アートセンターサカモト 栃木文化社 BIOS編集室

「ビオス電子版スペシャルトーク」No.12

「点であったものを面に広げる」 ―那珂川町 福島泰夫町長 × 小砂焼陶芸家・下野手仕事会 藤田眞一会長―

栃木県那珂川町は県の東北東に位置し、北部は大田原市、南部は那須烏山市、西部はさくら市、東部は茨城県大子町、常陸大宮市と隣接。豊かな自然は、多彩なまちづくりに生かされている。さらに気候は、典型的な内陸型の気候であり、年間平均気温は13℃前後で四季を通して比較的温暖な生活しやすい環境が特徴である。

(那珂川町ホームページ参照)

那珂川町は、2015年10月1日に馬頭町と小川町が合併して10周年を迎えたばかりである。今回は2013年に初当選された福島泰夫町長と、小砂焼陶芸家として地域の伝統文化を継承し保持している下野手仕事会の藤田眞一会長に話を伺った。

福島泰夫町長

下野手仕事会 藤田眞一会長

那珂川町10周年を迎えてのこれからの展望

福島 今の時代は全国的にも人口減少が始まっています。この地域はもっと早くから人口減少が始まっていて、特に少子化の問題については、子どもの年間出生者数が少なく、人口減少が他市町に比べて非常に激しい。将来の町を支える子どもが少ない。これを何とかしなきゃいけないということで、これからの10年は子育てしやすい環境づくりが大切だと思っています。

この町は新幹線など鉄道がない。高速道路もない。国道4号のような一桁の大きい道路もない、ミステリーツアーの終着駅みたいな町なのですが、昔からの地域資源は豊かです。小砂焼があって、清流那珂川があって、那珂川に生息する魚もたくさんいます。そして、いい温泉がいくつもあります。それらに加えて新しい地域資源が今たくさんできています。町民の方が非常に頑張って、例えば、温泉トラフグ、ホンモロコ、マコモダケ、マンゴー栽培、ウナギの養殖も始まっています。バイオエネルギーを使って水を温めて生育を早くしていますが、ウナギは養殖の北限だと思いますね。このように新しい地域資源を大いに生かしていきたいと思います。

藤田 町長がお話なさったように、平成25年から「なかがわ元気プロジェクト連絡協議会」を立ち上げて、地域資源を生かす取り組みをしています。核となるのは温泉トラフグで、メディアがかなり取り上げて知名度が上がっています。あとはバイオマス関係です。里山、森林を生かし、また廃材を生かした事業など低コストで地域おこしができるという取り組みが始まっています。その集大成のようなものが去年から始まった「なかがわ元気フェスタ」です。A級グルメのようなA級食材としての温泉トラフグ、イノシシ、ホンモロコ、マコモダケなどの食材が生まれてきてるので、それらを生かしたフェスティバルを始めました。昨年は8000人くらい県内外から来ていただきました。

福島 食には、当然器が必要で、そこに伝統の小砂焼の器の味と食の味も出しながら、シェフの方々が考えてくださっています。イベントでは使い捨ての容器ですが、飲食店には小砂焼を取り入れてもらっています。町と協力しながら観光施設それぞれが趣向を凝らしてより積極的に宣伝してもらいたいと思っています。宣伝においては、素晴らしい企画で情報を発信しているのが、鷲子山上神社(とりのこさんしょうじんじゃ)です。那珂川町と茨城県常陸大宮市の県境にあるのですが、そこの宮司さんと奥さんは素晴らしい情報発信とパフォーマンス、馬力もあります。一番の観光資源は人なので、常にお客さんを呼ぶための情報発信やイベントを考えて取り組んでいますし、鷲子山上神社の宮司と奥さんの接客が印象的で多くの人が何回も行く場所となっています。

藤田 神社に行くたびに季節にあわせてイベントや行事をやっています。例えば、富士山が見える場所があるので富士山の写真展を、アジサイを植え整えてアジサイ祭りと、来訪者に楽しんでもらおうという思いがあります。道はすごく細いですが、参拝者がたくさんいますね。イベントのときは茨城県側から上って馬頭側に下りる一方通行にしないと途中で詰まるので、道の拡幅を要望していますがなかなかすぐにはできません。

鷲子山上神社のことを別名で「ふくろう神社」と言って、いろいろな「ふくろう」がおいてあり、地域のものを販売したいという要望があって、小砂焼の「お願いふくろう(不苦労)」もあります。それがルーツで12年前からの小砂焼の干支作りにつながっています。こだわりがしっかりしているし地域おこしに熱心です。

