アートセンターサカモト 
栃木文化社 BIOS編集室

随想・宿痾佳情④

『恐怖による発熱』 97・1・31

知床の漁場。出漁にあたり、氷を4トンも積む。「魚は船にあげると暴れて熱を出す。恐怖のための発熱だ。鮮度が落ちても味が悪くなる。その熱を下げるためさ」と漁師が言う。

船の真ん中に四角形の穴があいていて、魚たちは網から直接その船倉に落ちる。甲板で跳ねる魚も、蹴落とされる。船倉は暴れる魚たちのたちまち阿鼻叫喚の地獄となる。みるみる水は溶け、魚たちも静かになっていく。

いきなり地獄に突き落とされた魚たちが、そのとき何を考えているのか、私にはわからない。だが身を焼くほどの恐怖がありありと伝わってきていたたまれないような気持ちになる。(立松和平『ブッダその人へ』から一部要約)

千葉の放射線研究所の医師によると、私の場合、他の臓器への転移は予想外に早いという。そうなると照射できないのだとも。しかし、装置の定期点検のため、2月末から4月初めまで照射を受けられない。腎臓への副作用も皆無というわけではない。医師は、そのときは透析を受ければと、なぜかいたって楽観的なのだ。

私も近く発熱するだろう。

『水で走る車』 97・2・19

山間の、とある小さな部落。一軒の農家に立ち寄った男が、水を所望する。

「いや、飲むんじゃない。この車は、水で走るのさ」

驚く農夫に、男は彼の大発明を得々と説明し、特許で共同で申請しようと持ちかける。舞い上がった農夫は、申請費用の一部を男に差し出す。

以上は、永六輔氏がいつかラジオで語っていたことで、今日もアメリカのどこかで繰り返されているそうな。

天下一家の会、豊田商事、経済革命クラブ、オレンジ共済等々の、「被害者」にあまり同情できない事例に比べて、なんと微笑ましいことだろう。農夫の目の届かないところまで一目散に車を飛ばしてきたポール・ニューマンとサミー・デイビスjrが、肩を叩き合って大笑いしている様まで彷彿としてくるようだ。

私も秘かに思う。こんなスマートな事件を自ら演出、主演できないものか、と。多重債務者を騙した事件では、銀行から手形用紙を入手するために、それなりの準備と手続きを経たらしい。そんな手間暇をかけなくても可能な企画?があれば、ぜひともご教示願いたいものだ。

『何を見たいのか』 97・3・14

34年の長年月にわたって院政を敷き、鎌倉幕府の成立と瓦解という激しい時代のうねりの中で、波欄万丈の生涯を終えた後白河法皇の、今際の言葉は「すべてのものは見つ」だったと、井上靖は書いている。いったい何を見たことで、彼は恬として死に向かいあうことができたのだろうか。

2日前、千葉の放射線医学研究所(放医研)で、たとえ重粒子線を照射せずとも、あと2年以内に左右とも完全に失明する可能性が高い、と告知された。ガンが視神経を冒すからだ。照射すればガンは死滅するが、視神経にも照射されることになり、その結果失明までの期間はずっと短くなるらしい。ガンは右側だけではなく、しかも共に視神経に接している。要するに部署が悪いのだ。

もう50年間いろんなことをいっぱい見てきたじゃないのと妻が言う。そんなバカなと一蹴するのは易しいが、ではこれから先自分は何を見たいのか、と問われれば明確な答は、ない。

ネパールを案内するという息子の誘いには最早応じられそうもない。24日前後の入院の前にせめて沖縄の海を見に行こう。

1992年8月2日。海で妻のすみさんと

野添嘉久

野添嘉久

1940年、東京に生まれる。早大卒。1973年、宇都宮市築瀬町にフリースペース「仮面館」を開店。以後、約10年間、音楽、演劇、映画等、広い分野にわたる活動を続ける。 1980年より市民塾〈足尾〉を主宰。『なぜ、今、足尾か』(下野新聞社)を編集。1998年 没。