アートセンターサカモト 
栃木文化社 BIOS編集室

「精神科医のニア・ミス」No.140

千葉克介写真展in角館 ~ある芸術家の生涯~

昭和63年に私が秋田県角館町の病院に着任した翌日、「チバだ」という電話が病院にあった。「オメのことは友川(カズキ)から聞いでる。吞むべ」という。十和田、奥入瀬、八甲田など北東北の写真で既に著名、北海道富良野のラベンダーや秋田県西木村のカタクリ群落を写真の力で世に知らしめた写真家の千葉克介氏だった。その後よく呼び出され交友を続けていたある日、私は角館町長に呼ばれる。「君は克介とよく飲んでいるそうだが、あの呑み助は評判がよくない。ほどほどに」と苦笑交じりにいわれ、その夜も彼とジャズを聴きながら飲んだ。

昨年1月、千葉さんは78才で逝去。秋田魁新報「メモリアル」で追悼した小松嘉和記者は、「彼の魅力は大胆な構図で切り取った自然の造形美」と称賛する。2004年に銀座『秀友画廊』で開催の個展会場で森岡恭彦先生は「霧、靄(もや)、濡れた岩肌。水分が特徴だね」と感想を述べ、本人も「水は命の源。輪廻転生が私のテーマです」と応え2人の似た感性に驚いた。

写真だけではない。マタギ文化など民俗学にも造詣の深い人であった。還暦の2007年、印刷用紙フレスコジグレー開発の完成直前に脳梗塞を患い、やがて車いす生活に入ったが2019年1月に韓国で写真展を開き、8月には秋田市アトリオンにて韓国凱旋写真展と最後の著書『消えた山人~昭和の伝統マタギ~』出版記念、神戸のデザイナー江藤久子氏とのコラボ展を開催し高く評価された。

10年前に奥様が亡くなっている。ご夫妻と親しかった江藤氏の手紙に「無頼の夫を支えられた長い心労は如何ばかりだったか。翳(かげ)りのある奥様の表情が忘れられません。人の感動を呼ぶ作品は命懸けの果てなき時間の賜物。身を案じ、待つ忍耐の上に作品が…」とあり、事実、奥様は生前、夫とは別の墓に入りたいと話していた。「俺は土に還る」が口癖だった彼の納骨の日、「奥さん同じ墓でごめんね。千葉さんコンクリートの床で残念」と私は合掌した。

「イエスキリスト、故郷に受け入れられず」という言葉ある。息子さんが小学生のころ「先生がね、君のお父さんは角館ではただの呑み助だけど、東京では有名人だよって。ほんと?」というので爆笑した。わが愛すべき呑み友の芸術を育んでくれた角館と、小田野直武の秋田蘭画や平福百穂などの奥深い文化に彼もまた貢献したのは間違いない。回顧展が7月1日から3か月間、仙北市角館の平福記念美術館で開催される。<2026.6.30>

ブナ大樹(千葉克介)

レンゲツツジと鳥海山(千葉克介)

かたくり群落 (千葉克介)

秀友画廊・左から千葉氏、森岡先生、平福貞文氏(百穂の末子)、筆者、金田英雄大学書房社長(自治医大アートインホスピタルに千葉作品を常設展示)

江藤久子・千葉コラボ展(2019年8月 秋田市アトリオン)

『消えた山人 昭和の伝統マタギ』千葉克介 著

7月1日にオープンする写真展のポスター

尾根白弾峰

尾根白弾峰(佐々木 康雄)

旧・大内町出身 本荘高校卒

1980年 自治医大卒

秋田大学付属病院第一内科(消化器内科)

湖東総合病院、秋田大学精神科、阿仁町立病院内科、公立角館病院精神科、市立大曲病院精神科、杉山病院(旧・昭和町)精神科、藤原記念病院内科 勤務

平成12年4月 ハートインクリニック開業(精神科・内科)

平成16年~20年度 大久保小学校、羽城中学校PTA会長

プロフィール

1972年、第1期生として自治医科大学に入学。長い低空飛行の進級も同期生が卒業した78年、ついに落第。と同時に大学に無断で4月のパリへ。だが程なく国際血液学会に渡仏された当時の学長と学部長にモンパルナスのレストランで説教され取り乱し、パスポートと帰国チケットの盗難にあい、なぜか米国経由で帰国したのは8月だった。

ところが今の随想舎のO氏やビオス社のS氏らの誘いで79年、宇都宮でライブハウス仮面館の経営を始めた。20名を越える学生運動くずれの集団がいわば「株主」で、何事を決めるにも現政権のように面倒臭かった。愉快な日々に卒業はまた延びる。

80年8月1日、卒業証書1枚持たされ大学所払い。退学にならなかったのは1期生のために諸規則が未整備だったことと、母校の校歌作詞者であったためかもしれない。

81年帰郷、秋田大学付属病院で内科研修を経てへき地へ。間隙を縫って座員40名から成る劇団「手形界隈」を創設、華々しく公演。これが県の逆鱗に触れ最奥地の病院へ飛ばされ劇団は崩壊、座長一人でドサ回り…。

93年に自治医大の義務年限12年を修了(在学期間の1倍半。普通9年)。2000年4月、母校地下にあった「アートインホスピタル」に由来した名称の心療内科「ハートインクリニック」開業。廃業後のカフェ転用に備え待合室をギャラリー化した。

地元の路上ミュージカルで数年脚本演出、PTA会長、町内会や神社の役員など本業退避的な諸活動を続けて今日に至る。

主な著作は、何もない。秋田魁新報社のフリーペーパー・マリマリに2008年から月1回のエッセイ「輝きの処方箋」連載や種々雑文、平成8年から地元医師会の会報編集長などで妖しい事柄を書き散らしている。

医者の不養生対策に週1、2回秋田山王テニス倶楽部で汗を流し、冬はたまにスキー。このまま一生を終わるのかと忸怩たる思いに浸っていたらビオス社から妙な依頼あり、拒絶能力は元来低く…これも自業自得か。