木製の慰霊碑改修し、「一刻も早く石碑建立を」日朝友好県民の会・宇賀神会長の思い
アジア太平洋戦争中、足尾銅山(栃木県日光市)へ強制連行され、朝鮮人犠牲者を慰霊する「朝鮮人強制連行犠牲者追悼式」が7月26日、日光市足尾町の小滝坑跡近くで営まれた。主催の日本・朝鮮友好栃木県民の会をはじめ関係者約50人が参加し、犠牲者の冥福を祈った。県民の会の宇賀神文雄会長は、在日朝鮮人を標的にした攻撃的なヘイトがSNSなどで確認できるとして、強い警戒感を示した。
足尾・小滝地区の専念寺説教所跡で営まれた追悼式
差別的なヘイト目立つ風潮、強い危機感
追悼式は戦後50年の1995年から毎年営まれている。
場所は、足尾を横断する国道122号と銀山平公園を結ぶ県道沿いにある専念寺説教所跡。庚申川と県道に沿った小滝地区は足尾銅山の主要な鉱山集落跡で、かつては小学校や病院、社宅などがあり、戦時中の朝鮮人労働者を含め多くの人々が生活していた。戦後、小滝抗廃坑後に無人化。建物の基礎、抗夫浴場跡などの遺構はあるが、集落そのものは森の中に消えてしまった。
この専念寺説教所跡には木製慰霊碑とアルミ製の銘板がある。
木製の慰霊碑は30年の間に何回か建て直されてきた。足尾の強制連行朝鮮人犠牲者73人の氏名が刻まれたアルミ製銘板は、97年に建てられた木製の銘板が朽ちてしまったため、戦後80年の2025年に新調されたものだ。
戦後81年の今回の追悼式は小雨降る中、予定時刻を少し早めて始まった。宇賀神会長と来賓の朝鮮総連栃木県本部・呉泳哲委員長が挨拶し、その後、参列者が順に焼香をして、強制連行の犠牲者を追悼した。
宇賀神会長は、外国人排斥を声高に叫ぶ排外主義的な動きや、そうした社会風潮に迎合する政治家が増えていることへの強い危機感を示し、「最近、激しい差別感情をむき出しにした言葉の看板を立てて集会に集まってくるヘイト集団がいる。とんでもない話。県内でもある。(戦前・戦時中の植民地支配で)苦労して犠牲になった朝鮮の人たちをさらに傷つけようと脅迫じみた恐ろしい言葉を発している。体は弱っているが、このままでは、とても死ねない。体が動く限り、みなさんと一緒に頑張りたい」と決意を新たにしていた。
また、侵略戦争や植民地支配と強制連行の関係など、戦時中の日本の歴史を顧みない風潮などが強まっていることも指摘し、「みなさんと今日、ここで集まることは大きな意味を持つ」と強調した。
追悼式の冒頭、挨拶する宇賀神会長
朝鮮総連栃木県本部の呉委員長
「日本政府は過去の過ちを真摯にわびよ」
今年就任した朝鮮総連県本部の呉委員長は、李在哲前委員長と共に参列。「栃木県内でも5000人を超える同胞が労働手段として強制的に連れてこられ、『イワシが魚か、朝鮮人が人間か』と蔑まれた。悔しく死んでいった(県内の強制連行犠牲者)101人もの怨念を晴らす唯一の方法は、日本政府が過去の過ちを真摯にわび、日朝国交正常化を促し、アジアをはじめとする真の世界平和のために朝鮮と手と手を取り合って進むことしかない」と厳しく指摘。さらに、「日本の植民地主義は排外主義、ヘイトスピーチに姿を変え、われわれに襲い掛かろうとしている。民族教育をはじめ、われわれの権利は今なお脅かされている」と続けた。
呉委員長は朝鮮大学校の学生だった30年以上前、足尾の地を訪れている。足尾銅山で強制労働の体験した鄭雲模さんの証言で「(過酷な労働に反抗した際、)お前らは1匹3銭の価値もない。お前らが死のうが、生きようが、俺らには関係ないと言われた」という言葉が強く印象に残っているという。
参列者の中には、足尾の犠牲者73人の銘板に、0歳をはじめとする幼児の名が何人も刻まれていることに「初めて参加したが、本当に涙が出てくる」と、強制連行された労働者の家族も数多く犠牲になった戦時中の過酷な状況への思いを吐露する関係者もいた。
宇賀神会長は木製の慰霊碑を石碑に建て替えるため、そのための石材を見つけ、施行する石材店と交渉するなど準備を進めている。現在の木製の慰霊碑が建つ専念寺説教所跡は作業が難しい場所であることや、足尾の地は強制連行の当事者である古河鉱業の後身、古河機械金属に関わる土地が多いなどクリアすべき課題は多い。木製の慰霊碑を建立した当初から石碑への建て替えが検討されてきたにも関わらず、30年もの歳月が過ぎた経緯がある。
宇賀神会長は一刻も早く、石碑を建立したいという思いを強くしている。
戦後81年、足尾での強制連行の体験者や当時を知る人は既になく、戦争の記憶を持つ人も高齢化、減少していくが、強制連行の記録は後世にも伝え続けなければならないと考えている。
慰霊碑の前で焼香する宇賀神会長
木製の慰霊碑

