アートセンターサカモト 栃木文化社 BIOS編集室

「精神科医のニア・ミス」No.120

V先生のこと ~お恥ずかしい…~

テニス好きの医師会員から、「開業医たちはみんな運動不足と肥満に悩んでいる。私たちのテニスクラブに入りなさい。クラブのいいところは、顔を出せばいつでも必ず相手になる会員がいることです」と勧誘されたのは開業した2000年4月。確かに公営コートは料金格安だが仲間がいないとプレーできない。かくて翌月、名門『秋田山王テニス倶楽部』に入会した。1974年発足の同クラブはその当時インドアも含めコート10面、会員150名、クラブハウスも吹き抜けのお洒落な建物だった。

ある日、日本語が堪能なロシア人、V先生が梯子に上がってそのハウスの壁にペンキを塗っている。「なぜ1人で?」と尋ねたところ、「なぜ皆さんはこんなに汚れた壁を塗り替えないのですか」と逆質問された。「ロシアの男性は子供の頃から家の修理を手伝います。これも簡単ですよ」といい、新しい部屋に引っ越した時や気分転換のために壁紙も時々自分で交換するのだという。

V先生は春にウラジオストックからやって来る。秋田大学や女子短大で教壇に立ち、秋田日露協会などとも関係し、秋風が吹く頃ロシアへ帰る。先生とクラブの社長は古い友人だった。半年滞在なので会費は免除、しばしば飲食を共にし、やがて私も誘われるようになる。

社長は秋田高校時代からテニスで活躍し、早稲田大学ではテニス部主将を務めるなどテニス界では著名人だった。病を得て2017年に72歳で亡くなったが、生前、早稲田OBなど全国のクラブチームを招いて親睦試合を企画し、私はV先生と秋田の名湯ご案内役を仰せつかった。宴会で先生はロシア民謡『カリンカ』『トロイカ』などを朗朗と歌い、ワインを水のように飲んで平気だった。

V先生と最後に別れたのは3年前。例年なら「ドクター、お久しぶり」と笑顔を見せる秋田の桜の候、今年は新型コロナに加えロシア軍によるウクライナ侵攻である。安否を心配していたところへ先週、会員の1人とやっとメールがつながった。検閲を恐れてか、当たり障りのない文面で、だが結びは「誠にお恥ずかしい次第です」…重い80歳のこの言葉に日ごろ陽気なテニス仲間たちも沈黙。社長が生きていたらどんな返事を書いただろうか。V先生お得意のコサックダンスが目に浮かぶ。(2022/4/20)

鳥海山と勢至公園(秋田県にかほ市・22-4-18)

山王テニス倶楽部30周年祝賀記念(2004年)

2007年の山王テニス倶楽部(翌年10月、縮小し引っ越してしまう)

ハートインレター68号(22-4-19 )

珠林寺クリスマスローズ(秋田市下浜)

尾根白弾峰

尾根白弾峰(佐々木 康雄)

旧・大内町出身 本荘高校卒

1980年 自治医大卒

秋田大学付属病院第一内科(消化器内科)

湖東総合病院、秋田大学精神科、阿仁町立病院内科、公立角館病院精神科、市立大曲病院精神科、杉山病院(旧・昭和町)精神科、藤原記念病院内科 勤務

平成12年4月 ハートインクリニック開業(精神科・内科)

平成16年~20年度 大久保小学校、羽城中学校PTA会長

プロフィール

1972年、第1期生として自治医科大学に入学。長い低空飛行の進級も同期生が卒業した78年、ついに落第。と同時に大学に無断で4月のパリへ。だが程なく国際血液学会に渡仏された当時の学長と学部長にモンパルナスのレストランで説教され取り乱し、パスポートと帰国チケットの盗難にあい、なぜか米国経由で帰国したのは8月だった。

ところが今の随想舎のO氏やビオス社のS氏らの誘いで79年、宇都宮でライブハウス仮面館の経営を始めた。20名を越える学生運動くずれの集団がいわば「株主」で、何事を決めるにも現政権のように面倒臭かった。愉快な日々に卒業はまた延びる。

80年8月1日、卒業証書1枚持たされ大学所払い。退学にならなかったのは1期生のために諸規則が未整備だったことと、母校の校歌作詞者であったためかもしれない。

81年帰郷、秋田大学付属病院で内科研修を経てへき地へ。間隙を縫って座員40名から成る劇団「手形界隈」を創設、華々しく公演。これが県の逆鱗に触れ最奥地の病院へ飛ばされ劇団は崩壊、座長一人でドサ回り…。

93年に自治医大の義務年限12年を修了(在学期間の1倍半。普通9年)。2000年4月、母校地下にあった「アートインホスピタル」に由来した名称の心療内科「ハートインクリニック」開業。廃業後のカフェ転用に備え待合室をギャラリー化した。

地元の路上ミュージカルで数年脚本演出、PTA会長、町内会や神社の役員など本業退避的な諸活動を続けて今日に至る。

主な著作は、何もない。秋田魁新報社のフリーペーパー・マリマリに2008年から月1回のエッセイ「輝きの処方箋」連載や種々雑文、平成8年から地元医師会の会報編集長などで妖しい事柄を書き散らしている。

医者の不養生対策に週1、2回秋田山王テニス倶楽部で汗を流し、冬はたまにスキー。このまま一生を終わるのかと忸怩たる思いに浸っていたらビオス社から妙な依頼あり、拒絶能力は元来低く…これも自業自得か。