アートセンターサカモト 栃木文化社 BIOS編集室

「精神科医のニア・ミス」No.13

豪雪の秋田から ~雪と寒さを楽しむコツ~

高血圧の女性が眼帯をしてきた。雪道で滑って額を電柱に激突、皮下出血で右目の周りはパンダ状態である。私も昨年の今ごろ、飲屋の帰りに凍結路で転倒し後頭部をしたたか打った。これで我が人生も一巻の終わりと仰向けのまま夜空を眺めていてふと「凍った道では靴の上から靴下を履いた方が転びにくい」ことを証明したイグノーベル賞受賞研究を思い出した。だが靴の上に靴下を履いてまで飲みに出かける勇気はない。

真偽の程はともかく、ガンに効くとして有名な玉川温泉で先ごろ悲惨な雪崩事故があったが、今冬の秋田は美人も酒飲みもみな大雪と格闘中だ。ニュースにならない程度の転倒、屋根から転落、除雪機械の事故者は例年より多いと近所の整形外科医もいう。雪かきによる過労、腰痛肩コリはうちにも来院し、患者共々私も湿布を愛用している。

クリニックを始めた12年前の最初の冬、しまった、と思ったのも、この雪だった。病院勤務時代は職員や業者が除排雪をしてくれた。しかし職員が女性2名の零細医院では私も知らんふりできない。追い打ちをかけるように雨樋はツララで折れ曲がり、隣家の屋根から雪崩が襲ってくる。秋田県では、風呂場の極端な寒暖差が原因の突然死が年間220名、雪に伴う事故死との合計は自死総数に迫る勢いである。

こんな秋田にわざわざ常夏の台湾から観光客がいらっしゃる。「冬はスキーと温泉。雪が溶けたら秋田もつまらん」という一徹者の住民もいる。インフルエンザで受診した6歳の子は、「冬もスキーも大好き。パパとかまくら作ったよ。学校に入ったらお友だちともっと遊べる!」そう、遊べばいいのだ。大変だ、大変だと、雪と戦うだけでは芸がない。

そこで先週、近くのスキー場に出かけた。が、1時間で指がかじかみスキーどころではない。寒暖計は零下7度。スキー券2200円は温泉無料券付き。迷わず温泉にドボンで半日。台湾の皆さんもこれに味をしめたのかもしれない。

雪まみれのハートインクリニック

閑散たるスキー場にて娘と

尾根白弾峰

尾根白弾峰(佐々木 康雄)

旧・大内町出身 本荘高校卒

1980年 自治医大卒

秋田大学付属病院第一内科(消化器内科)

湖東総合病院、秋田大学精神科、阿仁町立病院内科、公立角館病院精神科、市立大曲病院精神科、杉山病院(旧・昭和町)精神科、藤原記念病院内科 勤務

平成12年4月 ハートインクリニック開業(精神科・内科)

平成16年~20年度 大久保小学校、羽城中学校PTA会長

プロフィール

1972年、第1期生として自治医科大学に入学。長い低空飛行の進級も同期生が卒業した78年、ついに落第。と同時に大学に無断で4月のパリへ。だが程なく国際血液学会に渡仏された当時の学長と学部長にモンパルナスのレストランで説教され取り乱し、パスポートと帰国チケットの盗難にあい、なぜか米国経由で帰国したのは8月だった。

ところが今の随想舎のO氏やビオス社のS氏らの誘いで79年、宇都宮でライブハウス仮面館の経営を始めた。20名を越える学生運動くずれの集団がいわば「株主」で、何事を決めるにも現政権のように面倒臭かった。愉快な日々に卒業はまた延びる。

80年8月1日、卒業証書1枚持たされ大学所払い。退学にならなかったのは1期生のために諸規則が未整備だったことと、母校の校歌作詞者であったためかもしれない。

81年帰郷、秋田大学付属病院で内科研修を経てへき地へ。間隙を縫って座員40名から成る劇団「手形界隈」を創設、華々しく公演。これが県の逆鱗に触れ最奥地の病院へ飛ばされ劇団は崩壊、座長一人でドサ回り…。

93年に自治医大の義務年限12年を修了(在学期間の1倍半。普通9年)。2000年4月、母校地下にあった「アートインホスピタル」に由来した名称の心療内科「ハートインクリニック」開業。廃業後のカフェ転用に備え待合室をギャラリー化した。

地元の路上ミュージカルで数年脚本演出、PTA会長、町内会や神社の役員など本業退避的な諸活動を続けて今日に至る。

主な著作は、何もない。秋田魁新報社のフリーペーパー・マリマリに2008年から月1回のエッセイ「輝きの処方箋」連載や種々雑文、平成8年から地元医師会の会報編集長などで妖しい事柄を書き散らしている。

医者の不養生対策に週1、2回秋田山王テニス倶楽部で汗を流し、冬はたまにスキー。このまま一生を終わるのかと忸怩たる思いに浸っていたらビオス社から妙な依頼あり、拒絶能力は元来低く…これも自業自得か。