アートセンターサカモト 栃木文化社 BIOS編集室

「精神科医のニア・ミス」No.73

おかしな時代 ~止まってくれない車~

眼光鋭い白髪の爺さんが隣で寿司をほお張っていた。食いっぷりがいいので思わず、失礼ながら、と年を尋ねたら、黒柳徹子さんと同じという。ワイシャツの襟から覗く左肩のあたりが変形している。訳を問うと彼は次のような話を始めた。

「私はこの年までずっと道路を渡る時は車が止まってくれるものと思っていたが、3年前、止まってくれない車があって、鎖骨を折り、犬は即死した。今では道路を渡る時、家内が笑うくらい慎重だ。車だけでなく警察も信用できなくなった。年寄りの落ち度ばかり責めて運転手の処分は意外に軽かった。おかしな時代になったものだ…」

昔は人が道路端で立っていると車は一時停止して歩行者を横断させたものだが、最近そんな車はまれである。先日も猛吹雪の秋田市内で道路脇に立っている人がいたので、どれくらい待っているのか尋ねたら、2分近い、車は止まりませんねえと苦笑いし、別に怒っている風でもない。ドライバーが無神経になったのか、歩行者が辛抱強くなったのか、いずれにせよ、おかしい。

日本の交通事故死に占める歩行者の割合は米国やドイツの2倍半と極端に高く、あまつさえ歩行者の非を責める傾向がある。数年前、ニュージーランドに短期留学してきた教師は、「あの国では街の繁華街に入る道路や、横断歩道の手前の路面に凸凹をつけて車を減速させるハンプがあって、速度制限の標識はなかった」といっていた。こういう歩行者優先の道徳が日本ではすたれてしまった。

高齢の定義を65才から75才へ延長しようという昨今、高齢運転者の事故があるとテレビは半年も前の映像までヒステリックに流し免許返納を呼びかける。今月に入ってからすでに5人の70代が「老人は車の運転をやめてもっと働けというのか」と外来で嘆いた。70才で就任したトランプ大統領は米国第1、小池都知事は都民第1…「犬は即死した」と無念そうに寿司をつまんでいた白髪老人に対しても、実に無礼なドライバー第1の日本である。

男鹿潟上南秋医師会の医聖祭(左はヒポクラテス、右は神農)

掛け軸に二礼二拍手一礼して

米と塩を御神酒を頂く

冬の秋田を彩る白鳥の編隊(ハートインクリニック後ろの田んぼにて)

尾根白弾峰

尾根白弾峰(佐々木 康雄)

旧・大内町出身 本荘高校卒

1980年 自治医大卒

秋田大学付属病院第一内科(消化器内科)

湖東総合病院、秋田大学精神科、阿仁町立病院内科、公立角館病院精神科、市立大曲病院精神科、杉山病院(旧・昭和町)精神科、藤原記念病院内科 勤務

平成12年4月 ハートインクリニック開業(精神科・内科)

平成16年~20年度 大久保小学校、羽城中学校PTA会長

プロフィール

1972年、第1期生として自治医科大学に入学。長い低空飛行の進級も同期生が卒業した78年、ついに落第。と同時に大学に無断で4月のパリへ。だが程なく国際血液学会に渡仏された当時の学長と学部長にモンパルナスのレストランで説教され取り乱し、パスポートと帰国チケットの盗難にあい、なぜか米国経由で帰国したのは8月だった。

ところが今の随想舎のO氏やビオス社のS氏らの誘いで79年、宇都宮でライブハウス仮面館の経営を始めた。20名を越える学生運動くずれの集団がいわば「株主」で、何事を決めるにも現政権のように面倒臭かった。愉快な日々に卒業はまた延びる。

80年8月1日、卒業証書1枚持たされ大学所払い。退学にならなかったのは1期生のために諸規則が未整備だったことと、母校の校歌作詞者であったためかもしれない。

81年帰郷、秋田大学付属病院で内科研修を経てへき地へ。間隙を縫って座員40名から成る劇団「手形界隈」を創設、華々しく公演。これが県の逆鱗に触れ最奥地の病院へ飛ばされ劇団は崩壊、座長一人でドサ回り…。

93年に自治医大の義務年限12年を修了(在学期間の1倍半。普通9年)。2000年4月、母校地下にあった「アートインホスピタル」に由来した名称の心療内科「ハートインクリニック」開業。廃業後のカフェ転用に備え待合室をギャラリー化した。

地元の路上ミュージカルで数年脚本演出、PTA会長、町内会や神社の役員など本業退避的な諸活動を続けて今日に至る。

主な著作は、何もない。秋田魁新報社のフリーペーパー・マリマリに2008年から月1回のエッセイ「輝きの処方箋」連載や種々雑文、平成8年から地元医師会の会報編集長などで妖しい事柄を書き散らしている。

医者の不養生対策に週1、2回秋田山王テニス倶楽部で汗を流し、冬はたまにスキー。このまま一生を終わるのかと忸怩たる思いに浸っていたらビオス社から妙な依頼あり、拒絶能力は元来低く…これも自業自得か。