『70年前の不戦条約』 97・4・25
現憲法を批判する人々は、第九条が現実無視の理想論に過ぎず、またわが国の民意を反映していないという。草案は、当時米国の半植民地だったフィリピンに適用されていた米国法を、ポツダム宣言の趣旨をも汲み連合国の名で敗戦国日本に適用したとの学説がある。軍部の復活を恐れた彼らは、新憲法に自衛戦を含む戦争の放棄と軍備の不保持を盛り込んだ。後に改憲勢力から青臭いと言われるようになる「先駆性」をはぎ取れば、一切の軍備を持たせぬ植民地政策の応用だった。
ところで1928年(昭3)、当時の主な国々(日、独、米等の9カ国)の代表がパリに集まり、『戦争抛棄に関する条約』に署名した。わが国はこの条約を批准し翌年公布した。前文の一部は「国家ノ政策ノ手段トシテ戦争ヲ抛棄スベキ時機ノ到来センコトヲ確信シ」である。さらに第一条では「国際紛争解決ノ為戦争ニ訴フルコトヲ非トシ且国家ノ政策ノ手段トシテノ戦争ヲ抛棄スルコトヲ厳粛ニ宣言ス」とうたっている(97年・三省堂・電子ブック版『模範六法』)。
病院では資料の入手が不可能ゆえ、これ以上の考察はできない。しかし、この条約が、なぜかわが国+α以外の各国議会の批准が得られなかったとしても、主要各国政府は一旦は署名した。第九条必ずしも幼稚な書生論ではないだろう。
『放医研の目的』 97・5・8
重粒子線の照射を受け始めて6回、まだ視力は無事だ。だが聴力は左右とも極端に落ちた。担当医は左耳は病気と関係ないという。確かに4日前の発熱後に急変した。だが同時に医師は、右は宇都宮時代にガンが原因でとも。ん?
1月の初訪問時、医師からここが実験施設である旨を告げられたが、入所1か月にしてその真意が見えてきた。つまり、ここでは「ガン退治」が唯一無二の目的であって、いくつかの病気を抱えた患者をいわばトータルに健康体に戻すことはしない、ということ。
無論まったく無策ではない。例えば糖尿病の患者にはそれなりの薬、食事を出す。しかし調味料(患者が用意!)、副食物の調達は勝手だし、外出外泊時には何の注意事項も示されない。自ら律せよとのことだろうが、外泊時に大酒を食らってくる肝ガン、胃ガンの患者もいる。
重粒子線に関する過剰とも思える説明と書面への(代筆不可の)署名捺印に比べると、そのチグハグさに呆れる。だからここでは、ガンが消えても別の病気で死ぬ患者が出る。だが、ガンのデータだけはバッチリ残る仕組みだ。
『望外の喜び』 97・5・27
今日、予定通り最後の重粒子線の照射があった。1週4回、4週で1クールというのが標準だ。日を追ってガン組織の縮んでいく様子が、不思議に自分でも感じられた。当然のことながら副作用もそれに比例して出てきた。ただ、巷間伝えられている苦しみとは雲泥の差だ。信じ難い話だが、国立病院では無為に終わった半年が、ここでは僅か2カ月半で歓喜の裡に幕が下りる。
春から初夏へかけての窓外の景色は、生命そのものの輝きであり躍動に満ちている。動物実験の時代から数えれば、かなりの年数を経ているこの施設の樹木も、既に堂々たる貫禄を見せている。それらの間に配された潅木や草花も、季節や晴雨に応じてそれぞれの役割を演じてきた。
今日でピークに達した副作用も、あとは次第に鎮静化してゆくだろう。転移や再発のことは考えまい。選ばれてこの施設で治療を受けられた僥倖と、多くの友人たちの励ましに感謝しながら、これからの新しい途を模索しよう。(尚この駄文の題の『宿病』は大袈裟すぎた。これも喜びの一つである)
職場での一幕

