アートセンターサカモト 栃木文化社 BIOS編集室

「ビオス電子版スペシャルトーク」No.18

「栃木県の誇る伝統文化・伝統工芸」 ―福田富一 栃木県知事 × 藤田眞一 下野手仕事会会長(小砂焼)、山本政史 下野手仕事会副会長(日光下駄)、小川昌信(ふくべ細工)、栗田英典(表具)、福井規悦(印染)―

本内容は、栃木県の伝統工芸者の会である「下野手仕事会」の設立45周年を記念して、藤田眞一会長(小砂焼)、山本政史副会長(日光下駄)、小川昌信氏(ふくべ細工)、栗田英典氏(表具)、福井規悦氏(印染)の5名による福田富一知事の表敬訪問を基に構成しています。

栃木県の歴史

栃木県の成り立ちは、約1350年前の7世紀後半に、下毛野国(しもつけぬのくに)と那須国(なすのくに)が統一されて、下野国(しもつけのくに)ができました。これが、現在の栃木県の原型となります。下野国には国庁や、国を治めるために重要な役割があった国分寺、国分尼寺、下野薬師寺がつくられ、都から華やかな文化が伝えられ、繁栄しました。

鎌倉時代には、小山氏、宇都宮氏、足利氏、那須氏などの下野の武士達が活躍し、幕府を支えました。戦国時代には、足利学校が、日本でもっとも大きく有名な大学として、ヨーロッパにまで、その様子が伝えられていました。

江戸時代になると、日光は幕府の聖地として、東照宮をはじめとする、美しく、華やかな建物が作られ、特別に保護されました。

明治時代に入り、廃藩置県がおこなわれ、明治6年6月15日に、現在の栃木県が誕生しました。最初の県庁は、現在の栃木市に置かれましたが、明治17年に現在の宇都宮市に移されました。

下野国分尼寺跡(下野市国分寺)

足利学校正門(足利市昌平町)

昭和館(第4代栃木県庁舎)正庁(宇都宮市塙田)

現在の県庁(宇都宮市塙田)

世界に誇れるとちぎの伝統・文化

1999年、日光の二社一寺(二荒山神社、東照宮、輪王寺)は、その歴史や芸術的価値が国際的に認められ、世界遺産に登録されました。

ユネスコ無形文化遺産には、2010年に高級な絹織物である結城紬が、その技術と文化が国際的に認められ登録されています。また、栃木県の「烏山の山あげ行事」と「鹿沼今宮神社祭の屋台行事」を含む全国33の「山・鉾・屋台行事」が、地域の人々が一体となって、長年守り伝えてきたことなどが国際的に認められて、2016年、ユネスコ無形文化遺産に登録されました。

男体山と二社一寺

山あげ祭(那須烏山市)

世界に誇れるとちぎの自然

2005年には、日光の湯ノ湖、湯川、戦場ヶ原、小田代原のうち260.41ヘクタールの区域が、また、2012年には、栃木県、群馬県、埼玉県、茨城県にまたがる渡良瀬遊水地のうち2,861ヘクタールが、ラムサール条約湿地に登録されました。

また、約12,300本からなる杉並木は、長さが37キロメートルにわたり、ギネス世界記録に登録された世界一長い並木道です。

華厳の滝と中禅寺湖

渡良瀬遊水地

伝統工芸の継承と発展

藤田 こんにちは。いつも大変お世話になっております。おかげさまで下野手仕事会は創立45周年を迎えることができました。本日は、下野手仕事会から結城紬のネクタイと小砂焼の干支の置物をお持ちしましたので、栃木県のPRに御活用いただければ幸いです。

小川 私はふくべ細工と黄ぶなの張り子を作っていますが、こちらは食べられる「黄ぶなのお菓子」になります。

知事 下野手仕事会創立45周年、心からお祝い申し上げます。とてもいいネクタイですね。干支はイノシシですか。早速飾らせていただきます。

藤田 ありがとうございます。今日は栃木県の伝統工芸品や伝統文化などへの取り組みについて様々な方向からお話いただけましたら幸いです。本県の歴史の中で、庶民の営む伝統工芸が伝えられ継承されてきたかと思いますが、歴史的視点からはどのように捉えることができるのでしょうか。

