アートセンターサカモト 栃木文化社 BIOS編集室

「ビオス電子版スペシャルトーク」No.14

「佐野市の歴史と文化―まちおこしの担い手たち」 ―佐野市 岡部正英 市長 × 下野手仕事会 柳誠(人形工芸)・吉田宏(衣装着雛)―

「佐野」の地名が記録上初めて登場したのは、平安時代の荘園名である「佐野庄」からです。江戸時代には、現在の城山公園の場所に佐野城が築城されるとともに町割りされ、碁盤目状に整えられた城下町は、江戸時代を通して日光例幣使街道の宿場町「天明宿」として栄え、今日の佐野市街地の礎になりました。佐野を含む両毛地域は日本の繊維産業の中心地のひとつとなり、佐野は絹織物とともに綿織物も盛んな土地柄でした。また、天明鋳物、ひな人形、土鈴、牧歌舞伎など、現在にも受け継がれている伝統文化も多く、天明鋳物については千年以上の歴史があるといわれています。

そして現在、平成の合併により各市町の歴史と文化は、現在の新たな「まちおこし」へと繋がっています。今回は岡部市長と下野手仕事会会員の柳さん吉田さんのお二人との鼎談により、佐野を代表する手仕事のお話と佐野市の「まちおこし」の様子などを伺うことができました。

岡部正英市長

柳誠さん

吉田宏さん

市長と柳さん

市長と吉田さん

佐野は人形のまち

市長 佐野市は平成17年の2月28日に旧佐野市、田沼町、葛生町の1市2町が合併して人口が12万7千になりました。旧佐野市には山が全くなかったのですが、合併により60%ぐらいが山になりました。そういう意味では自然豊かな佐野市になりましたね。町と田園風景と山とバランスの取れた佐野市になったのではないかと思います。関東平野の一番奥座敷になりますが、気候も温暖で住みやすいところかなと自負しています。

東京から70キロ圏内に位置し、東北自動車道、北関東自動車道が通っていますから、交通の便は大変良く、本当に住みやすいまちだと思います。今日ご参加くださったお二人は大変よく存じておりますが、読者のためにお二人の仕事に関して少しお話していただけますか?

 私は旧田沼町で人形を作っています。夏はお化け屋敷の人形、秋は菊人形、また美術館や博物館などに納める人形を作っています。注文に応じて、人形、セット、企画、設営まですべてやっています。今ちょうど夏の盛りで、10ヶ所くらい展示したりしています。また、道の駅「どまんなかたぬま」で恒例になっているお化け屋敷が今年は7月16日(土)~8月23日(火)まで、旧田沼町のときに道の駅ができてから15年間続いています。最初は知名度がありませんでしたが、だんだんと各方面から来るようになって毎年入場者数が上がっています。埼玉や群馬などからもかなり集客しています。

市長 佐野市には「ゆるキャラグランプリ」で優勝した「さのまる」がおります。先日「さの秀郷まつり」がありまして、柳さんにお願いして、「さのまる」を三面に入れた、アドバルーンを上げました。そういった意味でも柳さんには佐野のPRをしていただいています。

吉田 私は柳さんみたいに華々しくとはいかないのですが、私の父の代から始めまして息子が三代目を継いでいます。私どもの業界は、(一社)日本人形協会が中心になって全体が仕組まれています。私たちの業界では雛人形を作っている職人さんを昔は際物師といったのですね。中でも雛人形の技術が一番大変です。細かい作業がいっぱいあって、一つ仕上げるのに200工程くらいやるものですから、相当修練を積まないといけなくて、手を上げてすぐ商売になるというわけにはいかない地道な仕事です。そんなことで100年近く続いてやってきました。

一年の内でお正月などお祝い事がありますが、飾り物、祝い物を作る職人さんがいっぱいいたのです。外幟、武者絵のついた幟。それから業界としては三間半くらいまでの大きい紙鯉を作っていました。それがいつのまにか木綿の鯉になったりと変遷があります。雛人形の木彫りの手を作る職人さんは大勢いまして、これは全国の人形を作っている職人さんが使う量を佐野でまかなえるくらい出荷量があったのです。雛人形の手というと、みんな佐野に来ました。

