競技場の工事が間に合わない、反対デモが続いている、とにかく物騒だと開幕まで悲観的な報道が多かったリオ五輪。だが、テレビで見た開会式は「何とかなる」のラテン気質の本領発揮で、各競技が始まるや、「人生、楽しまなければもったいない」とばかりに声援とブーイングと黄色いシャツの乱舞、ほんとにやかましい五輪であった。
一方、神経質なわが国では東京五輪まで4年もあるのに、あと4年しかないと予算激増や聖火台のど忘れ騒動で、些かうつモードである。「人生の落とし穴、それを人は災難と呼ぶ」が、リオでは会場近くの教会にちゃっかり予備の聖火台を設置し、マラカナン競技場の聖火は回転する小さな構造物にきらきら輝き、締めはサンバによる圧巻のカーニバルだった。
女性モデルが花道をエレガントに歩き続ける-。木を育て、アマゾンの密林を守り、質素に生きようとのメッセージ。とどめは経費。ロンドン五輪の12分の1、北京の20分の1。選手にとっては「金」が何よりだが、企画はお金より哲学だ。
予想以上に活躍した日本チームだが、女子レスリングの吉田紗保里選手の敗北インタビューは見るに忍びなかった。「…日本選手団の主将として金メダル取らなきゃいけないところだったのに…取り返しのつかないことになってしまって…」銀でも、取り返しのつかない…そこまでいうか。
彼女は2007年10月、秋田若すぎ国体エギゼビジョンマッチのため我が潟上市を訪れた。ところが40度の熱と喉の痛みで、あろうことか心療内科の当院を受診した。化膿性扁桃腺。抗生剤にステロイド追加を提案すると栄監督はドーピングにひっかかると首を横に振る。彼女は点滴に通い、喜んだのはうちに民泊していた埼玉栄高校レスリング部の男子選手たち。熱が引いた3日目、アテネ五輪の金メダリストは7、8歳年下の彼らと笑顔で写真に納まった。
それから超人的な成績を積み上げてきた彼女がリオの表彰台で泣いている。1964年東京五輪マラソンで銅だった円谷幸吉選手が次のメキシコシ五輪を前に、謝罪と感謝の文を各方面へ遺して自死した。紗保里さん、変な気は起こすな…。
陸上日本男子リレー・銀の快挙、おそらく世界中が安堵したブラジル男子サッカー・金色の涙。聖火は豪雨に消え、ドラえもんの土管からシューベルトの「アベマリア」とともに首相のアベマリオが…違った?
大曲では昼花火競技も行われる
大曲花火
2007年10月、ハートインクリニックにて吉田選手と