知事 栃木県の歴史を見ると、県民の方々が数多くの工芸品を生産してきたことがわかります。最も多く活躍していたのは竹細工師で、次に、農具や生活用具として使われる刃物をつくる鍛冶屋と言われています。この背景には、本県が農業県として発展してきた歴史があります。また、豊富にある木材を使用した木地加工、絹や木綿を原料に生産された織物、日光二社一寺の伝統を守る塗師や彫刻師、日光下駄職人なども多くいました。さらに、土を材料にした陶磁器や粘土瓦、和紙や組紐、武者絵のぼりやひな人形など、多種多様な工芸品が盛んに作られてきたことがわかります。

山本 現在、私たちが作っている工芸品は、栃木県の豊かな自然や人々の営みに支えられ、本県の歴史の中で今日まで連綿と受け継がれてきたということですね。

知事 そうですね。栃木県では、県の歴史と風土、県民の生活の中で育まれ、受け継がれてきた工芸品を伝統工芸品として指定しています。現在、60品目73件を指定、伝統工芸士も藤田会長をはじめ184名が認定されています。

藤田 小砂焼は1986年に栃木県伝統工芸品に指定していただきました。私は2004年に栃木県伝統工芸士に認定されました。小砂焼の歴史は、1830年に当時水戸藩領だった小砂で陶土が発見され、その後、小砂で大金彦三郎によって窯が築かれ、1851年に試焼が行われたことが始まりといわれています。県の伝統工芸品に指定されるには歴史が必要ですね。

知事 100年以上前に発祥していること、または、本県が発祥地でないものは、同市町や同産地組合等で50年以上継続して作られており、主として伝統的な原材料で手作業により作られる、日常で使うものを栃木県伝統工芸品に指定しています。永く工芸品の生産が続くというのは、伝統的な方法を維持しながらも、時代とともに新しい商品を作ったり、使い勝手を改良したりといった、作る側の絶え間ない努力が続いているということの証でもあります。

山本 先ほど知事がお話ししてくださいましたが、日光下駄は「東照宮」の造営とともに始まり、約400年の歴史を持つ伝統工芸です。「二社一寺」では草履参入が正式ですが、山道・坂道が多く、さらに雪も多い日光ですので、「御免下駄」と言って下駄に草履を縫い付けて作ったのが始まりです。もともとは格式の高い方々が履いていたのですが、明治期以降は一般人も履けるようになり、動きやすく「二枚歯」という形になりました。真竹の皮を細く裂いて編み込んだ草履を木に縫い付けて鼻緒が草履に付いているという形が日光下駄の特徴です。私は、日光下駄職人の家に生まれたわけではなく、日光市主催の「日光下駄後継者育成事業」に応募して技を修得し現在に至っています。2005年に栃木伝統工芸士に認定されました。

福田富一 栃木県知事

藤田眞一 下野手仕事会会長(小砂焼)

山本政史 下野手仕事会副会長(日光下駄)

下野手仕事会から贈呈された結城紬のネクタイをあてる知事

小川 栃木県の特産品として夕顔の皮を薄くむいて干した「かんぴょう」は全国に知られています。この夕顔の種をとるために残しておいて固くなった表皮を利用して細工をしたのがふくべ細工の始まりで、いわば廃物利用から生まれたものです。歴史は古いのですが、現在ではふくべ細工を生業としているのは私を含めわずか2人だけです。茶道の初釜の「炭とり」は、その年のふくべで作られたものです。また黄ぶなという宇都宮市の郷土玩具は江戸時代から「病除け・厄除け」の縁起物として、多くの農家さんで仕事の合間に作られていましたが、近年はほとんど作る方がいなくなり、浅川仁太郎さん一人が作るのみでした。その浅川さんが亡くなり、後継者もいなかったので、伝統が途絶えてしまったのを憂いた民俗学者の尾島利雄さんに声をかけられ、私が黄ぶな作りを引き継ぐことになって今に至っています。2004年に栃木県伝統工芸士に認定されました。

