アートセンターサカモト 栃木文化社 BIOS編集室

「精神科医のニア・ミス」No.113

ワクチン接種 ~平時と戦時~

新型コロナワクチン接種の様々な準備会議に出ている。市主催の会議では、川崎市での接種訓練で予診票と医師の問診に手間取ったことから、高齢者が記入しやすいよう質問項目を減らす工夫など如何かという意見が出たが、「国が定めるフォーマットは変えられない」と医師の委員が反対した。

医師会ではアナフィラキシーショックへの対応を不安視する意見が相次ぎ、1人で接種するというある診療所の医師に、複数の医師でないと危ないぞとこれまた慎重である。また、接種後の副反応を見極めるため15~30分、その場に待機させる国の指針には、ショックは注射直後に発症する、会場の密を避けるためにも10分で充分という提案に、国に従った方が無難と話が進まない。因みにアナフィラキシーには学校教師も給食で対応している。

塩野七海のエッセイに「古代ローマ人は効率向上を図るための努力を惜しまなかった」とあった。効率のためには無駄を省くに限るが、無駄の選別は難しい。先日の模擬演習で私は住民役をやった。受付で予診票の確認に時間がかかり、次の保健師の問診では受付と重複するアレルギーの有無を執拗に問われ、医師の問診でも同じ内容の確認である。医師役の医師会長に「しつこいですねえ」と言うと苦笑したが、看護師による模擬注射は一瞬。椅子で経過観察5分後に接種証明書の説明を受けている間に注射から10分以上たっていた。新聞記者の取材に、予診票は自宅で記入して会場へ持参を、3回もの同じ質問は時間の無駄と私は答えた。

イスラエルでは多彩な接種会場と時刻設定により国民の半数に3か月間で2回接種を終え、余ったワクチンも廃棄せず優先順位が下の人に投与してよいとした。これくらい融通が利かないと戦争にも勝てまい。コロナ対策は「平時」より「戦時」、うちのワクチン反対娘は「依怙地」である。

2021/3/24

角館の桜(2年前の4月末)

角館を貫く桧木内川(この3月に獣医師になった末っ子)

依怙地なジヨン

21-03-15 レター57

写真撮影:大日向かなえ

尾根白弾峰

尾根白弾峰(佐々木 康雄)

旧・大内町出身 本荘高校卒

1980年 自治医大卒

秋田大学付属病院第一内科(消化器内科)

湖東総合病院、秋田大学精神科、阿仁町立病院内科、公立角館病院精神科、市立大曲病院精神科、杉山病院(旧・昭和町)精神科、藤原記念病院内科 勤務

平成12年4月 ハートインクリニック開業(精神科・内科)

平成16年~20年度 大久保小学校、羽城中学校PTA会長

プロフィール

1972年、第1期生として自治医科大学に入学。長い低空飛行の進級も同期生が卒業した78年、ついに落第。と同時に大学に無断で4月のパリへ。だが程なく国際血液学会に渡仏された当時の学長と学部長にモンパルナスのレストランで説教され取り乱し、パスポートと帰国チケットの盗難にあい、なぜか米国経由で帰国したのは8月だった。

ところが今の随想舎のO氏やビオス社のS氏らの誘いで79年、宇都宮でライブハウス仮面館の経営を始めた。20名を越える学生運動くずれの集団がいわば「株主」で、何事を決めるにも現政権のように面倒臭かった。愉快な日々に卒業はまた延びる。

80年8月1日、卒業証書1枚持たされ大学所払い。退学にならなかったのは1期生のために諸規則が未整備だったことと、母校の校歌作詞者であったためかもしれない。

81年帰郷、秋田大学付属病院で内科研修を経てへき地へ。間隙を縫って座員40名から成る劇団「手形界隈」を創設、華々しく公演。これが県の逆鱗に触れ最奥地の病院へ飛ばされ劇団は崩壊、座長一人でドサ回り…。

93年に自治医大の義務年限12年を修了(在学期間の1倍半。普通9年)。2000年4月、母校地下にあった「アートインホスピタル」に由来した名称の心療内科「ハートインクリニック」開業。廃業後のカフェ転用に備え待合室をギャラリー化した。

地元の路上ミュージカルで数年脚本演出、PTA会長、町内会や神社の役員など本業退避的な諸活動を続けて今日に至る。

主な著作は、何もない。秋田魁新報社のフリーペーパー・マリマリに2008年から月1回のエッセイ「輝きの処方箋」連載や種々雑文、平成8年から地元医師会の会報編集長などで妖しい事柄を書き散らしている。

医者の不養生対策に週1、2回秋田山王テニス倶楽部で汗を流し、冬はたまにスキー。このまま一生を終わるのかと忸怩たる思いに浸っていたらビオス社から妙な依頼あり、拒絶能力は元来低く…これも自業自得か。