大切なことは、伝統工芸が長く続くように皆さんに関心を持ってもらわなくてはならないのですが、今、家庭でお子さんに躾とか言い伝えとか、少なくなっているように思います。それが私は非常に心配です。私もお店に来るお客さんにいろんな話を聞かせるのですが、その中で大事なことは、赤ちゃんは生まれて7つになるまでは神の子という考え方があって、氏子の団体でも7歳になると仲間に入って町のしきたりに従うようになる。法律じゃなくて民間にそういう空気があったけれど、面倒くさいということで全くなくなってしまいました。日本の文化として考えるときにこんなことでいいのかなと思います。私としては折に触れてできるだけ日本の文化はこういうものだとお伝えできればと思っています。

市長 佐野は人形の町ですし、3月の桃の節句、5月の端午の節句、そういう伝統行事はだいぶ長い歴史がありますね。人形の歴史はやはり徳川時代からでしょうか?

吉田 東照宮造営が終わると全国から集められた職人の中で佐野の地に相当数土着したと思われます。その技術を活かして、節句品や祝飾りの制作を一年を通じて生業としたのが始まりといわれます。

市長 佐野は際物が多いのです。今は少なくなってきましたけど佐野は職人さんが多かったし際物店も多いですよね。特に吉田さんは名工と言いましょうか、素晴らしいお雛様を作られています。佐野市にも素晴らしい出で立ちの鍾馗様を二体ほど寄贈していただきました。

吉田 鍾馗といえば、ツインリンクもてぎで行われたインディジャパン300マイルレースの優勝者に県からの副賞の記念品で差し上げるというので、3年使って頂いたことがありました。レース関係者の人たちが県知事を表敬訪問するという事で、その時に記念品の説明がしたいので、事前に話が聞きたいという事で県庁に出向きました。その折当時県議だった岡部市長偶然とお会いしました。あの鍾馗は、自分の独創で造ったものですから、特許庁へ申請して意匠登録もしてあるので誰も真似できないようになっています。現在東京の吉徳資料室からもお声をかけて頂いております。

吉貞から寄贈された鍾馗様

佐野ブランドキャラクター「さのまる」

伝統と文化をこどもたちへ伝える

 いろいろと各地でやっていますが、地元の民話と関わりのある仕事もやっています。佐野には「小中(こなか)のカッパ」という民話がありまして、地元の民話を語る語り部の人に人形を作ってもらいたいといわれて作ったことがあります。今年は銚子電鉄の怪談も手がけました。涙が出る人形を作ってもらいたいということで、実際に涙が出る人形を作りました。「私の涙を止めて・・・」という語りがあって、語り部さんが「あそこに行って拭いてください」と言ってお客様に拭いてもらうわけです(銚子電鉄 走る電車「お化け屋敷」www.choshi-dentetsu.jp/detail/event/54)。それから足尾銅山の人形も私たちで作りました。

市長 そういう点では柳さんは現代風の人形を、吉田さんは日本の伝統のある人形をお作りになっておられますね。

佐野の伝統工芸品に、天明(てんみょう)鋳物があります。これは梵鐘、灯籠、茶釜などで有名です。日本を代表する茶釜で「西の芦屋(あしや)に東の天明」ということで有名ですね。そういう歴史文化が雛人形にしても現代的な人形にしてもいろいろありますので、佐野から全国に、さらに世界に発信していきたいと思っています。名工がだんだん少なくなってきていますので、これからは後継者の育成が大事だと思います。

佐野市の場合は天明鋳物も千年の歴史がありますし、田中正造も小学校4年生の教科書の中に出てきます。いろいろな伝統芸能、伝承などもあります。先日は花岡町で芦畦獅子舞という獅子舞いがありました。学生さんや子どもさんが舞うのですが、舞う方も少なくなってきています。