福島 資源としてはたくさんあって、新聞を賑わせてもらってる状態で、一つ一つはいいんだけど、それをいかに観光に結び付けて連携してまとまっていけるかが、これから求められることだと思います。「なかがわ元気フェスタ」を去年と今年開催しましたが、点であったものを線で結んで線を面に広げていかないといけないですね。

なかがわ元気フェスタ

鷲子山上神社

鷲子山上神社夜祭り

次世代を担う子どもたちと町の伝統文化

福島 子どもたちに伝統文化を伝えるのには、何と言っても体験が一番ですね。

藤田 毎年町内の保育園では卒園制作で小砂焼の体験をしてもらっています。私が保育園に出張して、そこで記念になるようなものを粘土で作ってもらいます。一番初めに粘土に触るきっかけが保育園の卒園制作で、町内の子どもたちはほとんど体験してます。そういう子どもたちの中から、将来小砂焼に携わるような子どもが現れると嬉しいです。いかんせん少子化なので子どもの数がだんだん少なくなっていくというのがさみしいですね。少ない人数でも濃い人材が育ってもらえればいいなと思います。

福島 町と交流している姉妹都市はアメリカ・ニューヨーク州のホースヘッズ村ですが、毎年行き来していて25年になります。ホースヘッズからお見えになった方には必ず町の伝統文化を体験していただいてます。

また、国際交流事業で外国の方を集めて日本の伝統的な手植えの田植えをしたり、稲刈りしたり餅つきしたりするのですが、国際交流協会や地域の皆さんの協力をいただいて、そういうイベントも20年以上やっています。来てくださる方はアメリカ、ヨーロッパ、アジア、東南アジアなどさまざまな国からお見えになります。町の窓口の生涯学習課から県の国際交流課へつなぎ、宇都宮大学、白鴎大学、獨協医大、自治医大などの各大学にご協力いただきホームステイしていただいています。ホームステイ先でも田植えや稲刈りなどの日本文化の体験していただき、町の温泉に行ったり、藤田製陶所に行って陶芸体験をしたりします。その時作った作品を焼きあがってから送ってあげると、またそこで交流ができます。

藤田 先月家内もお世話になってホースヘッズに行かせていただきました。交流は子どもたちが主ですが、今回は那珂川町合併10周年記念事業ということでおとなも一緒に海外交流に参加しました。80歳代から30歳代の町民が参加し、いい茶碗を焼いてもらって村長さんへのお土産に持っていきした。子どもたちだけでは行って感じたことなどをうまく伝え切れない場合も、聞いたおとなたちがよく理解できない場合がありますが、実際におとなが同行すると、こういう接待を受けるのかというのが、さらに分かって相当勉強になりました。大変な接待を受けたと家内も言ってました。

福島 今度は、向こうから子どもと一緒に来るおとなの方々の接待を、今回参加したおとなの団員が中心になってできると思います。今までは役場職員や学校の先生しか同行しませんでしたが、今回は地域の人が行ったことによって町をあげての交流になると思います。

藤田 向こうの人はフットワークがいいというか物の作り方が早い。お土産品を作るのも上手ですね。今回もグラスに那珂川町のマークを入れたのをプレゼントしてくれましたよ。

餅は餅屋で得意な人が何でもやっちゃう。これはホースヘッズの学校で作っています(写真4)。こういうのを作れるということは自分の村の自慢、自信を持っているということだと思うのです。こういうことも勉強になる。我が町の子どもたちが、自慢できるような町にしたいです。子どもたちも自分の町を自慢できるように育って欲しい。そういう点では海外交流に行くのも勉強になります。外に出てやっと分かることもあります。おとなもそうですが、住んでいると当り前に思っていたことが、実は素晴らしい事だったり素晴らしい所だったということを分からせてもらえます。

福島 そこに花の模様の茶碗がありますが、「地域おこし協力隊」の隊員が今町内に4人いまして、その中の一人の作品です。地場産の小砂焼とのコラボで、焼き物を生かしてプレゼント商品を作っています。「地域おこし協力隊」は総務省の事業ですが、その中の一人に芸術系の方がおられて、役場の窓口の職員が「死亡届を持ってきたときは町長の弔電を持たすんだけど、出生届けを持ってきたときに何もあげるものがない。」と言うので、それでは、出生届け持ってきた方にカフェオレボウルをあげようということになったのです。お食い初めに使ったり茶碗にしても良いと思います。町の人の発想になかったところも協力隊員によって生まれます。地域のものを生かしたものづくりでの例のひとつだと思います。

藤田 商店街の空き店舗をどう使うかと考えている人もいますし、農業と食のことをどうやろうかなと考える人もいますね。外からいろいろな人たちが来て、その人たちが地域の中に入っていって掘りおこしをしているという良い取り組みだと思います。

