「韃靼蕎麦を食わせる」と言われ秋田からのこのこ栃木へ出かけた。首謀者は20年前に蕎麦打ちを始めた大学同期。4人の子は「見るのも嫌」と反発しながら蕎麦を食わされて育った。勤務医時代は病院職員120名にも年2回食わせていたという。
当日。10名の客の前に黄色っぽい韃靼蕎麦が現れた。一口すすったら苦い。他の客も困惑気味だ。私は熱いものが苦手な猫舌だが、手伝っていた猫舌派のわが娘も「超にがい!」と叫ぶ。ところが蕎麦打ち名人は「僕はその苦味が分からない。苦い薬も苦くない」というので一同驚いた。私と娘は酸味にも敏感で、すえた豆腐や牛乳はすぐ見抜く。名人は酸味は普通という。誰かが「腐りかけの食べ物は微妙な酸味で分かる。苦味は人類が身を守るのに重要じゃないのかな」と首をかしげた。
それで思い出したことがある。パリを放浪していた若い頃、カルチェラタンの学生食堂に時々侵入して安定食にありついていた。ある日アラブ料理を出す学食に入ったらアフリカや中東の若者がバケットに真っ赤な唐辛子を塗りたくって美味しそうに食べている。さっそく真似した。目から火。10倍カレーどころの騒ぎではない。水を口に含み二口三口と試したが辛さはいや増す。あれをうまいと感じるには修行が必要だと後で聞いた。
韃靼蕎麦はモンゴルや中国高地が原産で、今回のは北海道産。通称「苦(にが)蕎麦」と呼ばれ、ポリフェノールの一種ルチンが一般の蕎麦の100倍という。成人病予防の健康食品として人気らしいが、蕎麦好きの老恩師は「あまりうまいもんじゃないな」と我々を安心させた。それを見越していた名人は「お口直しに」と二八蕎麦、田舎風五五蕎麦も出してくれた。これはうまい!
彼は言う。「蕎麦嫌いだった子たちも大きくなって外食を覚えたら、つい蕎麦屋に入ってしまうのです。最近は親父よりうまい蕎麦はめったにないと言うようになりました。三つ子の魂か、門前の小僧か。私も人生のほろ苦さは感じますがね…」
書店の社長が「お医者さん方を前に何ですが、焼けた神田藪蕎麦も再開しました。行きましょう」と言う。「そうだな」と恩師は頷き、「諸君もヤブだ土手だと気にする齢でもあるまい」と頬を緩ませた。教え子たちは苦笑いするしかなかった。
(註・藪医は向こうが透けて少し見える。土手医は全く見えない)
韃靼蕎麦と蕎麦名人
恩師の吟味
大潟村の菜の花ロード(2016.4.27)
付録。著者