佐野市にも伝統芸能の保存会があり、田舎の地芝居というのでしょうか、牧歌舞伎を毎年公演しています。中学生を指導して後継者を育成してくださる方がおりますので、ありがたいなと思っています。佐野市が応援してできる限り伝統文化を守っていきたいという気持ちでいっぱいです。素晴らしい指導者の方も今日は二人おりますが、後継者がそれぞれおいでのようですから嬉しいことです。

吉田 何年か前に、ドイツから帰省したお嬢さんが、嫁ぎ先でわが子の初節句を祝うべく来店され、雛人形のいろいろを掘り下げた話をしましたら非常に感動されまして、七段15人飾りの雛人形をお求めいただきました。嫁ぎ先がミュンヘンで、国立図書館の館長さんの息子さんとご一緒になられているので、出来上がりましたとお知らせをしたら、荷造りして送って壊れたら大変だと言って7人で来て背負っていったのです。3月になるとその図書館のフロアに飾って頂いていているようですが、日本領事館でもお手伝いに来てくれてパーティをするのだそうです。そんな事もあることをお伝えしておきたいと思います。

市長 佐野市はお二人のような素晴らしい工芸家とともに、人間国宝の田村耕一先生、日本画家の松本哲男先生、小堀鞆音(ともと)先生などの芸術家も輩出しています。

千年以上の歴史がある天明鋳物

佐野市の偉人 田中正造

芦畦獅子舞

牧歌舞伎

人間国宝 田村耕一

新たなまちおこしの拠点として

市長 最近ではアウトレットとイオンができました。今、両毛地区で一番の観光客数です。佐野厄除け大師さんがありまして年間200~300万人の方が訪れます。ほかにも古くからの神社仏閣もあります。また、歴史的には徳川家康公の日光につながる例幣使街道(れいへいしかいどう)が佐野を通っているものですから、彫り物師や人形師、鋳物師の方などもたくさんおられた。ですから佐野には金屋下町、金屋仲町、金井上町などの鋳物に関わる昔の町名が残っています。

また、城山を中心にした佐野の町は碁盤の目状の城下町で栄えたところでもあるのです。かつては天明宿と言われた町並みです。現代ではラーメンとかイモフライとか大根ソバなどの名物でにぎわっています。

佐野ブランドキャラクター「さのまる」も2013年のゆるキャラグランプリで日本一になりました。そういう意味では観光立市を宣言していますし、スポーツによるまちおこしを掲げてスポーツ立市も宣言しています。2022年の栃木国体では、佐野市がラグビーの会場となる予定です。それからイギリスが本場のクリケットで国際交流をしています。クリケットは世界ではサッカーに次ぐメジャースポーツであり、日本のクリケット協会が佐野市にあるのです。田沼高校の跡地に佐野国際クリケット場を整備していく予定です。

先日イギリス大使館に行ってきましたが、クリケットにしてもラグビーにしてもゴルフにしても、イギリスが発祥地です。野球の原型であるクリケットで国際交流を図りながら、スポーツ立市としてさまざまな大会に来ていただいて佐野を盛り上げていけたらと思っています。交通の便がいいことも利点になっています。

 旧田沼町は人口約2万8000人の田舎です。そこで生まれ育って、外に出て修行しました。戻ってきた頃は東武線しかありませんでしたが、車の時代になって高速ができました。佐野には3つのインターチェンジがありますし、その中でスマートインターもあります。災害もほとんどなくて自然に恵まれていますので、今では本当に住みやすいですね。

市長 クリケット場も旧田沼町にありますね。そのすぐ東側に山城と高石垣が日本で指折りの山並みだと言うことで国指定史跡になった唐沢山があり唐沢山神社もあります。田沼には工業団地も造成しましたし、さらに開けて新しい佐野市の顔になりつつあります。

 田沼インターが家のすぐ近くにありますから、東京に行くにも長野や東北に行くにも高速で行けますので本当に便利になりました。

吉田 佐野で生まれ育って、修行時代は東京に出ました。その当時名人といえる方が数多く現役でしたので、仕事のお使いでいろいろなところで直接話を聞く事が出来幸せでした。