ホースヘッズ村の人々との交流

ホースヘッズのバックを手に

記念のカフェオレボール

「ナカマルシェ」と「元気プロジェクト」

福島 町への移住者は少しずつ増えてきていると思います。この町は大きな会社はないので、農業に従事しようと思う人が入ってきたり、木工や石を彫る、絵を描くなどの手に職を持つ人たちが町に住むようになってきています。アート面に力が入ってるような人たちが来ているので、そういう人たちが地域の発信者になりつつありますね。そういう方々はホームページもマメに更新して、地域のことも発信してもらえています。今まで「花の風まつり」というお祭りを開催していますが、そういう人たちとコラボして地域が町おこしをしているところです。町の住人たちも自分たちのいいところがたくさん見えてきたかなと思っています。

藤田 町おこしのひとつでもある「ナカマルシェ」は、パンを焼く人、コーヒーを出す人、野菜を出す人、陶芸、木工作品を出す人もいます。「ナカマルシェ」は場所が特定されてないので、私のところでもやりましたし、岩村さん(いわむらかずお絵本の丘美術館)のところでもやりました。いろんなところでテントを出したりして町中どころか、隣町の大田原市まで行ってやりました。仲間同士の交流も深まっているので、良い取り組みだと思っています。

福島 以前はさまざまな補助事業があったのですが、補助事業は大体「金の切れ目が縁の切れ目」で補助期間が終わるとしぼんでしまうのです。今、町の中で盛り上がっている事業は補助金がついてないのです。自発的に始まるから消えない。さっき藤田さんがおっしゃった「花の風まつり」も町のお金は一銭も入ってないのに、ものすごく盛り上がっている。「ナカマルシェ」もそうです。先ほど話にでました新しい地域資源のトラフグやウナギなども、バイオ関係の補助金はありますが、「自分たちがこうやりたいからそのために何かないかな」と探し出したものなので絶対続くと思います。

藤田 那珂川町の馬頭高校には内陸には珍しい水産学科があり、魚の養殖に取り組んでいます。そこの研究とコラボして、ホンモロコもウナギもナマズも養殖に成功しましたね。

福島 学官連携の成果です。また、この町は土地の3分の2が山です。木がたくさんあるのですが、材木の値段が安く林業が成り立ちにくい。そのままにしてしまうと山は荒廃します。そこで、木材を使って発電し、バイオ熱エネルギーでいろいろな取り組みをしています。木の提供者にお金を払うのですが、町内でしか使えない地域通貨券「森の恵」で支払い、町の中で消費してもらいます。そうすると山も綺麗になり、木を持ってきた人も潤う、町の商店街も潤うという循環型。そういう取り組みをして循環型の中でゴミを限りなく減らしていこうということです。

町は隣の那須烏山市と広域行政を組織し、ゴミ処理、消防、病院、火葬場などを共同で行っています。ゴミ焼却場はものすごくお金がかかるし、将来的には両方の市と町で負担しきれなくなることが予想されます。だったら燃やすものを減らせば小さくて済むだろうと、ゴミを限りなく減らす取り組みを進めています。

資源になる物は全部使う。生ゴミは当然堆肥にもなるし、下水の屎尿なども当然肥料や資源になる。そういう循環型社会を求めていろいろな取り組みを連携しています。それが「元気プロジェクト」の目的でもありますし、そこに観光を取り入れればと思っています。

藤田 「元気プロジェクト」は「おもてなし部会」があったり、六次産業化をやりたいグループなど、いろいろなグループを合わせたプロジェクトです。そこから新しい会社が発生したりして、やる気のある人たちが集まって企画しています。

福島 その舵取りや事務方を行政がお手伝いしています。「元気プロジェクト」は正式な会社組織として立ち上がっていませんが、町長が代表者になることはなく、あくまでも民間の方が主のプロジェクトです。

ナカマルシェ

町の伝統文化と歴史

藤田 10月に「第4回水戸藩セラミックロード展in小砂」を、町の合併10周年の記念事業として生涯学習課にご協力いただき町長さんにもおいでいただいて開催しました。一番大きかったのは、藤田の初代が小砂に来て最初の窯を作った窯跡があり、奇跡的にまだ形が残っている所があるのです。窯の段になっているのが露出した状態で残っているのはなかなかありません。そこに小砂焼窯跡として碑を建立させてもらいました。それが今年は大変大きな事業になりました。

ただ口で歴史、歴史と言うだけではなくて、実際に遺跡が残っているということを確認して記念碑を建立させてもらったことで、それを維持管理する責任も出てくるのですが、「水戸藩セラミックロード展in小砂」をやらせてもらったのが大きな事業でした。これからは町の協力も得て伝統文化をしっかり残していくような事業のきっかけになればいいなと思っています。篠藪だったところを整備してもらって、地権者の方に協力していただきました。私としても大変感慨深いです。そういう点でもしっかり残していきたいと思っています。整備するというよりは、現状を守るということだと思います。

