アートセンターサカモト 栃木文化社 BIOS編集室

「精神科医のニア・ミス」No.22

君の瞳に乾杯 ~もの覚えの悪い時代~

夕べは何していたの? Where were you last night? そんな昔のことは覚えていないね。That’s so long ago, I don’t remember 映画カサブランカのラストシーン。ハンフリー・ボガードが口にする有名なこの台詞、昨夜の記憶がないのは認知症というわけではない。別れを前にした照れ隠しである。

もの忘れが異常に速く進むのが認知症だが、正確には覚え(記銘力)の悪さが先行する。覚える気もないのに勝手に記憶してしまうのが記銘力で、試験勉強のように特定の事柄を覚えようとしてなかなか覚えられないのは病気と違う。

取引先や町内など500件以上の電話番号を記憶していて、番号案内より便利な知人がいる。別に努力したのではなく、何となく覚えたという。田中角栄元首相は会った人の顔と名前を一度で記憶したといわれ、大相撲協会の北の湖理事長も自分の取り口は克明に覚えていると聞く。野生動物が外敵や食糧難から身を守るためには、こうした記銘力と、近い過去から学び判断する能力は大切で、原始社会でも、もの覚えが悪いヒトは苦労したはずだ。

まだ文字がなかった大昔は語り部が口伝えで大切な事柄を後世に残した。秘伝奥義の類も漏洩を恐れ、後継者の頭に直接記憶させた。世界初の麻酔を行った華岡青洲は、詳細な知見を書物や弟子に残さなかったため彼一代限りとなった。

ところが、文字情報があふれ、ネットで何事も済ませられる現代では、記憶より検索技術がモノをいい、パソコンを使うようになって漢字を忘れたという人も多い。屈強な運動選手も骨折で1か月間ギプスをしておくと、廃用性萎縮で筋肉が激減する。現代は、人類のもの覚え能力が廃用性萎縮に向かっている時代なのかもしれない。

「今夜、あえる?」「そんな先のことは分からない」こんな会話が続くカサブランカの極めつけは「君の瞳に乾杯」。ちょっと先を予測できない不安も記銘力障害の特徴だが、昨今は、国の政治にお手上げ、であったか。

映画「カサブランカ」の1シーン

角館武家屋敷の銀杏

尾根白弾峰

尾根白弾峰(佐々木 康雄)

旧・大内町出身 本荘高校卒

1980年 自治医大卒

秋田大学付属病院第一内科(消化器内科)

湖東総合病院、秋田大学精神科、阿仁町立病院内科、公立角館病院精神科、市立大曲病院精神科、杉山病院(旧・昭和町)精神科、藤原記念病院内科 勤務

平成12年4月 ハートインクリニック開業(精神科・内科)

平成16年~20年度 大久保小学校、羽城中学校PTA会長

プロフィール

1972年、第1期生として自治医科大学に入学。長い低空飛行の進級も同期生が卒業した78年、ついに落第。と同時に大学に無断で4月のパリへ。だが程なく国際血液学会に渡仏された当時の学長と学部長にモンパルナスのレストランで説教され取り乱し、パスポートと帰国チケットの盗難にあい、なぜか米国経由で帰国したのは8月だった。

ところが今の随想舎のO氏やビオス社のS氏らの誘いで79年、宇都宮でライブハウス仮面館の経営を始めた。20名を越える学生運動くずれの集団がいわば「株主」で、何事を決めるにも現政権のように面倒臭かった。愉快な日々に卒業はまた延びる。

80年8月1日、卒業証書1枚持たされ大学所払い。退学にならなかったのは1期生のために諸規則が未整備だったことと、母校の校歌作詞者であったためかもしれない。

81年帰郷、秋田大学付属病院で内科研修を経てへき地へ。間隙を縫って座員40名から成る劇団「手形界隈」を創設、華々しく公演。これが県の逆鱗に触れ最奥地の病院へ飛ばされ劇団は崩壊、座長一人でドサ回り…。

93年に自治医大の義務年限12年を修了(在学期間の1倍半。普通9年)。2000年4月、母校地下にあった「アートインホスピタル」に由来した名称の心療内科「ハートインクリニック」開業。廃業後のカフェ転用に備え待合室をギャラリー化した。

地元の路上ミュージカルで数年脚本演出、PTA会長、町内会や神社の役員など本業退避的な諸活動を続けて今日に至る。

主な著作は、何もない。秋田魁新報社のフリーペーパー・マリマリに2008年から月1回のエッセイ「輝きの処方箋」連載や種々雑文、平成8年から地元医師会の会報編集長などで妖しい事柄を書き散らしている。

医者の不養生対策に週1、2回秋田山王テニス倶楽部で汗を流し、冬はたまにスキー。このまま一生を終わるのかと忸怩たる思いに浸っていたらビオス社から妙な依頼あり、拒絶能力は元来低く…これも自業自得か。