子どもたちの話がありましたが、小学校や中学校の生徒さんが授業として私どもに見学に来てくれるのですが、人形に関わるいろいろな話をしたり、お祭りに関する話をしたりします。私たちでできることは協力させていただきたいと考えています。産業大学はものづくりの大学ですから頼まれて講演などもしましたが、少しでもお役に立てればと思っています。

市長 そういう歴史、文化、ものづくりを、将来を担う子どもたちに知っていただく。それにはものづくりの現場を見学したり、柳さんや吉田さんなどにいろいろな話をしていただけることは大変ありがたいことです。将来に向けて佐野市を担って守っていただくのにも、伝統工芸を守るためにも教育は大事なことですね。

吉田 私が子供達にお話しするのが、「自分の生まれた町の文化を知らないことは、他所に行ったときに非常に恥ずかしいことです。必ず役に立つから勉強してください。それがないと他所に行っても重要視されませんよ」と。「自分の町の文化に誇りを持ってください」と。

市長 3年前の田中正造没後100年のときに天皇皇后両陛下がお見えになられ、田中正造が直訴状を掲げたときの本文の現物(普段はレプリカ)を展示してご覧いただきました。私もご案内をさせていただきました。公式ではなくお忍びでお見えになられましたが、直訴状をご覧になりたかったのだと思います。

田中正造は県会議員から国会議員まで務め、国会議員を辞めてから明治天皇に公害問題を直訴された訳ですから、今の天皇陛下のお祖父様にあたるわけですね。

今年、田中正造の日を佐野で制定します。本葬を行ったのが10月12日ですからその日を記念して式典もやります。公害問題の先駆者ですし、先年には東日本大震災による原発事故がありましたので、なおクローズアップされましたね。

 私は田中正造の人形も作りました。

吉田 天皇皇后両陛下が、足利学校にお見えになったとき方丈の間で人形に魂を入れる作業と銘打って、鍾馗の振り付け作業を両陛下とベルギー国王御夫妻、皇太子を御迎えして御進講申しました。その折作業が一巡して頭をさして、皆様に向きを変えて御見せすると一斉に拍手を頂き陛下から御下問、お答申し上げると皇后様から仕事への励ましの御言葉を賜わりました。生涯忘れる事の出来ない感動の一時でした。

その時に用いた人形が赤い鍾馗様なのです。これは業界の常識とは違ったもので口が開いている顔を使ったのです。手の甲には、血管をもりあげ体を斜に構えます。この人形は、佐野市を通じてベルギー大使館に届けられました。もうひとつは足利学校に記念品として収蔵してあります。現在端午の節句には、展示して頂いているようです。佐野市にも赤と黒の2体を別に収めさせていただきました。

市長 鍾馗様は市の博物館にあるので、もちろん拝見しておりますし、お雛様は飾ってあるのを見せていただきましたが、女性の顔もなんとも言えずすばらしいですよね。

吉田 黒と赤で陰と陽の鍾馗です。片方は口開き、片方は口結び、水の潤下と火の炎上は大変な原理なんだそうです。それを込めているので案外理屈っぽい人形なんです。何年か前に日本人形協会で一品会をやりましたが、その時に一席に入って、京都の著名な職人から電話がかかってきました。私は職人ですからね、仕事が認められたときは嬉しいですよ。

佐野プレミアムアウトレット

佐野新都市

佐野厄除け大師

普及を行っているクリケット

国指定史跡の唐沢山城跡 高石垣

佐野市の偉人 田中正造像

天皇皇后両陛下 郷土博物館訪問

夢と希望と潤いのあるまちづくりを

 私はNHKの大河ドラマの「太平記」のときも人形を作りましたが、足利尊氏の人形が足利学校の前に3年くらい飾ってありました。その後、日光東照宮が世界遺産になったときにやはりNHK大河ドラマ「葵 徳川三代」を放映しまして、主役の津川雅彦さんの人形を作って県庁に1ヶ月ぐらい飾ってから東照宮に収めました。また、現在放映中の大河ドラマ「真田丸」では、佐野での真田親子の「犬伏の別れ」のシーンがありまして、それを佐野市観光協会に依頼されました。おそらく放映すると観光客も来ますので、犬伏の薬師堂に飾りたいということです。