栗田 表具師は書家・画家の作品を表装する仕事で、その歴史は大変古い職業です。「作品」を品良く、優雅に、またきらびやかに仕立てるための、いわば「裏方」の仕事です。私はアルバイト先がたまたま「表具店」だったのですが、親方は卓越した腕の持ち主でしたが後継者がいませんでした。「それなら私が」と一念発起して表具の世界に入ることにしました。当時全国表具内装連合会会長だった向井一太郎氏の内弟子として6年間修業しました。内弟子は7人いましたが、私以外は全て表具店の跡継ぎでした。私は他の人の何倍も努力をしなければと必死でしたが、それが会長に認められ大切な表具作りも任せられるようになりました。1992年に独立し「栗田表装」として現在に至っています。和紙、裂地(表具に用いる布)、糊を用い、書画の掛軸や屏風といった美術工芸品の製作から、襖や壁装といった実用的な分野まで幅広く行っております。2001年に厚生労働大臣技能士一級認定、2017年に栃木県職業訓練表彰「卓越した技能者」を受賞しました。

福井 印染は奈良時代から伝わる技法で制作します。法被、手拭、暖簾、旗、幟などに家紋やロゴなどを入れて染色します。初代当時は、大工、植木、製作所などの職人の半纏が主だったそうですが、今は祭半纏などの受注が多いですね。浅草の三社祭の半纏も染めていますが、素材、染色、薬品など時代と共に変化する中で、伝統工芸を維持しています。私は東京デザイナー学院で文字デザインを学び、父一弘に印染を学び家業を継ぎました。2009年に栃木県伝統工芸士に認定されました。

藤田 今後に向けて、いかに栃木県の伝統工芸を継承、保持、発展させていくか様々な課題を抱えながら、それぞれが伝統工芸の技を絶やさぬように日々試行錯誤しています。

小川昌信(ふくべ細工)

栗田英典(表具)

福井規悦(印染)

海外への伝統工芸の紹介と課題

知事 栃木県は製造業の割合が高いものづくり県ですが、先端技術を持った企業が立地すると同時に、皆さんのように手仕事に支えられた伝統工芸品を作られる工芸者および職人が共存していると感じています。技術を受け継ぎ、作り続けて来られたことは大変誇りですね。海外への栃木県伝統工芸品の紹介で皆さんの作品をいつも使用させていただいています。

藤田 大変うれしいことです。ありがとうございます。昨年の2月に、県が主催してアメリカ・ニューヨークで行われた展示商談会に私も参加しました。日本とは違う食文化を持つアメリカで、日本の陶磁器にどのような反応があるのかと、当初は期待と不安を抱いていました。

知事 県が主催した「とちぎの器」NY販路開拓事業ですね。多くの方々が来場されたと報告を受けていますが、現地での反応はいかがでしたか。

藤田 結果は予想以上に好評でした。アメリカを意識した大きなピザ皿や那珂川町の伝統的なふくろうの置物などを用意しました。ふくろうの置物は日本的なものでしたが、人気がありましたね。

知事 栃木県の伝統工芸品である、益子焼、小砂焼、みかも焼は、県内外に多くのファンがいる陶磁器ですが、アメリカでも評価が上々だったと聞いてうれしく思います。実際に海外に行き、現地の方と話されて、感想を直接聞くというのは貴重な機会だったことでしょう。

藤田 日頃から、私たちも製陶所等にお越しいただくお客様とお話しをさせていただいており、直接感想を聞くことは商品作りにも重要なことだと考えていましたが、今後は海外のお客様をもっと意識していけたらと感じています。

知事 県では県産品の海外輸出に取り組んできましたが、日本の手仕事を象徴する伝統工芸品の海外輸出は力を入れていきたいところです。今年は4月から6月まで、デスティネーションキャンペーンを本県で開催し、国内外から多くの観光客の方にご来県いただきました。2020年には東京オリンピック・パラリンピックが開催されます。今後、日本の伝統文化に関心を持たれる外国の方は、ますます増えていくでしょう。県産品の海外への販路開拓には絶好の機会です。伝統工芸品にとってもチャンスではないでしょうか。

藤田 ニューヨークでは、陶磁器の販路開拓が目的でしたが、この展示商談会への参加が決まった時に、那珂川町(旧馬頭町)と姉妹都市を締結しているニューヨーク州ホースヘッズ村の方に事前に連絡をしたところ、展示会期間中に会場にお越しいただくことができました。会場のあったニューヨーク市とホースヘッズ村は同じニューヨーク州ですが、300km以上も離れているんです。それにもかかわらず、小砂焼を展示するということで、当日は喜んで来ていただけました。文化交流という意味でも、とてもいい経験でした。

