アートセンターサカモト 
栃木文化社 BIOS編集室

随想・宿痾佳情②

号外 96・12・8

大蔵省の岡光って前・事務次官、バレねェって思ってたんでしょうかね。倣慢ですねェ、ホントに。もっとも、今までにも大統領や首相の犯罪ってのもありましたから、まったく情けねェ話だが、いまさらそう驚きませんがね。

そこに行くってェと、地獄の閻魔さまは、めっちゃ我が侭だけど、やはり昔の律儀さですかね、さすがに節度ってものを心得ておられまする。

地獄の帳簿に命数の尽きておらぬ限り、急な使者立てての横紙破りはならぬ。源内先生の『根南志具佐』って戯作にそうあるんですから間違いねェ。

ってなわけで、源内先生の大受けにあやかろうと、さもしい根性丸出しで戯作まがいの駄文を弄しているわが佇龍洞主人、未だに地獄からの呼び出しがございませぬ。予想を越える腎機能の低下は、今をときめく西方医にもどうにも手の打ちようがねェらしい。ガン組織の跳梁にまかせ、これからァ自宅で空しく日々を重ねよってェ連れないご託宣だそうで・・・

いけねェ、主人の愚痴が始まらねェうちに、三十六計と消えやすんで。じゃそのうち、また。ハイご免なすって。

『公営賭博』 96・12・13

一人殺せば事件だが、500人殺せば統計の問題になるーーーまことに国家は身勝手である。

沖縄では、私有地を強制的に借用して米軍基地としているのに対し、尖閣諸島については、そこが私有地だとの理由で、灯台の問題には介入できないという。また、国民には刑罰をもって賭博を禁じておきながら、自らはその親分に収まり寺銭を徴している。

働かずして多額の現金を得ること、またはその逆が、個々の国民とその家庭にひいては社会的に大きな弊害をもたらすことから、各国とも一様に賭博を禁じている。その趣旨と、国や地方が賭博を主催することとは二律背反ではないか。

したがって、公営賭博は、廃止、返上すべきである。いかに地方財政の支えになろうとも、手を染めるべきではない。幸い、県内の競馬が赤字だという。競馬法(48年)に定める目的(財源確保)に合致しなくなったときを捕らえてならば廃止、返上もやりやすいのではないか。

自治体にも人格がある以上、その陶冶に努力すべきである。

〈本日・下野〉

『ちょっと気取って』 97・1・1

「ちょっと気取って書け」とは、文芸評論家・丸谷才一氏の『文章読本』の一節である。優れた文章を書くには、論旨が明快であることや、言葉選びが適切であることなど、いくつかの心すべき事項がある。彼は、それらをクリアする作業に際して、ちょっぴり目標を高めに設定せよという。

この警句は、人生の処し方についても当てはめていいのだと、私は以前から密かに信じている。普段よりも、わずかにハードルを高くして日々を過ごしてみよと。

これに対して、いつもの自分流の生き方を、と考える方もあろう。もちろん、それはそれで構わないが、昨日よりはホンの少しだけオシャレしたような気持ちで辺りを見渡してみたらどうだろう。他人に見せるための虚飾ではなく、自分の内部にむけてのいささかのお澄し。今日の自分が何だか少々変身したように、成長したようには感じられないか。

新しい年を迎え、なおさらその思いを深くしている。

〈地元紙・下野新聞・元日掲載〉

故野添嘉久氏


野添嘉久

野添嘉久

1940年、東京に生まれる。早大卒。1973年、宇都宮市築瀬町にフリースペース「仮面館」を開店。以後、約10年間、音楽、演劇、映画等、広い分野にわたる活動を続ける。 1980年より市民塾〈足尾〉を主宰。『なぜ、今、足尾か』(下野新聞社)を編集。1998年 没。