市長 佐野の東側にある薬師堂で真田親子が東軍西軍、徳川と豊臣に分かれる密談をしました。「真田丸」ではその場面は9月4日に放映されるのですが、その時に上田市から真田太鼓が来て演奏をしたいと言ってきています。

田中正造の生家もありますから訪れる方が多いので、講座を開いて観光ボランティアを養成しています。そのボランティアの方々が案内役です。官民一体といいますが、そうでないとなかなか行政だけでは手が届かないし、やれないですよ。「ゆるキャラグランプリ」のときも皆さんが一生懸命投票してくれたのでグランプリになったのですから。市民の力がひとつになった証明ですね。佐野の方は地味ですけど人柄がよく心優しい方が多いのです。

吉田 出来れば私は自分のやっている仕事がずっと続いていくことを願っています。命とか血のつながりを皆さんに自覚してもらうのが節句のお祝いなんだとお客さまにお話しすると「聞いたことがなかった」と喜んでくれます。カロリーの計算は皆さん一生懸命やりますが、情緒を育てるのは忘れがちです。お雛様は情緒を育てるために大切なものです。そういうつもりで飾って頂けたらと思います。片付けるのはお嫁にいけなくなるから片付けるのではなくて、神さまと同居して生活するのはおこがましいのでお引取り願って、普段の生活に戻るという考え方で片付ける、そんなお話をします。自分の仕事はちっぽけだけど皆さんにお伝えできればと思っています。生命の誕生に関わる品物ですから材料は土に戻る材料にこだわっています。

市長 桃の節句にしても端午の節句にしても子どもの成長と安寧を願いながら将来立派に育って欲しいと願いを込めての行事ですから、それに関わる仕事のなかでその思いを継承していって欲しいですね。

佐野は自然災害がどちらかと言うと少ない温暖な地で住みやすいところだと思います。ですから佐野市の将来像が「育み支え合うひとびと、水と緑と万葉の地に広がる交流拠点都市」だといつもお話しします。夢と希望と潤いのあるまちづくりをこれからもしていきたいと思っています。

庁舎が震災時には危険な建物だということで2年がかりで建て替えて、昨年の12月7日オープンしました。庁舎が佐野市のシンボルであると同時に防災の拠点になったり、市民の皆さんの憩いの場であるように、さまざまな催し物がここでできるようにしました。昨日、一昨日と「さの秀郷まつり」も開催しました。大勢の方がいらして庁舎の中に入って展望台から見ていただいたりしました。

佐野のまちづくりを新たにやろうと昨年まちづくりの会社ができまして、商工会議所の会長さんなど民間の方と話し合い、佐野はこれから北関東の新中核都市を目指して進めていこうということになりました。

今後、周辺の開発とか道路網とかいろいろな整備をします。インターチェンジもありますので、まちづくりも含めてまちの中に賑わいを創出していこうという計画で進めています。その中の大きなプロジェクトとしてのリーディングプロジェクトが観光立市、スポーツ立市を掲げてのまちづくり、人づくりです。庁舎ができたことによってこれからが佐野の新たな出発です。市民の税金で建てさせていただいたわけですから我々も責任をもってがんばりたいと思っています。

柳さん、吉田さん、これからも佐野市のためにどうぞよろしくお願い致します。

真田父子「犬伏の別れ」の地 薬師堂

佐野市役所新庁舎

吉田さん、岡部市長、柳さん。対談を終えて

構成:ビオス編集室(2016年8月8日取材・撮影)

佐野市役所

〒327-8501 栃木県佐野市高砂町1番地

TEL:0283-24-5111(代表)

http://www.city.sano.lg.jp/

株式会社丸山工芸社

〒327-0317 栃木県佐野市田沼町727

TEL:0283-62-0279 FAX:0283-62-4623

有限会社吉貞

〒327-0835 栃木県佐野市植下町1121

TEL:0283-24-2628 mail:shop@dolls-yoshitei.co.jp

http://www.dolls-yoshitei.co.jp/