アメリカ・ニューヨークでの展示商談会の写真(工業振興課)

山本 そのような海外との文化交流の中で私たち手仕事に携わる者には同時に今後の課題もあります。例えば、下駄はサイズがいろいろあるので、なかなか外国の方が興味を持っても、特に日光下駄の場合普通の下駄ではなくて草履を編みますから、すぐその場で買っていただくことはなかなかできない。今は外国へ送るにも送料が安いですが、外国の方の靴のサイズを聞いて、鼻緒のサンプルを置いて、これがいいとかあれがいいとか……。そうなると、すぐに手に入らないモノは購入しないですね。海外の方々にどうやって理解していただくか、私のような手仕事のモノづくりをしている者にとっては大きな課題です。

藤田 マンツーマンで販売するやり方は一番理想的ですが、海外との取引になってくると、アメリカのバイヤーと話したときに「焼き物で色がいろいろ変わるのが楽しいでしょう?」と話しましたら、「取引する場合は同じ色、形が揃わなかったら駄目ですよ」と言われました。購入者に直接説明して納得していただければよいのですが、「6個並んでいてみんな色が違うモノは選ばない」と言われました。「バリエーションを楽しむ」というのは日本的な感覚なんでしょうか?海外では同じデザイン、同じ色で揃えられるようにしなければならない。私たち手仕事従事者に対する大きな課題ですね。

福井 私も海外の方々には「味がある」というのは通用しないというのが分かりました。例えば法被ですが、使っているうちに紺が青っぽくなってくる。着古して当初からは色が変わった私の着ている法被を見て「この法被ください」といわれて、新品の同じ法被を持ってくると違うものに見える。「使うとこうなりますよ」と言っても通用しないのが現状ですね。本当に難しいですが、さまざまな課題をいかにクリアするかですね。しかし直接海外の方が来てくださり、注文で暖簾を作ったりもします。最近ですと、知人のアメリカの方が、宮染めのバッグが欲しいと注文されましたが、そのバッグを持って帰国すると「欲しい」と言う方が増えたのです。そういったことも文化交流かな?これからも課題を抱えながらも海外に発信したいと思っています。

小砂焼

日光下駄

ふくべ細工

印染

表具

知事 さまざまな課題を抱えながらですが、手仕事の継承、保持、発展のためにも海外との文化交流は大切にしていきたいですね。伝統工芸品は国際交流の架け橋となっていると思いますので、文化交流でも、伝統工芸品を積極的に活用してほしいと願っています。私は海外出張の際には、伝統工芸品をお土産にしています。武者絵や結城紬の小物、野州てんまりなど。まさに本県の歴史や文化を感じられる工芸品は、海外の方にとても好評です。

山本 伝統工芸品を知事に率先してPRしていただいているというのは大変うれしいです。県庁でも伝統工芸品をたくさん飾っていただいています。

知事 私の執務室やこの応接室にも、このように陶磁器などを展示していますが、優れた作品に囲まれていると、栃木県の伝統文化の息吹を自然と感じることができます。

藤田 それは大変ありがたいですね。海外と言えば、今年は、栃木県の補助金(地域産業育成等支援事業)を活用して、下野手仕事会の冊子を制作しました。日本語と英語を併記した内容になっています。これまで下野手仕事会では、節目節目で記念誌を作ってきましたが、英語で書かれたものはありませんでした。これまでも海外からの問合せがありましたので、今回制作した冊子を活用して、海外へのPRを積極的にして行きたいですね。

知事 とても頼もしいですね。私も冊子を見せていただきました。情報がコンパクトにまとまっていますね。ぜひ広く活用していただき、本県の誇る工芸品をPRされることを期待しています。

藤田 ありがとうございます。

知事 海外への伝統文化紹介に関連して、県では、2020年に開催される東京オリンピック・パラリンピックを、本県の文化を世界に発信する絶好の機会と捉え、「とちぎ版文化プログラム」を策定しました。その時期には、多くの外国の方々の来日が見込まれていますので、多くの方が本県を訪れ文化に触れていただき、その魅力を世界中に広めてもらうことで、文化の底上げはもとより、地域活性化につなげていきたいと考えています。

