アートセンターサカモト 
栃木文化社 BIOS編集室

「精神科医のニア・ミス」No.135

クマがなくお過ごし? ~ツツガムシから熊へ~

知事さんは今朝も5時に目覚めた。外はまだ暗く寒い。ベッドに腰かけて思う。今日は何人の県民が熊にやられ何人が詐欺にあうだろうか。大昔、神(じん)功(ぐう)皇后は南九州の抵抗勢力だった熊襲(くまそ)を征伐し、余勢を駆って朝鮮半島まで下した。詐欺的騙し作戦もあったらしい。史実かどうかはともかく、熊と熊襲も直接関係ないとはいえ、熊は当時から厄介な動物だった。それなのに丁寧かつ厳しく注意しても県民は毎日熊にやられ詐欺に引っかかる。挙句にインフルエンザの大流行。いつまで続く泥濘(ぬかるみ)ぞ…。

知事さんは昨夜、司馬遼太郎の『愛(あいる)蘭土(らんど)紀行』を読んで英国の泥棒に舌を巻いた。ある人が自宅前に止めてあった車を盗まれた。ところが数日後に車は元の場所に戻り座席に手紙があった。「急用のため無断拝借して申し訳なかった。お詫びにご家族6人分のオペラチケットを同封したので楽しんで来て下さい」。喜んで出かけた家族が帰宅すると家の中は空っぽ。英国では空き巣から身を守るのは自分であってポリスではない、やられたのは被害者のミスだそうだが、熊被害をミス扱いできるものだろうか。

知事さんは毎朝5時半から自宅周辺を20分弱歩く。約2千歩だ。戻ると妻を起こさぬよう静かにコーヒーをいれ自室に入る。今日は生成AIで米国の熊対策を調べた。熊を見かけた程度なら麻酔銃などを使い山へ返すが、人が襲われた、その恐れありとなると警察や保安官がその場で即射殺とある。捕獲したら安楽死。隣のカナダでも人に危害を加え人の味を覚えた熊は直ちに屠る。豪州も調べた。野生の熊はおらず被害の可能性は動物園かサーカスとある。

知事さんはテニス友から先週こんな話を聞いた。友が畑仕事をしていたら隣家の甘柿の根元で子熊が1頭、登るに登れず爪を立てていた。2日前、付近で親熊と子熊が箱罠に入り処分されたことを知っている友は、目の前の生き残りを哀れに思い「われと来て遊ぶや親のない子熊」と一茶風に詠んだ。貰い泣きする知事さんのスマホが鳴った。自宅付近に熊が出たという。時々立ち寄る居酒屋の散歩コースだ。首都圏に住む子らはニュースを見て散歩をやめろとラインで言ってくる。アホども、心配するより帰郷して人口回復に寄与しろ。一句ひねる。「子も熊も都へ出たら戻らない」―友より駄作だ。

今朝、近所の後援会長が「知事が熊や詐欺にやられたらお話になりません。朝の散歩は自粛して下さい」と注意に来た。やれやれ。代々木にお住いの大学の恩師95歳から先日「クマがなくお過ごしですか?」とお便りが届いた。ツツガムシ病が多かった昔は「つつがなくお過ごし…」だった。知事さんは「安心安全ばかり求めて冒険心も信念もなく、ないことを疑う理性もなく、薙刀や吹き矢で立ち向かう気概もなく、民草はタガが緩んでおります。身捨つるほどの祖国はありや―」と返事を書き大きな溜息をついて今日も庁舎へ向かう。(2025-12-11)

晩秋の武家屋敷(秋田県角館)

横手のイチョウ並木(秋田県流域下水道横手処理センター)

霜月最初の満月の夕刻に

初孫が生まれた。ありがた山のハプニング

マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや(寺山修司・宇野亞喜良展より)

尾根白弾峰

尾根白弾峰(佐々木 康雄)

旧・大内町出身 本荘高校卒

1980年 自治医大卒

秋田大学付属病院第一内科(消化器内科)

湖東総合病院、秋田大学精神科、阿仁町立病院内科、公立角館病院精神科、市立大曲病院精神科、杉山病院(旧・昭和町)精神科、藤原記念病院内科 勤務

平成12年4月 ハートインクリニック開業(精神科・内科)

平成16年~20年度 大久保小学校、羽城中学校PTA会長

プロフィール

1972年、第1期生として自治医科大学に入学。長い低空飛行の進級も同期生が卒業した78年、ついに落第。と同時に大学に無断で4月のパリへ。だが程なく国際血液学会に渡仏された当時の学長と学部長にモンパルナスのレストランで説教され取り乱し、パスポートと帰国チケットの盗難にあい、なぜか米国経由で帰国したのは8月だった。

ところが今の随想舎のO氏やビオス社のS氏らの誘いで79年、宇都宮でライブハウス仮面館の経営を始めた。20名を越える学生運動くずれの集団がいわば「株主」で、何事を決めるにも現政権のように面倒臭かった。愉快な日々に卒業はまた延びる。

80年8月1日、卒業証書1枚持たされ大学所払い。退学にならなかったのは1期生のために諸規則が未整備だったことと、母校の校歌作詞者であったためかもしれない。

81年帰郷、秋田大学付属病院で内科研修を経てへき地へ。間隙を縫って座員40名から成る劇団「手形界隈」を創設、華々しく公演。これが県の逆鱗に触れ最奥地の病院へ飛ばされ劇団は崩壊、座長一人でドサ回り…。

93年に自治医大の義務年限12年を修了(在学期間の1倍半。普通9年)。2000年4月、母校地下にあった「アートインホスピタル」に由来した名称の心療内科「ハートインクリニック」開業。廃業後のカフェ転用に備え待合室をギャラリー化した。

地元の路上ミュージカルで数年脚本演出、PTA会長、町内会や神社の役員など本業退避的な諸活動を続けて今日に至る。

主な著作は、何もない。秋田魁新報社のフリーペーパー・マリマリに2008年から月1回のエッセイ「輝きの処方箋」連載や種々雑文、平成8年から地元医師会の会報編集長などで妖しい事柄を書き散らしている。

医者の不養生対策に週1、2回秋田山王テニス倶楽部で汗を流し、冬はたまにスキー。このまま一生を終わるのかと忸怩たる思いに浸っていたらビオス社から妙な依頼あり、拒絶能力は元来低く…これも自業自得か。