アートセンターサカモト 栃木文化社 BIOS編集室

「精神科医のニア・ミス」No.85

滑る ~育つ平衡感覚~

秋田市北郊の潟上市は今冬、雪が少なくブルドーザーが初めて姿を現したのは1月下旬である。豪雪の北陸には恐縮だが、除雪が冬場の収入源となる土木業者らがぼやくくらい日本海の強風が雪を吹き飛ばす。だが異常低温で路面が凍結し、滑って危ないから散歩は中止という人も多い。

栃木の大学に入った最初の冬休みに鹿児島出身の友人が秋田のわが実家を訪れた。雪と縁のない育ちの彼は雪上を歩くことを怖がり、試しにスケート場へ連行したら壁にしがみついたまま動けなかった。栃木に戻ると学生寮仲間が日光の鶏頂山スキー場へ行こうという。雪国育ちとはいえ私の子供の頃は付近にスキー場もなく、長靴スキーだったから、曲がる、止まるなどの操作はほぼ不可能だった。中学時代はほとんどやらず、高校でもスキー部の生徒以外は誰もスキーをやらなかった。だから「秋田出身だろう」といわれても困る。ところが最初の1本からスイスイではないか。自分でも訳が分からない。

長過ぎた学生生活を終え9年ぶりに秋田へ戻ると空前のスキーブームであった。映画『私を好きに連れてって』がヒットしていた頃である。やがてへき地勤務が始まり、マタギの阿仁町立病院に赴任したら阿仁・森吉山スキー場がオープンした。翌年角館に転勤すると千畑スキー場が、2年後に大曲へ移るとファミリースキー場がオープンといった具合で、土曜半ドンの仕事が終わると昼飯も食わずにスキー場へ直行したものだ。

やがて子が次々生まれ、よちよち歩きの頃からスキーに連れて行くようになった。よせばいいのに乱暴な親の指導で子らはスキー嫌いになる。小学校の途中で全員さじを投げ、親の方もスキーからテニスへ興味が移り、子らはほんの数回でスキー人生を終えたかに思われた。

ところが、彼らも都内の大学へ進むと「秋田だろう」とスキーに誘われる。そして案の定、私と同じように恐々ゲレンデに立ってみたら意外にうまく滑れたと驚く。幼児期に「スキーは滑るから危ない」と警戒していた長男も今やスノボーで私を追い抜く。雪国育ちは、スキーやスケートの特別な訓練がなくても幼いころから凍結路を歩くことで平衡感覚が鍛えられ、「滑る」ことに強いようだ。この連休、長男は医師国家試験だが、これだけは親のように滑ってもらいたくない。

男鹿半島真山神社なまはげ柴灯祭り

宮司による神事によって若者たちがなまはげになる

山から下りてくるなまはげたち

半島の各集落ごとになまはげのお面は異なる

ひょうきんな顔のお面は割と新しいタイプ

*写真:佐々木かなえ(千葉克介写真教室)

尾根白弾峰

尾根白弾峰(佐々木 康雄)

旧・大内町出身 本荘高校卒

1980年 自治医大卒

秋田大学付属病院第一内科(消化器内科)

湖東総合病院、秋田大学精神科、阿仁町立病院内科、公立角館病院精神科、市立大曲病院精神科、杉山病院(旧・昭和町)精神科、藤原記念病院内科 勤務

平成12年4月 ハートインクリニック開業(精神科・内科)

平成16年~20年度 大久保小学校、羽城中学校PTA会長

プロフィール

1972年、第1期生として自治医科大学に入学。長い低空飛行の進級も同期生が卒業した78年、ついに落第。と同時に大学に無断で4月のパリへ。だが程なく国際血液学会に渡仏された当時の学長と学部長にモンパルナスのレストランで説教され取り乱し、パスポートと帰国チケットの盗難にあい、なぜか米国経由で帰国したのは8月だった。

ところが今の随想舎のO氏やビオス社のS氏らの誘いで79年、宇都宮でライブハウス仮面館の経営を始めた。20名を越える学生運動くずれの集団がいわば「株主」で、何事を決めるにも現政権のように面倒臭かった。愉快な日々に卒業はまた延びる。

80年8月1日、卒業証書1枚持たされ大学所払い。退学にならなかったのは1期生のために諸規則が未整備だったことと、母校の校歌作詞者であったためかもしれない。

81年帰郷、秋田大学付属病院で内科研修を経てへき地へ。間隙を縫って座員40名から成る劇団「手形界隈」を創設、華々しく公演。これが県の逆鱗に触れ最奥地の病院へ飛ばされ劇団は崩壊、座長一人でドサ回り…。

93年に自治医大の義務年限12年を修了(在学期間の1倍半。普通9年)。2000年4月、母校地下にあった「アートインホスピタル」に由来した名称の心療内科「ハートインクリニック」開業。廃業後のカフェ転用に備え待合室をギャラリー化した。

地元の路上ミュージカルで数年脚本演出、PTA会長、町内会や神社の役員など本業退避的な諸活動を続けて今日に至る。

主な著作は、何もない。秋田魁新報社のフリーペーパー・マリマリに2008年から月1回のエッセイ「輝きの処方箋」連載や種々雑文、平成8年から地元医師会の会報編集長などで妖しい事柄を書き散らしている。

医者の不養生対策に週1、2回秋田山王テニス倶楽部で汗を流し、冬はたまにスキー。このまま一生を終わるのかと忸怩たる思いに浸っていたらビオス社から妙な依頼あり、拒絶能力は元来低く…これも自業自得か。