小川 東京オリンピック・パラリンピックに向けて、スポーツだけでなく、文化振興面でもこうした取り組みがされているのは大変ありがたいですね。

下野手仕事会創立45周年展示会に来場された知事

下野手仕事会創立45周年記念冊子

伝統・文化芸術、伝統工芸の次世代への教育・行事、人材育成

藤田 栃木県の伝統や芸術文化を継承し、保存、発展させていくためには、次世代を担う子どもたちの教育も大切だと思っています。

山本 私も日光下駄が無くなってしまうという危機感があります。「誰かがやらなくちゃいけないなら俺がやろう。その代わりこれまでよりは良いものと、みんなに使ってもらえるものを作らないと絶対駄目だ」という考えはあったので、関連するいろいろなところに行って、いろいろなモノを見て、古い日光下駄があれば譲ってもらったりして研究しました。伝統工芸の継承と後継者育成については、県や日光市でも「日光伝統工芸品振興協議会」や「日光木彫りの里工芸センター」等、また学校の「出前教室」などで子どもたちへの日光彫や下駄作りの学習を行っています。また、毎年10月開催の「日光下駄飛ばし選手権大会」も年々盛んになり、大人・子どもを問わず多くの参加者が楽しんでいます。

小川 こうした伝統工芸は、いつの世でも繰り返し「後継者」の問題を引きずっていますが、我々の時代で「やめた」ということは言えません。一端途絶えると再興するには何倍ものエネルギーが必要とされるのはどこの世界でも同様です。現在は地元の小中学校や日光で「ふくべ細工」と「黄ぶな」の体験教室を行っております。宇都宮の子どもたちにとっては「黄ぶな」というと「あ、黄ぶなバス!」と街中を走るバスの方で知られているようです。今の子どもたちは我々の頃と環境や感性も大分違い、受け容れてもらうのは難しいですが、それでもやはり「よき伝統や文化」を絶やしてはいけないことを折りに触れ伝えていきたいですね。

福井 染物屋は宇都宮市でも今2軒しか残っていないですね。もちろん後継者問題も、子どもたちに体験してもらうのにも難しいですが、見学などで印染を知ってもらいたいと思います。形は変わっても絶やさないように技術を残していかなければと思っています。日光下駄と同様に一個一個違うモノですので、他の手仕事会の皆さんのネット販売と同じく、お客様がネット上の写真から注文していただいても紐が違うとかボタンが違うとか、クレームが来てしまうんですね。本当に難しいですね。ですから手仕事のオンリーワンの商品の良さや貴重さを子どもたちに知ってほしいと願っています。

栗田 私は若い頃、表具の技を磨くために住み込みで働かせていただいていました。親方は立派な仕事をやられていたんですね。しかし表具屋そのものが県内にも少なくなってきています。7軒か8軒くらいは残っているでしょうか?伝統技術を絶やさないようにといつも心していますが、普段馴染みのない「表具」の仕事を、子どもたちにどう関心を持ってもらうかは悩ましい問題です。県独自の教育や行事などはありますか。

知事 本県では、県独自の取組として県内の小学4年生から中学3年生を対象に、民間企業、大学等の高等教育機関等と連携しながら「本物」に触れる学習機会を提供する「とちぎ子どもの未来創造大学」を実施しています。また、小・中学校においては、とちぎへの愛着や誇りの醸成を図るため、「とちぎふるさと学習」を行っており、こうした取組を通して、益子焼、結城紬、武者絵、烏山和紙などの伝統工芸品に触れる学習機会を提供しています。また「とちぎ版文化プログラム」では、文化資源の磨き上げや文化情報の発信、文化の担い手育成などを市町等と連携して取組を進めており、今年度は特に、本県の優れた伝統工芸などの「技・巧」を統一テーマに各種文化イベント等を展開してきました。4月から6月まで、県立博物館で開催された企画展「とちぎの技・匠」もその一環です。本県の伝統工芸品を一堂に集めた企画で、来場者の皆様にも大変好評でした。県民の皆様も、栃木県には、こんなに素晴らしい伝統工芸品があるということを改めて感じられたのではないでしょうか。