福島 誰かがそこに目を向けないとなくなってしまうものなので、その時できる人が守っていくということですね。

藤田 窯跡は今の私の窯から歩いて30分くらいのところですが、イベントを開催したときは景観も良いので途中から皆さんに歩いていただきました。昔は「馬が通れば道」みたいなところを通って山から土を運んできて、そこで陶器や舗道用レンガも作っていました。小砂焼が出来たのは水戸藩の頃でしたが、ちょうど黒船が来た時代で、大砲を作らなきゃいけないので反射炉という鉄を溶かす炉を造るためのレンガも作っていました。今は茨城の那珂湊に当時の反射炉があります。私のところの敷地に敷いてあるレンガが舗道用レンガですが、大正末期から昭和にかけて作ったレンガはほとんど東京へ出荷されて銀座の舗道に使われたりしていました。その銀座の歩道を改修するときレンガを品川の戸越に持っていって歩道に使い、「戸越銀座」と言われるようになりました。それが今全国にある「○○銀座」ということの発祥だと言われています。銀座のレンガのルーツは小砂からということです。

福島 故立松和平さんが那珂川の周辺をずーっと取材していて物語を構想していました。構想半ばで亡くなり、ご長女の山中桃子さんが受け継がれて「アユルものがたり―那須の国のおはなし」をご出版なさったということですね。那珂川町のルーツが書かれた絵本ですね。ここに書かれている砂金の話は「栃木県立なす風土記の丘資料館」に展示されています。武茂川で取れた砂金です。今でも洞窟のような採取場跡が残っています。入ることはできませんが、「古代産金の里」という碑も立っています。

藤田 「ゆりがねマラソン」、「ゆりがね温泉」など「ゆりがね」がついてるのは金が産出されたところだからです。平安時代にさかのぼるのですが、奈良の東大寺にも塗金で使われたそうです。それだけ豊かな土地だった。ここまで水戸藩だったのは豊かな土地なので佐竹を追い払って領地として取ったということですね。明治になり廃藩置県となったときに栃木県に編入されたということです。

福島 もうひとつ歴史で大事なのは「橋渡」といわれた小川地区も古代文化の町だったのです。小川地区はどこを掘っても何かの遺跡物が出てきてしまって道路工事が一番しにくいところと言われています。「古代の都」的なところだったのです。「風土記の丘資料館」があり、古墳群もあります。山中桃子さんの絵本で書かれている「まほろば」の地です。

そして、町にはそれぞれジャンルの違う三つの美術館があります。「那珂川町馬頭広重美術館」「いわむらかずお絵本の丘美術館」「もうひとつの美術館」(下記参照)ですが、それぞれが個性豊かな企画で発信する素晴らしい文化が那珂川町の誇りでもあります。

藤田 今日はお忙しいところをありがとうございました。那珂川町の発展のためにこれからもよろしくお願いいたします。

福島 こちらこそよろしくお願いいたします。那珂川町の伝統文化を次世代に継承させていく大事な役目をどうぞよろしくお願いいたします。

創業時代から使われてきた藍甕

「小砂焼窯跡」建立

藤田製陶所作業所前で

干支の申の置物を作る藤田さん

小砂焼

「アユルものがたり」を読む町長

干支の申の小砂焼を福島町長に贈る藤田さん

構成:ビオス編集室(2015年12月収録)

那珂川町 福島泰夫町長

1950年生まれ。2003年4月、小川町議会議員に就任。2005年10月、那珂川町議会議員に就任。2013年11月6日、那珂川町長に就任。

那珂川町役場

〒324-0692 栃木県那須郡那珂川町馬頭409番地

TEL:0287-92-1111 FAX:0287-92-2406

http://www.town.tochigi-nakagawa.lg.jp/

藤田製陶所

〒324-0611 栃木県那須郡那珂川町小砂2710

TEL:0287-93-0703

http://koisagoyaki.co.jp/

那珂川町馬頭広重美術館

〒324-0613 栃木県那須郡那珂川町馬頭116-9

TEL:0287-92-1199 FAX:0287-92-7177

http://www.hiroshige.bato.tochigi.jp/batou/hp/index.html

もうひとつの美術館

〒324-0618 栃木県那須郡那珂川町小口1181-2

TEL&FAX:0287-92-8088

http://www.mobmuseum.org/

いわむらかずお絵本の丘美術館

〒324-0611 栃木県那須郡那珂川町小砂3097

TEL:0287-92-5514 FAX:0287-92-1818

e-mail:ehon@ehonnooka.com

http://ehonnooka.com/