アートセンターサカモト 栃木文化社 BIOS編集室

「精神科医のニア・ミス」No.121

変わりゆく医療現場 ~近未来の外来~

マイナンバーカードの健康保険証利用により紙の保険証は消滅かと騒動である。カードには病名や検査データ、薬剤など患者情報が書き込まれ、誠に便利と国は普及に余念がない。ところが患者は負担額が増え、医療機関はカード対応装置の導入費用と書き込む手間が要り評判は今ひとつ。継承者がいないある高齢開業医は導入など考えるまでもないという。ある精神科開業医は、職員は自分と事務員1人、血液検査など一切行わず安定剤以外は風邪薬も出さない、患者も病名も少ない、電子カルテはおろかレセプトも手書き、ほっといてくれ…。

報道によれば人工知能による診察の正診率が90%を超えた。患者は診察前に渡されるタブレットの質問項目をチェックする。すると概ね正しい診断と必要な検査、治療の選択肢が表示され、医師はそれを口頭で再確認し決断すれば済む。新米医師もベテランもない。次回受診を予約し、クレジットカードで会計しておしまい…。

話はさらに先へ。へき地医療の一助として有効なオンライン診療が新型コロナを機に普及しつつある。これは極論すれば、秋田の田舎に住む患者が、首都圏の有名病院や著名医師の診察を受けられるということだ。住民も医師も減っているへき地にはダメ押しである。腕はともかく、そこにいてくれるだけで安心といった田舎医者を、「遠くの名医より近くの迷医」ともいうが、これはオンライン診療とは別次元の話であろう。

リフィル処方箋も話題だ。外来受診せずに1枚の処方箋を3回まで使える。高血圧や高脂血症など1回処方が3か月分かそれ以上出せる病気では患者も年1回くらい受診すれば済み、医療費抑制に寄与する。病勢再燃の発見は遅れるかもしれない。

欲と怠け心が進歩を促す。医療のデジタル化も例外ではない。かくてコロナ禍で遠のいた患者と医師との距離はますます拡がる。患者とは弱い者、心細い者、だから親切に―と学んだはずの医の道も危うい。すでに「パソコンの画面ばかりみて患者をみない医師」の診察風景は近未来ではなく現実となっている。2020/6/1

(地蔵の写真は著者)

十四番如意輪観音(1861年)

十六番千手観世音

十七番十一面観音

房住山409㍍(秋田県三種町 5月7日)

22-05-23 レター69

尾根白弾峰

尾根白弾峰(佐々木 康雄)

旧・大内町出身 本荘高校卒

1980年 自治医大卒

秋田大学付属病院第一内科(消化器内科)

湖東総合病院、秋田大学精神科、阿仁町立病院内科、公立角館病院精神科、市立大曲病院精神科、杉山病院(旧・昭和町)精神科、藤原記念病院内科 勤務

平成12年4月 ハートインクリニック開業(精神科・内科)

平成16年~20年度 大久保小学校、羽城中学校PTA会長

プロフィール

1972年、第1期生として自治医科大学に入学。長い低空飛行の進級も同期生が卒業した78年、ついに落第。と同時に大学に無断で4月のパリへ。だが程なく国際血液学会に渡仏された当時の学長と学部長にモンパルナスのレストランで説教され取り乱し、パスポートと帰国チケットの盗難にあい、なぜか米国経由で帰国したのは8月だった。

ところが今の随想舎のO氏やビオス社のS氏らの誘いで79年、宇都宮でライブハウス仮面館の経営を始めた。20名を越える学生運動くずれの集団がいわば「株主」で、何事を決めるにも現政権のように面倒臭かった。愉快な日々に卒業はまた延びる。

80年8月1日、卒業証書1枚持たされ大学所払い。退学にならなかったのは1期生のために諸規則が未整備だったことと、母校の校歌作詞者であったためかもしれない。

81年帰郷、秋田大学付属病院で内科研修を経てへき地へ。間隙を縫って座員40名から成る劇団「手形界隈」を創設、華々しく公演。これが県の逆鱗に触れ最奥地の病院へ飛ばされ劇団は崩壊、座長一人でドサ回り…。

93年に自治医大の義務年限12年を修了(在学期間の1倍半。普通9年)。2000年4月、母校地下にあった「アートインホスピタル」に由来した名称の心療内科「ハートインクリニック」開業。廃業後のカフェ転用に備え待合室をギャラリー化した。

地元の路上ミュージカルで数年脚本演出、PTA会長、町内会や神社の役員など本業退避的な諸活動を続けて今日に至る。

主な著作は、何もない。秋田魁新報社のフリーペーパー・マリマリに2008年から月1回のエッセイ「輝きの処方箋」連載や種々雑文、平成8年から地元医師会の会報編集長などで妖しい事柄を書き散らしている。

医者の不養生対策に週1、2回秋田山王テニス倶楽部で汗を流し、冬はたまにスキー。このまま一生を終わるのかと忸怩たる思いに浸っていたらビオス社から妙な依頼あり、拒絶能力は元来低く…これも自業自得か。