山本 「とちぎの技・匠」では、下野手仕事会の活動も、大きく紹介していただきました。普段は、日用品として作っている工芸品も、今回のような企画で博物館に展示していただくと、改めて私たちの手仕事を評価していただけたようで誇らしいですね。子どもたちもたくさん見に来てくれたようです。

栗田 表具は現在の住宅事情が昔と大きく変わり、軸物を飾るスペースも少なくなる中、表具の世界もそれに応じて時代にあった創意工夫が求められています。何十年、何百年と大切にされる掛軸は、そのままの状態で長く継続されるのが理想ですが、時の経過とともに糊が弛んだり、素材も劣化(変色や虫食い)したりしていきます。そこで、いつかは行われる貼り直しや修復する際に、本体を傷めずに作業できるように今から配慮すること、長い年月を経ても再生できるような表装を心がけることで、「残したい、大切にしたい」と願う過去、現在、そして未来の持ち主に寄り添う心を失わない表具師としてさらに精進したいと思います。この仕事は、他の手仕事会の皆さんとは少し違うものがありますが、「伝統を守る、伝える」という点では大いに共通するものがあります。

知事 博物館の企画展のほかにも、6月の県民の日記念イベントや11月の「とちぎの『技・巧』親子体感フェスタ」における伝統工芸“手仕事体験”など、様々なイベントを開催しています。また、伝統工芸品展は、今年度は初めて宇都宮市のショッピングモールで開催しました。夏休みの8月に開催し、たくさんの子どもたちや家族連れの方々に来場いただきました。このイベントで、栃木県の伝統工芸品に初めて触れる子どもも多かったと思います。私たちには馴染みがありますが、ベーゴマ体験も人気があったようです。

小川 ベーゴマですか。懐かしいですね。遊びを通じて、伝統工芸品を学べるというのはいいですよね。これからも続けていただきたいです。

藤田 藤田製陶所でも、小砂焼の製作体験ができる施設があるのですが、県内外からたくさんの子どもたちが来てくれています。こうした体験は、成長してからも覚えていてくれるものです。このような貴重な体験を通じて、一人でも多く栃木県の手仕事を担ってくれる人材が育ってくれるといいと思います。

知事 体験を通じて学ぶことは、未来を担う子どもたちが心豊かに成長していく上で、今後ますます重要になってくるでしょう。このような中で、教育委員会が実施している「とちぎ子どもの未来創造大学」に本県の伝統工芸を体感してもらう5つの文化プログラム特別講座を設けて、多くの子どもたちが伝統工芸士本人などから、「本物のとちぎの文化」に触れていただくこととしました。伝統工芸の確かな技術を継承される方々を県としても引き続き支援して参りたいと考えています。

藤田 伝統工芸品の技の伝承には、後継者を育成することが重要だと思います。県ではどのような取り組みをされていますか。

知事 県では、産業技術センター紬織物技術支援センター、窯業技術支援センターで、それぞれ結城紬、陶磁器の従事者育成に取り組んでいます。結城紬は2010年にユネスコ無形文化遺産に登録された日本を代表する絹織物ですが、この技術を継承することは県でも重要な課題だと考えています。紬織物技術支援センターでは、今年度後半から建替の設計に着手し、2020年度のオープンに向けて、鋭意取り組んでいるところです。また、窯業技術支援センターでは、陶磁器の新商品開発や人材育成等を支援する複合施設である「とちぎの器交流館」を新たに整備し、今年4月にオープンしました。最新の機械も導入しましたので、藤田さんをはじめ手仕事会の皆さんにもぜひご活用いただきたいと思います。

藤田 実は私の息子が窯業技術支援センターでお世話になりました。機械については、個人で購入することはやはり難しいですから、県の施設で活用できるというのはありがたいですね。

