出身 本荘高校卒

1980年 自治医大卒

秋田大学付属病院第一内科(消化器内科)

湖東総合病院、秋田大学精神科、阿仁町立病院内科、公立角館病院精神科、市立大曲病院精神科、杉山病院(旧・昭和町)精神科、藤原記念病院内科 勤務

平成12年4月 ハートインクリニック開業(精神科・内科)

平成16年~20年度 大久保小学校、羽城中学校PTA会長

プロフィール

1972年、第1期生として自治医科大学に入学。長い低空飛行の進級も同期生が卒業した78年、ついに落第。と同時に大学に無断で4月のパリへ。だが程なく国際血液学会に渡仏された当時の学長と学部長にモンパルナスのレストランで説教され取り乱し、パスポートと帰国チケットの盗難にあい、なぜか米国経由で帰国したのは8月だった。

ところが今の随想舎のO氏やビオス社のS氏らの誘いで79年、宇都宮でライブハウス仮面館の経営を始めた。20名を越える学生運動くずれの集団がいわば「株主」で、何事を決めるにも現政権のように面倒臭かった。愉快な日々に卒業はまた延びる。

80年8月1日、卒業証書1枚持たされ大学所払い。退学にならなかったのは1期生のために諸規則が未整備だったことと、母校の校歌作詞者であったためかもしれない。

81年帰郷、秋田大学付属病院で内科研修を経てへき地へ。間隙を縫って座員40名から成る劇団「手形界隈」を創設、華々しく公演。これが県の逆鱗に触れ最奥地の病院へ飛ばされ劇団は崩壊、座長一人でドサ回り…。

93年に自治医大の義務年限12年を修了(在学期間の1倍半。普通9年)。2000年4月、母校地下にあった「アートインホスピタル」に由来した名称の心療内科「ハートインクリニック」開業。廃業後のカフェ転用に備え待合室をギャラリー化した。

地元の路上ミュージカルで数年脚本演出、PTA会長、町内会や神社の役員など本業退避的な諸活動を続けて今日に至る。

主な著作は、何もない。秋田魁新報社のフリーペーパー・マリマリに2008年から月1回のエッセイ「輝きの処方箋」連載や種々雑文、平成8年から地元医師会の会報編集長などで妖しい事柄を書き散らしている。

医者の不養生対策に週1、2回秋田山王テニス倶楽部で汗を流し、冬はたまにスキー。このまま一生を終わるのかと忸怩たる思いに浸っていたらビオス社から妙な依頼あり、拒絶能力は元来低く…これも自業自得か。