アートセンターサカモト 
栃木文化社 BIOS編集室

太平洋戦争中に足尾銅山で亡くなった朝鮮人労働者らを追悼 No.31

戦後80年節目の年に、犠牲者の名前が記された銘版を新調

太平洋戦争中に足尾銅山で亡くなった朝鮮労働者らを慰霊する追悼式が7月27日、日光市足尾町の小滝坑跡近くの山林に立つ「足尾朝鮮人強制連行犠牲者慰霊碑」の前で営まれ、主催した日朝友好栃木県民の会のメンバーら約70人が参加し慰霊碑に手を合わせた。

追悼式は1995年から毎年営まれ、戦後80年となる今年、犠牲者の名前が記された銘版が従来の木製からアルミ製に新調され、追悼式で披露された。

日本と韓国の僧侶がそれぞれ供養を行った

日朝友好栃木県民の会の宇賀神文雄会長は戦時中、多くの朝鮮人が過酷な環境で労働を強いられていたことに触れ、「われわれ日本人が朝鮮の人たちに何をしたか反省しなければならない。そして私たちがこれから何をしていくのか。この追悼式に集まっていただいた皆様が非常に大事な役割を果たすことになるだろうと思う」とあいさつした。

来賓の朝鮮総連県本部の李在哲委員長は「追悼式が毎年、中断なく続けられてきたことに対し、関係者に深い感謝の念を禁じ得ない。新しい銘版の作成に尽力された日朝友好県民の会関係者に感謝を申し上げる」と述べた。

木製の銘版は28年前の1997年、小滝の専念寺説教所跡に立てられたが風雪で朽ち果ててしまったことから、今回、縦60センチ、横130センチのアルミ製銘版に新調された。

宇賀神文雄会長

李在哲委員長

日朝友好県民の会のメンバーは「この約30年間、紆余曲折、いろいろな困難があった中、銘版の新調に至ることになって、在日の人たちも日本の有志の方々も本当に良かったと思っています。戦争の体験をかたちとして残しながら次の世代に語り継いでいっていただきたい」と話した。

同会などによると、1940年から45年までに朝鮮半島から強制連行などにより足尾銅山をはじめ足尾地区に在住していた朝鮮人労働者や、その家族は2416人で、そのうち73人が重労働などで命を落とした。

木柱の慰霊碑は戦後50年に合わせ建立され、朽ちるたびに新調されてきた。石碑に替える構想もあるが、立地の問題などで実現していない。

宇賀神会長はあいさつの中で、この問題で長年活動を共にしてきた谷博之元参院議員について「『国会で(亡くなった朝鮮人労働者に対して)きちんと謝罪し、責任をとるべき』と追求していただいた」と語り、「石碑のための石は用意できている。庚申山から採れる立派な石です。(恒久的な)石碑として(戦争の記憶を)残すことはすごく大事なことです」と石碑建立への強い思いを明かした。


縦60センチ、横130センチのアルミ製銘版