下野手仕事会創立45周年展示会に来場された知事

今後の伝統工芸に対する知事の希望や期待

藤田 最後に、これからの栃木県の伝統工芸及び伝統工芸者に対する、知事の期待などをお聞かせいただければ幸いです。

知事 伝統工芸に期待することとして、まずは技の伝承ですね。伝統工芸品は一度途絶えてしまうと、復活することが難しいと言われています。伝統工芸を担う若い世代が伝統の技を継承し、従来の伝統工芸品を作り続けていただきたいと思います。同時に従来の商品に加え、新しい感性やデザインを活かした商品づくりにも期待しています。県でも、伝統工芸品を生産される皆様の「売れる商品づくり」や、「本物のよさ」を国内外にPRしていくことを応援していきます。

藤田 下野手仕事会は45年続いていますが、新しい会員が毎年のように加入しています。年齢も、30代から80代の方までと、幅広い年代の会員がいます。

知事 幅広い世代の方が参加されているというのは重要なことですね。会員の方同士の交流をさらに深め、お互いに切磋琢磨して、技術を高め合い、素晴らしい工芸品を作っていただけるものと期待しています。今後も、多くの職人の方々が集まり、貴会を発展させていただきたいと思います。

藤田 下野手仕事会の会員は、普段は個人で活動している職人ばかりです。会員になることにより、お互いに日頃考えていることや悩み、伝統工芸の今後について、話ができる場になっています。

知事 今年8月に開催された「下野手仕事展」は、私も拝見させていただきました。皆さんの工芸品は、見る者、使う者を楽しませ、私たちの生活に豊かさと潤いをもたらしてくれるものばかりですね。作るものは違っても、皆さんの思いは共通するものがあると思います。今後も末永く活動を継続されることを願っています。

藤田 ありがとうございます。「下野手仕事展」には、知事にもお越しいただき、我々も大変励みになりました。私たち下野手仕事会は、その時代、時代でお客様に喜んでいただけるような商品を作ってきました。今後も、会員共々、皆様に長く愛される工芸品を作っていきたいと思っています。さらに試行錯誤しながら、技術を継承させていこうと考えています。本日、知事からいただいたお話を基に、伝統文化が咲き誇る豊かな地域づくりに貢献していくためのヒントとさせていただきます。本日はありがとうございました。

表敬訪問を終えて

構成:ビオス編集室(2018年10月29日取材)

栃木県庁

〒320-8501 栃木県宇都宮市塙田1-1-20

Tel:028-623-2323(代表)

http://www.pref.tochigi.lg.jp/

プロフィール

福田富一 栃木県知事

昭和28年、栃木県日光市(旧今市市)生まれ。昭和47年、栃木県入庁。昭和54年、日本大学理工学部建築学科卒業。昭和58年、宇都宮市議会議員。平成3年、栃木県議会議員。平成11年、宇都宮市長。平成16年、栃木県知事。現在4期目。

藤田眞一 下野手仕事会会長(小砂焼)

1954年、馬頭町(現那珂川町)生まれ。大学卒業後、愛知県窯業職業訓練校にて、窯業の基礎を学ぶ。2004年、栃木県伝統工芸士に認定される。

山本政史 下野手仕事会副会長(日光下駄)

1954年、今市市(現日光市)生まれ。日光市主催の日光下駄後継者育成事業に参加し技術を修得。1994年より日光市営木彫りの里工芸センターにて、実演、販売。1997年より7年連続で科学技術館開催の全国総合技能展で実演。2005年、栃木県伝統工芸士に認定。

小川昌信(ふくべ細工)

1942年、宇都宮市生まれ。1960年、高校卒業後、ふくべ職人岡田三代造氏に師事。炭入れ、花器、お面などのふくべ細工の他、郷土玩具の黄ぶな、雛人形などの製作も手がける。2004年、栃木県伝統工芸士に認定される。

栗田英典(表具)

1968年、宇都宮市生まれ。高校卒業後、全国表具内装連合会会長向井一太郎氏の内弟子となり6年間表具の修業をする。1992年、栗田表装開業。1994年、栃木県技能競技大会表具の部で1位となり県知事賞を受賞。2001年、厚生労働大臣技能士一級認定。2017年、卓越した技能者認定(栃木県知事)。栃木県表具内装連合会理事・宇都宮支部長。

福井規悦(印染)

1963年、宇都宮市生まれ。高校卒業後、東京デザイナー学院で文字デザインを学ぶ。その後、帰郷して父一弘に印染を学び家業を継ぐ。2009年、栃木県伝統工芸士に認定される。現在、福井染工場代表。