アートセンターサカモト 栃木文化社 BIOS編集室

「精神科医のニア・ミス」No.125

箱根駅伝の選手 ~待つ身はつらい?~

私と同年だったある書店の親父は大の箱根駅伝好きで、往復ともに録画し、酒を飲みながら何度でも見る、しかも早送りで、というので驚いたものだが、10年前に病死した。別の同年男は見るだけでは足りず箱根の現場へ何度も足を運んでいたが、やはり10年前会社で爆発事故に遭い、顔から脚まで全身ケロイドでまだ生きている。その頃から私も正月はテレビでこの駅伝を見るようになった。

小柄で細身の某薬剤メーカー社員T君が半年前、異動でこちらを担当することになりましたと挨拶に現れた。会津生まれの31歳、神奈川大学卒という。ほう、箱根駅伝によく出ている大学だねというと、ご存じでしたか、実は選手でしたと目を輝かす。箱根駅伝を実際に走った人にはまだお目にかかったことがない。そりゃたいしたものだ―。

高校で陸上部だった彼は目立つ記録を残せなかった。だが卒業を前に、もっと走りたい、走るなら箱根路を、と考えるようになる。そこで進学先を調べたところ、駅伝で有名な大学の陸上部は推薦しか採らないと判明。担任に頼んでみたがやはり推薦はどこからも得られず、入試さえ通ればOKと例外的だった早稲田は学力にやや自信がない。そこで神奈川大を受験、合格。入学式の当日、陸上部の門を叩く。問答無用で断られる。母親を頼み翌日再び監督に頭を下げ、粘りに粘って1ヵ月間の仮入部が許される。厳しいぞ、耐えられるかといわれた彼は死に物狂いで励んだ。努力が認められ夏には正式入部。2年次に推薦入学生らを尻目に箱根メンバーに選抜され、復路の第1走者、第6区を任された。それなりのタイムが出て翌年に向け練習に励んでいたところで、ケガである。3年次は出場できず悔し涙にくれた。だが会津魂で奮起、4年次に再び第6区出場。チームは14位でシード権は得られなかったが、自分なりに満足できる区間記録は出せた。話がうますぎ。ほんまかいな? ネットで調べたら力走する彼の写真満載だった。疑ってすみません!

2019年NHK大河ドラマ『いだてん』の金栗四三らが、1919年にマラソン選手の育成と練習を兼ね早稲田・慶応・明治・東京高師の4大学駅伝競走として始めたのが箱根駅伝である。過去に延期中止もあったが今年2023年は99回目。各大学はケガや体調不良選手を抱えながらひたすらタスキをつないだ。が、太宰治の『走れ、メロス』ではないが、タスキは、待つ身も待たせる身も辛い。

熱海で痛飲し金がなくなった太宰は友人の檀一雄に東京から金を持ってきてもらう。だが2人は遊興三昧、また金がなくなる。太宰は壇を人質に残し東京へ金策に向かう。5日たっても戻らない太宰にしびれを切らした壇は借金取りを伴い上京。太宰は荻窪の井伏鱒二宅で将棋を指していた。怒る壇への慚愧に堪えかねて書いたのがこの作品といわれるが、ともかく、時間切れでタスキをつなぐことができず、次走者のいない中継所で悲嘆にくれる選手の姿が檀に重なってしまった。

昨年9月にグランドオープンした「あきた芸術劇場ミルハス」(中央に輝く巨大建造物)

ウクライナ国立バレエ(ミルハス 2022-12-24)

ミルハス開館記念ミュージカル『欅の記憶・蓮のトキメキ』(2023-1-15)

一日市の裸参り(秋田県八郎潟町の元旦行事)

22-12-16 レター74)

尾根白弾峰

尾根白弾峰(佐々木 康雄)

旧・大内町出身 本荘高校卒

1980年 自治医大卒

秋田大学付属病院第一内科(消化器内科)

湖東総合病院、秋田大学精神科、阿仁町立病院内科、公立角館病院精神科、市立大曲病院精神科、杉山病院(旧・昭和町)精神科、藤原記念病院内科 勤務

平成12年4月 ハートインクリニック開業(精神科・内科)

平成16年~20年度 大久保小学校、羽城中学校PTA会長

プロフィール

1972年、第1期生として自治医科大学に入学。長い低空飛行の進級も同期生が卒業した78年、ついに落第。と同時に大学に無断で4月のパリへ。だが程なく国際血液学会に渡仏された当時の学長と学部長にモンパルナスのレストランで説教され取り乱し、パスポートと帰国チケットの盗難にあい、なぜか米国経由で帰国したのは8月だった。

ところが今の随想舎のO氏やビオス社のS氏らの誘いで79年、宇都宮でライブハウス仮面館の経営を始めた。20名を越える学生運動くずれの集団がいわば「株主」で、何事を決めるにも現政権のように面倒臭かった。愉快な日々に卒業はまた延びる。

80年8月1日、卒業証書1枚持たされ大学所払い。退学にならなかったのは1期生のために諸規則が未整備だったことと、母校の校歌作詞者であったためかもしれない。

81年帰郷、秋田大学付属病院で内科研修を経てへき地へ。間隙を縫って座員40名から成る劇団「手形界隈」を創設、華々しく公演。これが県の逆鱗に触れ最奥地の病院へ飛ばされ劇団は崩壊、座長一人でドサ回り…。

93年に自治医大の義務年限12年を修了(在学期間の1倍半。普通9年)。2000年4月、母校地下にあった「アートインホスピタル」に由来した名称の心療内科「ハートインクリニック」開業。廃業後のカフェ転用に備え待合室をギャラリー化した。

地元の路上ミュージカルで数年脚本演出、PTA会長、町内会や神社の役員など本業退避的な諸活動を続けて今日に至る。

主な著作は、何もない。秋田魁新報社のフリーペーパー・マリマリに2008年から月1回のエッセイ「輝きの処方箋」連載や種々雑文、平成8年から地元医師会の会報編集長などで妖しい事柄を書き散らしている。

医者の不養生対策に週1、2回秋田山王テニス倶楽部で汗を流し、冬はたまにスキー。このまま一生を終わるのかと忸怩たる思いに浸っていたらビオス社から妙な依頼あり、拒絶能力は元来低く…これも自業自得か。