アートセンターサカモト 栃木文化社 BIOS編集室

「精神科医のニア・ミス」No.50

スターリン的発想? ~バランスの問題~

某大学の教授が、ここだけの話と小さな声で話してくれた。「教授会は間もなく物事を審議する場ではなくなり、伝達機関に堕落しそうだ。うちの大学では20数名だった教授がこの40年間で40名にも増え、話し合いができる場ではなくなってきた。ある旧帝大は今や教授が100名、臨床教授も入れると150名で、それに伴い発言力が増した学長の権限がさらに強化されようとしている…」

2000年ころだったか、わが国に『副大臣』なるものが出現した。当時は中央省庁再編と行財政改が叫ばれていたのだが、気がつくと何かのポストが副大臣に変わって、今やその数25名。総理大臣と合わせた44名は国会議員の6%超である。副大臣でも履歴は「元大臣」だから、大臣の印象が少し軽くなったとしても仕方がない。

旧ソ連のスターリンは、ポーランドを占領するや真っ先に教師と弁護士と医師を抹殺した。当時この手の職にあった人々は数少ないオピニオンリーダーとして影響力が強かったため、厄介物は排除しろということだったようだ。オーストリアの哲学者イヴァン・イリイチはある本に次のようなことを書いていた。「教師は数が増えて権威が下がり、弁護士も同じ道を辿った。いずれ医師もそうなる…」

医師不足を理由に国は医学部の定員を増やしている。平成19年度からの8年間でおよそ1500人の増、医学部15校分の新設に相当する。医師の偏在問題などお構いなく、これでもまだ足りないと宮城県に新設医大も許可した。こうした「行け行けドンドン」の姿勢は戦艦大和の建造や八郎潟干拓と同じで、一旦決めてしまうと軌道修正できないのが日本という国だ。手法が異なっても為政者のやることはスターリンとさほど変わらない。

お金はともかく、大概のことは数が増えすぎると価値が下がる。老人も数が少なかった時代は尊敬されていたのだ。一方、頻発する悲惨な子供の虐待事件をみていると、少子化で数が減っているのに子供が本当に大切にされているか疑問である。バランスの悪い時代ということであろうか。

1月の八郎湖

医師歯科医薬剤師による正月のお祓い

3人寄れば文殊の知恵?(井川町国花苑)

バランスの悪い時代に生きる

尾根白弾峰

尾根白弾峰(佐々木 康雄)

旧・大内町出身 本荘高校卒

1980年 自治医大卒

秋田大学付属病院第一内科(消化器内科)

湖東総合病院、秋田大学精神科、阿仁町立病院内科、公立角館病院精神科、市立大曲病院精神科、杉山病院(旧・昭和町)精神科、藤原記念病院内科 勤務

平成12年4月 ハートインクリニック開業(精神科・内科)

平成16年~20年度 大久保小学校、羽城中学校PTA会長

プロフィール

1972年、第1期生として自治医科大学に入学。長い低空飛行の進級も同期生が卒業した78年、ついに落第。と同時に大学に無断で4月のパリへ。だが程なく国際血液学会に渡仏された当時の学長と学部長にモンパルナスのレストランで説教され取り乱し、パスポートと帰国チケットの盗難にあい、なぜか米国経由で帰国したのは8月だった。

ところが今の随想舎のO氏やビオス社のS氏らの誘いで79年、宇都宮でライブハウス仮面館の経営を始めた。20名を越える学生運動くずれの集団がいわば「株主」で、何事を決めるにも現政権のように面倒臭かった。愉快な日々に卒業はまた延びる。

80年8月1日、卒業証書1枚持たされ大学所払い。退学にならなかったのは1期生のために諸規則が未整備だったことと、母校の校歌作詞者であったためかもしれない。

81年帰郷、秋田大学付属病院で内科研修を経てへき地へ。間隙を縫って座員40名から成る劇団「手形界隈」を創設、華々しく公演。これが県の逆鱗に触れ最奥地の病院へ飛ばされ劇団は崩壊、座長一人でドサ回り…。

93年に自治医大の義務年限12年を修了(在学期間の1倍半。普通9年)。2000年4月、母校地下にあった「アートインホスピタル」に由来した名称の心療内科「ハートインクリニック」開業。廃業後のカフェ転用に備え待合室をギャラリー化した。

地元の路上ミュージカルで数年脚本演出、PTA会長、町内会や神社の役員など本業退避的な諸活動を続けて今日に至る。

主な著作は、何もない。秋田魁新報社のフリーペーパー・マリマリに2008年から月1回のエッセイ「輝きの処方箋」連載や種々雑文、平成8年から地元医師会の会報編集長などで妖しい事柄を書き散らしている。

医者の不養生対策に週1、2回秋田山王テニス倶楽部で汗を流し、冬はたまにスキー。このまま一生を終わるのかと忸怩たる思いに浸っていたらビオス社から妙な依頼あり、拒絶能力は元来低く…これも自業自得か。